「……………………」
「ええと。その、ですね」
「……………………」
「凛が、その――入浴をすすめてくれたのです。私も汗をかいているだろうから、と」
「……………………」
「たしかに、着替えただけでは多少心許なかったので、彼女の言葉に甘えることにしたのです」
「……………………」
「――認めます。シロウが浴室を使っているか確かめなかったのは、私の落ち度だった」
「……………………」
「し、しかし、反射的に声をあげてしまっただけなのですから、そんなに怒らずとも」
「……………………」
「――――――――」
「……気にするな。謝らなきゃいけないのは遠坂の方なんだから」
「む。わたしのどこが悪いっていうのよ」
それを聞くかお前が。
あの後、彼女の悲鳴で家中の人間が駆けつけて、俺達を見て固まってしまった。
脱衣場でニアミスした男と女。
これが男女逆転していたら――それこそ聖杯戦争中、セイバーとニアミスしてしまった時なら言い訳しようのない状況である。だが今回裸を見られたのは俺で、彼女は普通に服を着ていた。
それでも状況を誤解した遠坂にナックルパートをくらったのは、どう考えても理不尽だ。
今や俺のアゴにはくっきりと青アザがついている。これがいつか話に聞いた、遠坂いわくグリズリー級にベアなナックルだったんだろう。
原因となる叫び声をあげた少女は言い訳しつつもすっかり恐縮し、遠坂は一度だけ軽く謝ったあとは脱衣場にカギをかけなかった俺が悪いと開き直っている。彼女を責められようはずもなく、遠坂を責めても無駄なため、俺は憮然とした顔でできあがった食事を食卓に並べるしかなかった。
遠坂は呆れたように首をふり、
「だいたいわたしだったからまだましだったのよ。これが藤村先生だったらどうなってたと思う?」
「…………む」
たしかに藤ねえなら、これくらいでは済まなかっただろう。俺の方が身長が高いことを利用して、自らの体重を使って首をキメてくるくらい、あの人ならやる。ていうか、やたら熱いつくねとか投げられたことあるし。
「ね。だからいつまでも拗ねないの」
「……………………はあ……………………」
大きな大きなため息。まったく、本当に悪かったと思ってるのかこいつは。
とはいえこれ以上機嫌を悪くしていても、遠坂が態度を改めるとは思えないし、少女はいつまでも小さくなったままだ。そもそもこれからの飯がうまくない。
「……わかったよ。たしかに女の子がたくさん家にいるのに、俺も不用心だった」
「じゃ、士郎もそう言ってくれたことだし。アルトリアもそれでいいわね?」
「あ……は、はい」
つくづく男ってのは辛い生き物だと思う。自分には責任のないことまで引っかぶらなきゃいけないなんて。
胸に生じた苦い物をためいきで吐き出し、ヒリヒリするアゴをさすりながら残りの皿を並べ終えた。
本日の夕飯は言われたとおり和食である。良いサバが手に入ったので焼きサバにしてみた。一度サバの刺身に挑戦してみたいところではあるが、あれは本当に新鮮なものでないと難しいからな。
だが、食卓に並んだ夕飯を見て、金髪の少女が首をかしげる。
「? シロウ、食事が二人前ほど多いようですが」
「ああ、これから来るから」
「これから?」
簡単に説明しても、彼女の頭から疑問符は消えない。
まあ百聞は一見にしかずとも言うし。あと十分もすれば嫌でもわかる。
―――と思っていた矢先。
ガラガラガラッ。
玄関の開く音。そして。
「こんばんわーっ! ……おりょ? なんかずいぶん靴が多くない?」
「ほんと。誰かお客さんでも来てるのかしら?」
聞き慣れた二人の声が響く。藤村組の凸凹コンビ。
藤ねえとイリヤは誰かが出迎えるまでもなく、スタスタと廊下から居間へ顔を出した。
