こっそり弓道場を抜けて、気持ちを落ち着けてから帰ってくると。 すでに打ち合わせは終わっていたらしい。 四人の女の子たちが雑談をするなごやかな雰囲気が弓道場の中に広がっている。 「ほう。ここの学食が日本の普通の学食ではないのですね」 「はい。うちの学食なんて信じちゃダメです。もっとおいしい学食もあるんですから」 「そうだよね。どう調理したらあんな味になるんだか」 桜と美綴のためいきまじりな忠告に、金髪の少女は眉をしかめ、 「む……。何を食べても肉の味、というのもさすがに驚きましたが、たしかに調理法はもっと気になるところです」 「なんだったら今度、新都のおいしい店を教えましょうか? アルトリアも一緒に行きましょ」 遠坂の提案に、意外な顔の美綴。 「へえ、遠坂がそんなとこ知ってんの?」 「ええ。以前知人に教えてもらった店が―――」 ……………………。 いやもうなんというか。 美綴と桜はまあいい。特にあの少女に対して何の気負いもないだろう。ならば文化祭の助っ人として、仲良くなるのは当然だ。 でもさ。 遠坂、いつの間に馴染んだんだ、お前。さっきまで俺と同じぐらい混乱してたくせに。 なぜだか無性に疎外感を覚えてしまう。 「お、帰ってきた。おーい、衛宮」 入り口で所在なげに立ち尽くす俺に、美綴が声をかけた。 呼ばれたからには行かないわけにもいくまい。きゃいきゃいと黄色い花が咲いていそうな会話の元へと近づく。 腰を下ろそうとしたその時。 「大丈夫? 急に青い顔してトイレ駆け込んだって聞いたからさ。やっぱり調子悪かったの?」 ぶっっ!! 下ろしかけた腰が砕け、一気に床へしりもちをつく。 でん、と板張りの床の衝撃が冷たさとともに伝わってくるが、そんなもんは痛くもなんともない。それより。 (と、と、遠坂ああぁぁぁぁ!!!) 無言で睨み付けるが、遠坂は静かにすましてそれを受け流した。 ちくしょう、理由だったらもっと他にもあるだろうに。なんだってそんなのを選ぶんだこのあくま。 「お体大丈夫ですか? 先輩」 桜が覗き込んでくる。いやしかし、俺には他に席を外した理由が思い浮かばないのもまた事実。仕方なしにこのウソに乗っかることとなった。 ひきつる顔を歪めて笑顔を作り、桜に答えをかえす。 「平気だよ。もう治ったから」 「良かった。じゃあ大丈夫ですね」 桜の顔がほわっと緩む。さっきから心配のかけ通しで悪いな桜。 そしてもう一人。 「………………………………」 金髪の、少女は。 何の感情も持たぬ、透明な視線で俺を見つめていた。 まるで俺の本心を見通そうとしているかのような、瞳。 その目に見つめられると、なんだか居心地が悪くなる。 ―――なにか、見られてはいけないものまで見られてしまいそうで。 「……なわけよ。わかった衛宮?」 「へ?」 突然話を振られ、我に返った。 顔をあげると、美綴の呆れた顔が眼前にある。 「なんだ、聞いてなかったの? だから。文化祭までの二週間、衛宮とアルトリアさんには剣舞の練習をしてもらうから」 「ああ、うん」 その話か。そうだな、たしかに練習が必要だろう。彼女はともかく俺なんかは特に。 いくら引き立て役と言ったって、まがりなりにも剣を受けるんだ。あの剣の英霊に師事してた時みたいにひっぱたかれてばかりじゃ剣舞にならない。 「だからさ」 美綴は続ける。 「しばらく衛宮の面倒はアルトリアさんが見てくれるって事でいい?」 「へ?」 「…………」 思わず聞き返す俺。一瞬だけ憮然とした表情を見せ、また優等生の仮面をかぶる遠坂。 話を向けられた少女は、美綴の視線を受けてコクリと頷いた。 「もちろんです。最終的には外側からの視点で確認をしていただきたいですが、それまでは私がシロウを鍛えます」 「お、頼もしいねえ。アルトリアさん、まさかあっちで先生のお免状とか持ってた?」 「さすがにそこまでは。