文化祭まであと三週間弱。
 舞台を成功させるため完璧な演技を目指すなら、一日だって無駄にはできない。
 そのためには練習あるのみ。ただひたすら練習し続けるだけだ。
 もちろん俺に異存はない。異存はないのだが。
「……だけどさ。
 なんで、うちで練習するんだ?」
 衛宮邸の道場で、なぜか俺は昨日の昼休みの面々と向き合っていた。
 放課後、ほかの弓道部の部員に簡単な芝居の概要をつたえた後、美綴と桜は衛宮邸うちの道場に例の『彼女』を伴っておしかけた。なぜか遠坂まで一緒である。
 美綴は憮然と腰に手をあてて、
「しょうがないじゃない。学校の体育館は他の部活や団体で忙しいし、弓道場じゃ立ち回りできないし、ここがあたしの知ってる中で一番使わせてくれそうだったんだから」
「む」
 確かにうちなら、どうせ使うのは俺くらいなんだから、いつでも使えるということになるのだが……
「何か不都合があるのでしょうか?」
「え?」
 横からの発言に驚く。金髪の少女が俺をじっと見ていた。
「私はここが気に入りました。とても清廉潔白な雰囲気を持った、良い鍛錬場です。
 できればここで練習がしたいのですが……何かできない理由でもあるのでしょうか」
 ぽつりと言って、こっちを見上げる。
 ……う。またあの目だ。こちらの反応をうかがう、無表情な中の不安な眼差し。道に迷って心細い子供を彷彿とさせる瞳が、じっと俺を見つめている。
 こんな目されちゃ断れるわけがないだろう。
「いや……別にない。びっくりしただけで不都合なんかないよ」
「では稽古はここで決まりですね」
 彼女の瞳から不安の色は消え、穏やかな顔に戻った。
 それだけで思わず安堵してしまう自分がいることに少し驚く。
 出会ったばかりの少女の機嫌が、なぜこんなにも気になるのか。
 その答えを、まだカタチになっていないものを、胸の隅にひとまず押しやって。
「では始めます。シロウ、まずは貴方の実力を見せてください。同時に私の動きも覚えていただきます」
 これからしばらく、臨時の師匠となる相手に正対した。
 少女は一度瞳を閉じてから再び開け、凛とした佇まいで竹刀を構える。


 ―――瞬間、心臓が固まった。


「……………………」
「どうしました? 構えてください」
「あ、ああ、うん。悪かった」
 言われてノロノロと竹刀を持ち上げた。けれどどうにもまともに相手を見られない。
 ……あの冬の日を思い出す。セイバーと共に生死をかけて戦っていた、あの日。
 俺に戦いの基礎を教え込むのだと、ひたすら打ちのめしたあの特訓の日々。
 思えば、あの道場での打ち合いがあってから、だんだんセイバーの事を理解していったように思える。
 目の前で竹刀を構える少女の姿は、きっちり伸びた背筋も、鋭く見据えてくる眼差しも、静かな佇まいもなにもかも。
 全部、あの日のセイバーにそっくりで。
 不覚にも泣きたくなる、なんて―――
「シロウ。たしかにこれから行うのは試合ではありませんが、遊びでもない。
 そのように落ち着かない様子では身になりません」
「あ――――」
 真剣味がない、と怒られた。
 そんな厳しさも彼女そっくりだ。
 でも確かに。文化祭の舞台を成功させるためにも、気を抜いていていい稽古ではない。
 感傷を振り払い、気合を入れなおす。
 ………目の前の風景があの時のものなら、自分もあの時に帰るだけだ。それこそ今も、自分があの時この場所に立っているような。
 相手は、正体のわからない、セイバーによく似た少女。
 それが今だけは『セイバー』になる。
 聖杯戦争を生き残るため、必死に鍛えようとしてくれた『セイバー』に報いるためにも、本気で行く。
 俺の気迫が変わったとわかったのだろう。『セイバー』も真剣な顔をますます引き締めた。
「いつでもどうぞ」
 うながす声に小さく頷き、力いっぱい踏み込む。
 まずは馬鹿正直に正面から。
 『セイバー』は動かず、その場で足と指に力をこめた。受け止めるつもりか。
 ならばこっちは全力でぶつかるのみ――!
「ッ!」
「くっ――!?」
 高い音をたてて、二人の竹刀ががっちりと組み合う。
 驚いたような『セイバー』の声。彼女の竹刀がひるみ、わずかに後退した。
 俺の力に押し負けているのか。だったらもっと押すまでだ。
 鍔迫り合いのまま腕に全力をこめる。ギリギリという音がして、ゆっくりと、だが確実に『セイバー』の竹刀がまた後退した。
「――――!」
 ひゅっ、と小さな呼気と共に、『セイバー』の竹刀が右へ大きくブレる。思いきり入れていた力が逃がされた。
 体勢が崩れる寸前、とっさに足に力を入れて耐える。その隙に『セイバー』の竹刀が大きくふりかぶられた。
 させるか!
 ―――バシィッ!
「!」
 またも『セイバー』の顔が驚愕の色を浮かべる。反射的に頭をかばって振り上げた竹刀が、うまく彼女の攻撃を受け止めた。
 俺だって、いつまでも初日のようにはいかない。そうそうひっぱたかれてたまるかってんだ。
 腕を引き戻してなんとか攻勢に転じる。肩をいからせて、彼女の肩へ体当たりした。
「っ…………!」
 『いつも』のように踏み止まらず、『セイバー』はあっけなく体勢を崩す。ひざを曲げ、しゃがみ込むような格好になった。
 この姿勢から俺を攻撃はできないはずだ。今だけ『セイバー』は受け身に回らざるをえなくなる。
 よし、いける、今日こそは――――!