そしていつもよりはるかに高い居間の人口密度に目を丸くする。
「こんばんは。お邪魔しています藤村先生」
「あたしもお邪魔してます。あ、衛宮と間桐が夕飯を食べてけって言ってくれたものですから」
客として挨拶をする遠坂と美綴。基本的には藤ねえ相手だけど、まあ彼女たちは穂群原の生徒であり藤ねえは教師だから当然のことだろう。
そして最後の一人は。
「――――お邪魔しています」
腰の角度をはかったようにきっちりと三十度に曲げ、金髪の少女は会釈をする。
藤ねえの目がますます大きく見開かれた。
「…………えっ? あ、この子、もしかして、」
「セイバーじゃない。どうしてこんなとこにいるの?」
――――どくん
藤ねえのセリフを継いだイリヤの言葉に、一瞬心臓がはね上がる。
桜がパタパタと慌てて手を振った。
「あ、ちがいます。彼女はアルトリアさんって言って、うちのクラスの留学生なんです。
今度、文化祭で弓道部に協力してくれることになったから、それで―――」
説明を聞いて、藤ねえは納得した顔で大きくうなずく。
「うん、聞いてるわよ。二年生にイギリスからの留学生が来たってことと、その子に助っ人頼むんだって、美綴さんから。
なんか遠目に見た時はよく似てるなーって思ったけど、近くで見るとますますそっくりね」
「藤村先生、アルトリアさんをご存じなんですか?」
桜が不思議そうに聞いた。たしかに三年の担任である藤ねえと二年の生徒である少女では、接点がなさそうなのだが。
「そりゃわたしだって英語教師だからねー。校内唯一の留学生が英語の本場から来たら、やっぱりビンカンになるってものよー」
えっへん、と胸をはる藤ねえ。うちでの姿を見てるとつい忘れそうになるが、学校ではちゃんとした教師なのだ、この人は。それでいて表裏がないあたり本当に不思議な人である。
一方、イリヤはじっと少女を見ていた。その瞳には何の感情もない。感情というフィルターをかけず、ただ本質を見極めようとしている瞳。
少女も静かな瞳でイリヤを見つめ返す。
いや、受けて立っている、という印象をなぜか覚えた。
「――――――――」
「――――――――」
ほんの数秒の沈黙の後、イリヤは彼女を見つめたまま、
「……でも、セイバーなんでしょ?」
「イリヤ、待った……!」
仕方なしに口を挟んだ。このままでは話がややこしくなってしまう。
「違うんだ。彼女は―――」
一瞬、自分の口からその言葉が出るのはためらわれたが、
「彼女は、セイバーじゃない」
「なんで? だって………」
「なんでもだ。後で話すから、ひとまず納得してくれ」
イリヤは、ふーん、なんて興味なさげにあいづちをうった。
「シロウがそこまで言うならまあいいわ。
初めまして、でいいのかしら。わたしはイリヤスフィール・フォン・アインツベルン」
スカートの裾を軽く持ち上げて丁寧なお辞儀をする。俺もいつかされた、貴族の礼だ。
一方の少女は背筋をきれいに正し、
「ご丁寧にどうも。私はアルトリア・ペンドラゴンです」
騎士のような規則正しい礼をとった。
彼女の名前を聞き、イリヤの眉間にしわがよる。
やっぱりそれじゃどう考えても、という顔だ。
―――そうか、イリヤにも話しておかなきゃいけない事だった。あんまり慌てすぎて忘れてたな。
イリヤの物言いたげな視線がズバズバ俺に突き刺さる。
「あー…………とりあえず飯にしよう。丁度魚も焼けたとこだし」
あんまり視線が痛いので話を変えた。
ロコツな話題転換だったが、イリヤは俺の意図を汲んでくれたらしい。あまり後くされなく食卓についてくれる。
いつもの衛宮邸では俺と藤ねえ、桜にイリヤの四人で夕飯をとる。今日はそれに三人も増えて七人という大所帯だ。こんな大人数の食事を作るのは久しぶりのはずなのに、なぜか身体はこの人数の料理を作り慣れているといわんばかりに自然と動いた。