しかし、こちらで言う……そう、免許皆伝のようなものはいただきました」 「へー、大したもんじゃない。それなら安心だわ」 トントンと、美綴と少女の間で会話は進んでゆく。あらかじめ打ち合わせをしてあったのだろう、彼女たちの話は淀むことがなかった。 えーと、それってつまり……? 「じゃあ衛宮の剣舞の指導はアルトリアさんに任せて、あたしたちは劇の方を、」 「ってそういう事なのかっっ!?」 ようやく理解がいって思わず叫ぶ。 美綴が驚いた顔で俺を見た。 「なに言ってんの。さっきからそう言ってるじゃない」 「いや、そうなんだけどさ……」 ちゃんと飲み込むのに時間がかかって、事態を把握しきれていなかった。 つまり、俺が剣舞の練習をする時、その間中ずっと――― 「彼女に、つきっきりで指導してもらうって事か?」 「そうだよ。ある程度は衛宮にも頑張ってもらわなきゃいけないからね」 美綴は当たり前のような顔で、いや、実際彼女からすれば当たり前の事なのだろう。 「……………………」 彼女たちの言うことは正しい。これから文化祭まで三週間もないのに、剣に関してはまだまだシロウトの俺を、まがりなりにも彼女と手合わせができるぐらいのレベルにまで上げなくてはならないのだ。 だったら直接本人から手ほどきを受けた方が良い。その方が俺が馴れるのも早いだろう。当然の理屈である。 しかし。 それはこの少女と、ずっと顔をつきあわせているという事を意味する。 嫌なわけではないが、正直なところ、心の準備ができていなかった。 何を話せば良いのか、ついうっかりした事を口走ってしまわないか。そういったところは全く自信がない。 いや、そもそも―――― ちらり、と少女に視線を走らせる。 「……………………」 金髪の少女はまた無言で、悩む俺の姿を見ていた。 その真っ直ぐできれいな視線の先に自分がいると改めて認識するだけで、なぜか落ち着かない気持ちにさせられる。身体の奥から理由のわからない熱病にうかされているような感覚。心拍数が上がって、顔に熱がたまってゆく。 果たしてこんな状態で練習になるのかどうか。むしろ俺の心臓が耐え切れずに暴発する方が先じゃないんだろうか。 身の置き所のない視線から、つい顔を背けた時。 「私では信用に足りませんか?」 涼やかな声を投げかけられ、もう一度そっちへ目を向けた。 金髪の少女はこちらを、真摯な瞳で見据えている。 「たしかに年少の、しかも女に指導を受けるというのは、貴方のプライドを傷つける事なのかもしれません。 しかし、どうか信用してほしい。私とてある程度の技術は有しているつもりです」 ひとつひとつ丁寧につむがれる言葉が、心地良く頭の中に染み渡っていく。 真っ直ぐ見つめてくる緑の瞳の中にはかすかな熱があった。 事実を言っているだけではない。それはかつて、セイバーが俺へ大切なことを言い聞かせる時と同じ口調。 彼女は自分の言う事を、俺に信じて欲しがっている。 なぜ彼女がこんなにも俺の信頼を得たがっているのかはわからない。けれどセイバーそっくりな目で、信頼してくれと言外に告げられた意思を拒否することはできなかった。 ああ。受けて立ってやろうじゃないか。 「…………わかった。これから文化祭までよろしくな」 「――――――」 奥の方で遠坂がなぜか大きくため息をついていた。 対して少女はわずかに安堵の息を吐く。 「はい。よろしくお願いします、シロウ」 差し出される左手。 ここが弓道場ということもあってか。 いつかの、初めて俺たちが本当のパートナーとなった日を思い出す。 ――――ぎゅっ。 あの時に武装していたセイバーとは違い、今の少女の手は柔らかい素手である。 それでも。 握られた手から伝わる信頼は、あの日の物とそっくり同じだった。
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