「衛宮くん!」


 咎めるような大声が俺の名を呼ぶ。
 咄嗟に集中が解けた。
「…………あ?」
 ぴたり、と。
 あれだけ軽かった竹刀の重さが戻ってくる。それも尋常ではない重さで。
 腕が動かない。足が動かない。いや、動かせない。
 目の前には――目の前には、床にしりもちをつき、愕然とした顔の『セイバー』…………いや、一人の少女。
 そうだ――――
 俺は何を。
 何を、見ていたのか。
「ご……ごめんっっ! 俺っっ!」
 竹刀を戻して背筋を伸ばし、その勢いのまま大きく頭をさげる。
 何を考えていたんだ、いくらなんでも間抜けにもほどがある。
 この子があんまりセイバーに似てるからって、いつのまにかセイバーと手合わせをしてるつもりになってしまった。
 だから、勝てると思った瞬間、つい嬉しくなって―――
「ほんと、ごめん。いくらなんでも大人げなかった」
 謝りつつも、心の中には大きな落胆があった。
 ――――これではっきりした。
 彼女は、セイバーじゃない。
 ……途中から気付いていた。彼女の剣の腕は、セイバーに到底及ばないと。
 セイバーがどこまで見上げても頂上が見えない山だとしたら、彼女はもう少しで頂に手が届きそうな高さ。手を伸ばしたら届きそうで、我を忘れて本気になってしまった。
 もしも彼女がセイバーなら、俺程度がどんなに本気を出したところでこんな不覚は取らないだろう。それどころか聖杯戦争中の鍛錬で、いつも俺は本気だったのに、セイバーに竹刀がかすった事などなかった。
 頭が上げられない。申し訳なさと情けなさで、彼女の顔を見ることができない。
 女の子を打ちのめしてしまった事、彼女をセイバーと間違えてしまった事、セイバーである可能性なんてほとんどなかったのにそんな奇蹟にすがってしまった事。
 彼女への謝罪と、めめしい自分への喝を入れるため、心底から声を絞り出す。
「ごめん。なんて謝ったらいいか…………」


「………………。
 いいえ


「っ…………!!!!」
 ぞ、ぞわってきた、ぞわって……!
 なんだ今の!? 背筋にデッドエンドのフラグっぽい予感がひしひしと!? あんまり久々すぎてむしろ懐かしいぞコレ!?
 瞬間で顔をあげる。彼女の顔には、さっきの呆けた表情などもはや微塵もない。びっくりするほど満面の笑みが広がっていた。
 だというのに、ちっとも優しそうに見えないのは、いったいいかなるカラクリか。
「気にすることはありません。私もシロウの技量が思ったより高いのに驚かされました。
 これならば、今のように手加減することなく、遠慮せずに指導ができそうです」
「う、わ、う」
 ――――怒ってる。
 これは、間違いなく怒ってる。
 なんだかとっても既視感。そう、たとえばセイバーに、軽い気持ちで必殺剣なんか教えてもらえないかと聞いた、あの時みたいな。
「ちょ、ちょっと待った。休憩でも入れてひとまず落ち着こう」
「なぜでしょう? せっかくシロウも調子が良いのです。このまま稽古を続けるべきではありませんか」
 ゆらぁり、と幽鬼のように立ち上がる少女。気怠い仕草なのに、その姿は獲物に飛びかかる寸前の獅子を連想させた。
 青眼にかまえた姿勢はさっきと同じ。しかしみなぎる気迫が違う。本気、と書いてきっとマジと読む。
「今度は本気でいきます。これを受けきった者は私の師匠ぐらいでしたが、きっとシロウならば平気でしょう」
 言うが早いか、視界の中で竹刀が突然アップになる。
「ぐっ――――!?」
 ズパァン!!
 大きな音と共に、頭に強烈な衝撃。
 ほ、星だ! 星が見えたスター!
「ま、待て! 謝る、謝るから!!」
「謝る必要などありません。私たちは稽古をしているのですから」
 …………謝っても許さない、って事か。
 そうこうしてるうちに第二撃。続けて第三撃。防御をしようにもさっきとはスピードが違いすぎて反応が追いつかない。
 とはいえ手加減をしているのか、それとも彼女の技量の限界か。セイバーの時のように意識を刈り取られる事なく、何度攻撃を受けてもこうして意識を保っていられる。
 つまり気絶する事もできず、攻撃を受け続けなければならないわけだ。
「がっ! す、すまん! いてっ! もうちょっと手加減……!」
「ちゃんと構えてくださいシロウ。それでは稽古になりませんよ」
 パアーーン!
 ―――烈火のような怒りは、その実、埋火のように延々と燃え続けた。
 なんか、必殺剣の時の大咆哮するセイバーとか、断食でござると冗談とばした時の死後の世界とか、お花畑の中の川向こうで手を振る親父とか、いろんなもんが見えた気がした。
 うう…………この懐かしい反応、やっぱりセイバーなんだろうか…………?