そのおかげか、本日も失敗のない彩り豊かな夕飯が食卓を飾っている。メインのサバを皮切りに、筑前煮、牛肉と鶏肉のそぼろ和え、冷や奴にきゅうりとなすの漬け物。もちろん白いごはんと豆腐ダイコンのみそ汁も忘れちゃいけない。
「いいね、やっぱり衛宮の料理はうまい。いつでもお嫁に行けるねこりゃあ」
俺の作った料理に舌鼓をうつ美綴。ほめてくれるのは嬉しいが、しかし。
「あのな。俺は嫁をもらうつもりはあっても行く気はないぞ」
「オトコが細かいこと気にしちゃいけないな。あ、でも衛宮の料理の細かさは性格からくるものだったとか?」
ますます楽しそうに笑い出してしまった。くそう、そういうお前こそ大ざっぱな大量生産が得意なくせに。
それでいてうまいのが美綴流である。俺はともかく、美綴の料理は彼女の性格をいやというほど表しているのではないだろうか。
自分の分を口に入れながら、すこし視線を動かしたとき。
斜め前の席に座る、彼女の姿が目に飛び込んできた。
「――――――――」
金髪の少女は料理をじっと見たまま動こうとしない。
異常に気づいたのか、美綴も彼女に声をかけた。
「あれ? アルトリアさん、食べないの?」
「あ、いえ、もちろんいただきます」
そうは言うものの、彼女はじっと料理とにらめっこしたままだ。
藤ねえがテーブルの端から気づき、質問を投げる。
「アルトリアさん、もしかして日本食は苦手?」
「ぁ…………」
―――やってしまった。そうだ、外国人には米や大豆の食事に違和感を覚える人もいるんだった。
よく見れば彼女の前に置かれた食器も、フォークではなく箸だ。箸なんて使い慣れてない外国人には役に立たないシロモノである。
「ご、ごめん。すぐフォーク持ってくるから―――」
「いえ、シロウ。私はこれでかまいません」
立ち上がった俺を制し、少女はみそ汁のお椀を手にとった。それを見て藤ねえが興奮した口調で叫ぶ。
「おおっ!? いきなりおみそ汁から行く!?」
「い、いけませんか? もしやテーブルマナーに反して………」
「るわけじゃないけど、外人のヒトっておみそ汁苦手な人いるんじゃないかなーって。おみそって発酵食品だから」
そういえばニオイで納豆が嫌いな外人も多いな。日本人も発酵食品のチーズに好き嫌いがあるように。イリヤも納豆は苦手だっけ。
「―――では」
いただきます、と断りを入れ、少女はみそ汁を一口飲んだ。
いつしかかたずを飲んでその姿を見守っている自分がいる。
こくり、と少女の喉が、琥珀色の液体を嚥下し―――
「…………あ…………」
意外なものを飲んだように。
少女の目が小さく見開かれた。
「あ――すまん、やっぱり口に合わなかったか? なんなら、インスタントになっちゃうけどポタージュぐらいあるし」
『彼女』ならおいしく食べてくれるはず、なんて無意識に先入観でも持っていたのだろうか。この子がセイバーではないのなら、俺の料理を気に入るとは限らないはずなのに。
他の人ならともかく、『彼女』の顔でマズイと言われるのは耐えられない。決定的なヒトコトが出てくる前に、急いで少女の食べられそうなものを探す。
「えーと、白米がダメならパン―――はなにかあったかな――――」
「…………おいしいです。これは」
「………………え?」
思いもしない言葉に、今度はこちらが意表をつかれた。
少女の顔は、さっきの驚きから一転、嬉しそうな和やかさをたたえている。
「とてもおいしい。それにどこか懐かしい味がします」
「お。みそ汁の味がわかるとは、アルトリアさんってば通ねー」
「なんだかひさしぶりに日本に帰ってきた日本人みたいな感想だね」
