バスが行く。
 新都へ向かってバスが行く。
 深山町と新都を結ぶバスは、今日も絶賛走行中だった。
 その、バスの中に。
「……………………」
「アルトリアも桜も覚悟はいい? お金の貯蔵は充分か?」
「ええ、遠坂先輩、もちろんです。今日はよろしくおねがいします」
「この国の買い物には慣れていないので、不安がありますが……」
「大丈夫よアルトリア。そんなに違うものじゃないんだから。
 ……って、どうしたの衛宮くん? さっきから黙って」
 俺を含めた四人が乗っていたりする。
 今日は剣舞の話が決まって初めての休日。急遽俺たちが舞台に上がると決まったものの、芝居に平服は不向きである。道場での剣舞の稽古の後で新都に行って、それっぽい衣装を作る材料を買ってくる。遠坂がこのように提案し、それを受けたのは昨日の話。
 俺たちが新都へ向かっているのはそのため、のはず、なんだが。
「お前ら、わかってるんだろうな? 今日は舞台の準備のために行くんであって、遊びに行くんじゃないんだぞ」
「わかってるわよ。もう、士郎は遊び心が足りないんだから。
 本命はコスプレ、もとい舞台衣装に使えそうな服を作る材料を探すため。別に忘れてないわ。
 ただちょっと、せっかく新都に行くなら買い物とか、買い物とか、買い物とかしようと思ってるだけじゃないの」
 笑いながら返してくる遠坂。その言い方じゃどう聞いてもそっちが本命にしか聞こえない。
 はあ、と一息ついて窓の外を見る。女の子たちはまた談笑に戻ってしまった。
 窓の外の景色は深山町から、新都との接点である冬木大橋へとさしかかっている。
「……………………」
 景色が流れる。
 その中で、橋の脇にある歩道が目に入った。
 そういえばあれ以来、ここを歩いて渡っていない。
「……………………」
 ちらり、と目の焦点を、窓の外から窓ガラスそのものに移す。
 そこには車内の様子―――俺の後ろに座ってる、三人の少女たちが映っていた。
 金髪の少女は遠坂と桜と一緒に、楽しそうに会話している。
「……………………」
 いつかもここで、これと似たものを見た。
 バスに乗る金髪碧眼の少女。
 あのときは、女の子とろくに遊びにも行かない自分がセイバーをさそって、これからデートをするって考えただけで頭が六面体パズルのように変形するほど緊張していたというのに。
 今回、遠坂や桜と会話している彼女からは、そういったものを感じない。むしろとても穏やかな日常を印象づけられる。
「……………………」
 ――――バスが行く。
 新都行きのバスは、間もなく到着しようとしていた。








 さて。
 時間に余裕があるとはいえ、探し物にどれだけ時間をとられるかはわからない。
 ならばさっさと大切な用件を済ませてしまうべきだろう。俺はそう考える。
「…………なのになんでこんなところにいるんだ?」
 ヴェルデ2階。ひらたく言えばレディースフロア。
 つまり女物の洋服なんかがずらりと並ぶ中に、なぜか俺は立たされていた。
 遠坂は得意げに、理解不能な俺へ説明をしてくれる。
「あのね、衛宮くん。わたしたち手芸部でもなんでもないんだし、生地から服を作っても格好わるい家庭科の授業の作品ができあがるだけよ。
 だったら餅は餅屋、ちゃんとした服を買ってきてそれらしいワッペンとかペタペタ貼り付けて作る方が、見映えもいいし断然早いわ」
 ――まあたしかに、俺もひととおりの繕いぐらいはできても、ちゃんとした洋服の作り方はよく知らない。専門の学校の学生かそういうクラブにでも入ってない限り、だいたいの学生は似たようなものではないだろうか。
 サイズをはかって作っても、出来上がって袖をとおせば腕をふりまわせないほどキツかったとか、逆にズボンが落ちそうなほどダボダボとか、そんな可能性が否定できない。
 たしかに遠坂の言ってることは正しいと思う。しかし。
「あー、見てみて、このスカート桜に似合いそうじゃない?」
「桜、これはなかなか色合いもいい。試着してみてはいかがです?」
「いえそんな、わたしは……あ、これなんか遠坂先輩のイメージじゃありませんか?」
 目の前では、どう見ても劇には使えそうにない服を品定めする女の子たちの姿。
「おーい」