 一方的に俺がたたきのめされ、なんだかちょっぴりボロっちくなった頃。
 夕暮れが訪れ、稽古の時間の終わりを告げた。
 彼女は電気をつければまだ大丈夫、と言っていたが、さすがにこれ以上は俺が保たない。それにそろそろ虎のエサを作らねばならない時間でもある。
「仕方ありません。もっとシロウに稽古をつけたかったのですが……」
「……嘘だ。あれはイジメだ。イジメかっこわるい」
「む。何か言いましたか」
「いやべつに」
 適当にごまかすが遠坂には聞こえていたらしい。いや、それとも俺が叩きのめされたのが楽しいのか。なんだかあっちで一人だけ、ニヤニヤしながらこっちを見ている。くそぅ、他人事だと思いやがって。
 美綴と桜は呆然と俺たちを見ていた。小柄で礼儀正しいこの少女が、こんなに鬼教官だなんて思いもしなかったんだろう。気持ちはわかる、初めは俺もそうだった。
 それでも俺の視線を受けると、二人は我に返った。止まっていた時間が動き出す。
「い……いやあ。思った以上だねアルトリアさん。これなら舞台も安心だわ。衛宮も文化祭までにものになりそうだし」
「そ、そうですね……びっくりしました。お二人ともお疲れさまです。
 あ――そうだ、よろしければ遠坂先輩も美綴先輩もお夕飯食べていきませんか? アルトリアさんも」
「え? いいのかい間桐? ってか衛宮も?」
「はい、構いませんよね先輩?」
「ああ、もちろんだ。飯はたくさんで食べた方がうまいだろ」
 桜の提案を快諾する。今日は材料も十分あるし、大勢の方が食事は楽しい。
「それじゃ、俺は食事の支度をしてくるな」
 今日は俺が当番の日なのだ。桜との衛宮邸台所覇権戦争は、今のところ五分五分なので気が抜けない。
「シロウが食事を作ってくれるのですか?」
 驚いたような声に振り向くと、金髪の少女が目を丸くしてこちらを見ている。
 おや、そんなに意外なのだろうか?
「こう見えてもうまいんだぞ。それとも男の料理は信用できないか?」
「い、いいえ。その……楽しみにしています。シロウの作る和食は初めてですから」
 疑った事を恥じているのか、少女は手を振って俺の言葉を否定した。
 よし、そうと決まれば今日の食事は七人分か。久しぶりに大所帯な食事になった。
 ―――と、その前に。
 五分ほどでひとっ風呂あびて、汗を流してからにしよう。
 量が多いから、あんまりのんびりもしてられない。さっそく行こうと道場を出ようとして―――
「……………………」
 こちらを見てる遠坂と目があった。
 遠坂は何か言いたげに俺を見ている。
「…………?」
 彼女の視線が何を指すのかよくわからないまま、道場を後にした。










「ふーーー…………」
 ざっとシャワーで汗を流し、大きく息をつく。
 あんまりのんびりして客人を待たせるのも失礼だから、汗を流すのは最低限にしておいた。
 本当ならこの機会にしっかり入りたいところなのだが、まあそれは贅沢な話か。夕飯の片付けが終わって、みんなが帰った後に入りなおせばいい話だし。
 シャワーを終えて風呂場から脱衣場へ。バスタオルでさっさと体を拭く。
 さて、それじゃはりきって夕飯の支度をいたしますか。
 気合を入れて、服を着ようと着替えに手を伸ばした、その時。


 ――――がら。


「――――――――へ?」
「………………………………」
 服へと伸ばした、手の向こう。
 脱衣場の扉が触れるまでもなく開く。
 そこに佇んでいるのは、金髪の少女だった。
 タオルと服を持ってるってことは入浴しにきたんだろうなー、なんて、なんとなく考える。
「……………………」
「……………………」
 しばしの沈黙。
 やがて、彼女の唇はわなわなと震えだした。
 あ、こりゃ来るな、と思った瞬間。


「きゃああぁあぁあぁぁあああぁぁぁああああ!!!!」


 絹を裂くような悲鳴が、脱衣場―――いや、衛宮邸中にこだました。




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