外国人にみそ汁の味がわかるというのがよっぽど嬉しいのか、藤ねえと美綴は楽しそうに少女へと話しかける。同士を一人見つけたり、といった得意満面の笑みを浮かべて。
彼女は今度は箸を使って具を食べる。そしてもう一度みそ汁を飲む。たった一回で完全にみそ汁の食べ方をマスターしてしまったようだ。
良かった。どうやら異国からのお客様は、うちの和食を気に入ってくれたらしい。
安心したら腹が減ってきた。俺も食べようと箸を魚に伸ばしたとき、
「――――――――――――……………………」
見てしまった。その、光景を。
みそ汁がよっぽどうまかったんだろう。少女は早くもみそ汁を完食している。
飲み干した彼女の頭が、元の位置に戻った瞬間。
こく―――こく
小さく、二度。
まるで初めての味に感嘆するかのように。
少女は、たしかに頷いた。
「……………………」
信じられないものを、見た。
食事をしながら頷くなんて、そうそうやる人はいない。少なくとも俺は――そんなクセを持ってるやつは、一人しか知らない。
やはり彼女はセイバーで。
この家に帰ってきてくれたのではないか。
そんな気がしてならない。口が言葉に出さず、小さく彼女の名を呼んだ。
少女は焼き魚にも手を伸ばす。箸で一口分つまんで、上品に食べた。
こくり。
またも小さく一度頷く。これはおいしいと、声に出さずともわかる彼女の仕草。
漬け物もためらわず口に入れた。噛みながらまたも二度頷く。
「…………ッ、」
「衛宮くん。おかわりもらえる?」
――――あ。
突然横合いから声をかけられ、我に返った。
遠坂は俺にみそ汁のお椀を突き出して、まっすぐこっちを見ている。その目が静かに告げていた。
まだ早い、と。
「――――――――」
なにが早いのか。いや、明確に遠坂が口に出したわけではない。俺がそんな風に感じただけだ。
けれど彼女が伝えたいこと、止めようとしていることぐらいはいくらなんでもわかる。
そうして気がつけば。
動きが止まったままの俺に、いつのまにか食卓にいたみんなが注目していた。
「あ、ああ。すまん、おかわりだな」
慌てて立ち上がる。遠坂のおかげで助かった。あのままだったら言ってはいけないことを口走っていたかもしれない。
「他におかわりいる人は? ついでによそってくるけど」
「では、私にもいただけますか」
「あ、わたしもわたしもー。あとでちょうだい」
スッとお椀を差し出してくる金髪の少女と、まだ中身の残っているお椀を焦って見つめる藤ねえ。
手に持ったお椀をひとつ増やし、苦笑を返した。
「あいよ。藤ねえのおかわりは最初っから計算に入れてあるから安心しろ」
「やったー! 士郎ってば孝行者よねえ」
基本的にこの人はおいしい食事があると機嫌がいい。弟を孝行者というのなら、たまには姉にも弟をいたわってほしいもんである。
まだ落ち着かない心臓をかかえたまま、台所に入る。後ろから食卓の声がおいかけてきた。
「へえ、遠坂がおかわりなんて珍しいね。いっつも太らないようにって小食なのに」
「あら美綴さん。わたしがこれくらいの余剰カロリーで計算を崩すと思ったの? 大丈夫よ、衛宮くんのごはんはおいしいもの。たまには一回ぐらいおかわりしたって問題ないわ」
「まったくイヤミなほどの優等生よねアンタは」
遠坂は俺と違ってごまかし方まで完璧だ。少しは見習わなくてはならない。
けれど。
「…………あんな顔して食べられちゃ、動揺もする」
こっそりと、再び食卓を覗き見る。
金髪の少女はそぼろ和えを口にしつつ、今にも開きそうなつぼみのように顔をほころばせていた。
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