 一応声をかけて注意をうながしてみる。
「ああこれ? 似たようなの、もう持ってるのよ」
「ではこちらなどどうでしょう。幾分季節が遅い気もしますが、とても活動的で動きやすそうです」
「いいですね。遠坂先輩、足が細いからきっと似合いますよ」
 反応なし。男は蚊帳の外ってやつかちくしょう。
 本当なら先に劇の買い物をしたいところなのだが、今はなにを言っても彼女たちは止まりそうにない。これが遠坂だけなら他の二人と協力して説得することもできたろう。しかし他の二人が遠坂の側についてしまっている以上、説得されるのは俺の方なのである。
 一人で劇の衣装を選べるほどの目もないし、三人をそっちへ引っ張ってゆくこともできない。あの輪の中に入るなんて論外だ。
 こういうとき、男のとれる手段といえばただひとつ。
「おーい。俺はあっちで休憩してるからなー」
 声をかけ、フロアの端っこにあるベンチへ向かうことにする。
 こっちを向いて、頷きか会釈かよくわからないが小さく首を縦に振る桜と少女。く、遠坂のやつ、こっちを見もしないで手なんかひらひらさせてやがる。
「…………まったく」
 ベンチにどっかり腰をおろし、重いため息ひとつ。世の買い物につきあわされたお父さんたちはいつもこんな気持ちを味わっているのだろうか。
 休憩とは言ったものの実際に疲れているわけではない。座っていてもやることはないし、すぐにヒマを持て余してしまう。
 ぐるりとフロア全体を見渡すも、このフロアはほとんどがレディース商品ばかり。カラフルな衣装は目に楽しいが興味を引きそうなものはなにもない。それどころかヘタにキョロキョロしていたら不審者と間違われそうだ。下着のコーナーには絶対目を向けないようにしないと。
 視線を落ち着ける先をどこか――――やっぱりあそこしかないだろう。
 左の斜め前に視線を向ける。
 その先には、楽しそうに服選びではしゃぐさっきの三人。
 あまり離れてもいないので、耳をすませば彼女たちの会話が聞こえてくる。
「あら、これなんかアルトリアに似合いそうね」
「わ、私ですか? こ、このように肌を露出した服など……」
「そんなことありませんよ。アルトリアさんなら大丈夫です」
 さっきから観察していて気づいたことがひとつ。
 なぜか桜と金髪の少女は、二人とも自分の服を他の二人に選ばれることは恐縮している。他人に自分の服を選んでもらうということに遠慮があるのだろうか。そのくせ二人とも、遠坂と一緒にもう一人の服を選ぶとなると楽しそうにあれこれ品定めしているのだから、女の子たちの考えてることはよくわからん。
「……………………」
 視線が、どうしても金髪の少女を追ってゆく。
 この国での買い物は慣れていないと言っていたが、そんなこと微塵も感じさせない楽しげな表情。ときおり見せる笑顔は眩しくて、見ているこっちまで嬉しくなってきそうだ。
 女の子同士の買い物という日常の中に溶け込む少女。初めて見る彼女の姿に違和感はまったくない。
 それはきっと、今の穏やかな姿が彼女の本質だからだろう。自らの誓いへあれだけ強い意志を見せる少女がこんな穏やかな一面を持っているのは、意外なようで納得できるものだった。
「……なんでだろうな……」
 相反する二つの性質。どんな敵をも屠る剣を思わせる鋼鉄の意志と、風に優しくそよいでいる草原のような笑顔。
 あまりにも差がある性質が、彼女の中には同居している。そのアンバランスさには見覚えがあった。
「…………そっか」
 そこまで考えてようやく気づいた。いつかセイバーにも、同じことを思ったのだ。
 セイバーとのデートのとき、昼食のために立ち寄った喫茶店で、紅茶を飲む彼女を見ながら思った。セイバーの本質はきっと、この光景が自然に感じられるぐらい穏やかなものなのだろうと。
「……………………」
 だとしたら。
 少女とセイバーは別人かもしれないとわかっていながら夢想する。
 もしも今、セイバーがこの世界にいたとしたら。
 この光景は当然有り得るものとして、今、俺の目の前にあったのではないかと――――
「ねえ、ちょっとー。士郎ー!」
 向こうの方から遠坂に名を呼ばれて我に返る。
 こいこい、と手招きをする遠坂。慌てて立ち上がってそっちへ向かうが、……あれ?
「遠坂、それ」
 彼女はいつのまにか着替えていた。
 おそらく気に入ったものを試着したのだろう。いつもの色よりもうすこし落ち着いた赤色のシャツ。いや、ワンピースなのか? 長さが絶妙ではっきりとはわからない。
 一応ズボンをはいているのでシャツだとは思うのだが、遠坂の私服はいつもミニスカートだ。そのせいで今着ている上着もスカートに見えてしょうがない。股下あたりの長さまでしかない服は当然いつものスカートよりさらに短いわけで……なんかその、いけないものを見せられているようでドキドキする。
 シンプルでありながら、襟ぐりは大きく開けて、胸を若干強調するデザイン。パッと見はすごく大人しそうな服なのに、こんなに大胆な印象を受けるのはなぜだろう。
 遠坂が身動きするたびに、ふわふわと裾が動いて男心を挑発する。
「ふふ、どう? これ」
「あー…………いいんじゃないのか?」
 なんていうか、また違う一面を見せつけられたようで。
 どうにも照れくさくてそのあたりは言えない。遠坂はおざなりな感想に気を悪くしたのか、口を尖らせた。けれどすぐに息をはいて、
「もう。衛宮くんの顔を見ればだいたい感想なんてわかるからいいけど。
 次からはちゃんと褒めてあげてよね?」
「は? 次って…………」
 脳が理解を示すより先に、遠坂が近くの試着室のカーテンを開く。
「――――――うお」
 つい声がもれた。試着室の中では、桜が恥ずかしそうに立っている。
 胸元には大きなリボン。たんぽぽ色のワンピースは、飾り気がない分上品さを演出している。タイツのおかげで肌の露出が減り、丈の長くないスカートでもお嬢様のようなおしとやかさを思わせた。それでいて下半身のラインはしっかり出ていて、はっきりと女性を感じさせる。
 緊張しながら俺の視線を受け止めている桜はとても初々しくて、咲いたばかりの花を連想させた。その初々しさが洋服と合わせて桜を本物のお嬢様のように見せている。
「……せ、先輩。どうですか?」
「いや、どうって…………」
 なんて言えばいいのか。思わず迷った瞬間、脇から遠坂にこづかれた。
 そ、そうだ。ひとまず褒めてやらねば。
「う、うん、よく似合う。桜はそういうのが似合うんだな」
「あ…………はい。先輩に気に入ってもらえて、よかったです」
 桜はますます頬を赤くしてしまったが、俺の拙い賛美を快く受け取ってくれたようだ。顔が嬉しそうに笑みを作っている。
 若干お見合いのように見つめ合う俺たちを後目に、遠坂は桜の隣の試着室へと移動していた。
「はい、じゃあもう一人ね。本命なんだからしっかり見てあげてよ」
 彼女の言葉にドキリとする。あともう一人も着替えているのなら、残っているのは。
「ご開帳――――って、あれ?」
 言いながらカーテンを開けた遠坂と同じく、俺も驚きに軽く目を開いた。
 その中には、フキゲンそうな顔をした、制服姿の金髪の少女。
「アルトリア……着替えちゃったの?」
「当然です。シロウに見せるなどとは聞いていません」
 少女は怒った目で遠坂を睨む。なぜだかへそを曲げてる彼女を見て、遠坂も眉をひそめた。
「ちょっと。なに怒ってるのよ」
「怒っているわけではありません。凛が勝手にシロウを呼びつけたりするので、話が違うと抗議しているだけです」
「え? なに、もしかして士郎に見られたくなかったの?
 男の子に見せなくてどうするのよ。まさか士郎にはもったいなくて見せられない、なんて言わないわよね」
「そ、そんなことはありません! ただ――――」
 少女はお湯に差し水をしたかのように、突然黙り込む。
 そして目を伏せて、隠すような仕草で自分の身体を抱き、小さな小さな声で、
「私の身体は凛のようにしなやかでも、桜のように女らしくもない。鑑賞するには値しない身体です。
 ……シロウには、あまり見てほしくない。このように筋肉のついた体では、殿方には見苦しいでしょう」
「ば、ばか、そんなコト」


「アンタねえぇ!! あんまりバカなこと言ってると本気で怒るわよ!!?」


「あるもんか……っておーい…………」
 言いたいことを取られてしまった。
 誰がどう見たって100%本気で怒ってる遠坂さんは、そのままの剣幕で少女に詰め寄る。
「筋肉がついてる!? そういうのはせめて女だてらに士郎ぐらいの筋肉がついてから言いなさい!」
「と、遠坂、落ち着け……」
 たしなめるも効果なし。まごうことなき見事なヒートアップ。
「貴女みたいなのはね、筋肉がついてるんじゃなくて手足が引き締まってるっていうの! ああもう羨ましい、そんな細い身体がイヤだなんて言ったら天罰が下るわよ天罰が!!
 わたしたちがどれだけ――――」
「遠坂先輩!」
 悲鳴に似た声がする。
 びっくりした。桜が人前でこんな大声を出すのは初めてだ。しかもなぜだか、どことなくコワい顔をして遠坂をニラミつけている。
 桜の叫びを聞いて、遠坂ははたと正気に戻ったようだ。こほん、と小さく咳払い。仕切り直しと彼女の顔には書いてあった。
「とにかく。
 いいから着替えなさい。それで衛宮くんにちゃんと見てもらうこと。女は見られて綺麗になるのよ」
「しかし、私は――――」
「大丈夫。保証するわ、絶対に似合うから♪」
 今度はにっこりと笑って遠坂は断言する。
 ……おそろしい。顔は笑顔だが後ろには怒りのオーラを背負ってらっしゃる。
 これ以上グダグダ言うならいくらアンタでもぶっとばすわよ、といった意志が伝わってくるようだ。いつも同じオーラをぶつけられている俺にはわかる。さすがに女の子相手には遠坂も手を上げないだろうが、迫力だけは本物だった。
「は、はいっ、わかりました!」
 慌てて少女は試着室の中へ引っ込んだ。がさごそ、と身動きする音を聞きながら待つこと数分。
 カーテンがほんの少し開き、少女がちょこんと顔だけ出してくる。
「あの、凛。本当に見せるのですか……?」
「いいから。さっさとする」
「は、はい…………」
 遠坂の口調からは遠慮の二文字が完全に消えていた。こいつがここまで問答無用で相手を斬り捨てるのはめったに見ない。――ただし俺以外。
 少女は一度だけ口をきつく結び、覚悟を決めた。シャッ、と一気にカーテンが引かれ――――
「――――――――――――――――――――――――」
 あたまのなかが、とうふになる。
 彼女が着ているのは白いワンピース。とはいっても今の桜のような普段着にもおしゃれ着にも使えそうなものではなく、一見してよそ行きのものとわかる豪奢なもの。むしろドレスといった方が近いかもしれない。
 床につきそうなほど長いスカートはたっぷりのボリュームで、身動きするたびにさわさわと、草原の草のような音をたてて揺れた。胸元とセットでところどころ淡く金色に光っているのは、たぶん金糸で刺繍がしてあるせいだろう。それは彼女の金髪と相まってとても映えていた。
 肘までの両袖と胸元にひとつずつついた、三つの白いリボン。首周りと袖の裾にはそれぞれフリル。ヘタをするとただゴテゴテ飾り立てた印象の少女趣味になってしまうが、モデルがいいのか全くそんな風には感じなかった。むしろ彼女の女の子らしさを強調して、か弱い少女への保護欲をかきたてる効果を発揮している。
 少女の姿を認識するのに手一杯で、他のことを考える余裕なんてありはしなかった。
 完全に固まっている間に、桜が彼女に近づいてゆく。
「アルトリアさん。その服だったら髪はほどいた方が似合うんじゃないですか?」
「そ、そうでしょうか」
「ええ。失礼しますね」
 桜の指が彼女の青いリボンをつかみ、一息にほどいてゆく。
 クセのない、しなやかな金髪がふわりと肩へ舞い降りた。
「っっっっっ…………………………………………!」
 あんまりびっくりして、息を飲んだら一緒に言葉も飲み込んでしまった。
 声が出ない。あまりにも彼女が綺麗すぎて。
 白いドレスに身を包み、美しい金髪をなびかせて恥じらう少女は、どこか遠いおとぎの国のお姫さまのようだった。
 ――――そう、お姫さま。
 王様のような凛々しさも、威厳も持ち合わせていない。けれどお姫様特有の少女らしさと気品は確かに備えている。
 …………やば、だんだん視界がぐるぐるしてきた。
 と、うろたえる俺に少女はおずおずと、
「あの……シロウ。いかがでしょう?
 その、やはり殿方には、」
 ぶんぶんぶんっっ!!
 必死で首を横に振って、否定の意を表す。それっくらいしか今の茹だった頭では思いつかない。
 ううう、ダメだ。顔が真っ赤なのがはっきりと自覚できる。
「い、いや、その、すごくビックリした、うん。
 すまん、俺ちょっと、あっちに行ってるから」
 これ以上見てると血圧が上がりすぎてあちこちの血管が切れそうだ。そうなる前に命からがら撤退する。
 ぎくしゃくとした動作で立ち去るとき、視界の隅で戸惑う少女と、おかしくてたまらない様子で笑いをこらえる遠坂の姿が見えた気がした。




次へ
前へ
戻る