もう一年分は心臓がはねまわったんじゃないかってぐらい心拍数を上げられたファッションショーも無事――いや、なんとか終わり。
 まだ少し浮ついた気持ちを抱えながらも劇の買い物を済ませることができた。
 制服に着替えた後も、金髪の少女の姿を見るたびにさっきのお姫様を思い出して顔が赤くなっていたが、次第に頭もクールダウン。今はなんとか彼女の顔を平常心で見られるまでに戻っている。なんでもこの後は喫茶店で一休み、というのが遠坂の計画らしい。
「…………いいんだけどな。ちゃんと買い物したんだから」
「あら、衛宮くん。もしかして文句でもある?」
 ないと思ってるのかコノヤロウ。
 劇に使う布や服、小物にそれを縫い付ける糸まで、買ったものは全部俺が持たされていた。鍛えてあるので重いわけではないが、歩きにくいことこの上ない。
”じゃ、士郎が荷物持ちお願いね。わたしたちは自分の荷物があるし”
 遠坂はにっこり笑顔でそう言い切った。お願いという体を取っていたが、あれは俺が引き受けると信じて疑わなかったに違いない。もちろん遠坂の言う彼女たちの荷物とは、ここのレディースフロアで買った私服である。
「……………………。
 まあ、いいけど」
 遠坂にこき使われるのも、俺が人の頼みをカンタンに引き受けるのも今さらだ。彼女からは魔術の指南役というでっかい借りがある。それを少しでも返せるのなら、使いっ走りぐらいはやるべきだろう。たぶん。
「こら、そんなにフキゲンな顔しない。こんな可愛い女の子が三人もお茶に誘ってるんだから、機嫌直しなさいよ」
 軽い調子で気分転換を進めてくる遠坂。なんだか話をすりかえられてるみたいだが、反論する気もないからいいかと結論づけた。
 たしかに、衛宮邸では女の子がたくさんいるのも当たり前になってしまったけど、外でみんなと喫茶店に行くなんてあまりない経験だ。
 ――――と。
 改めて面子を見渡して、一人足りないことに気づいた。
「あれ?」
 金髪の少女の姿が見えない。
 二度、三度と探してもやはり見えない。どこに行ったんだ。
「あの、アルトリアさんなら、本屋さんに行くって言ってましたよ。ここで少し待っててほしいって」
 キョロキョロと不審な俺を見かねたのか、桜がフォローを入れてくれた。
 言われてみればヴェルデここには大きな本屋があったな。
「大丈夫か? あいつ、まだこの街に来てそんなに時間経ってないだろ」
「子供じゃないんだから大丈夫よ――――と言いたいところだけど、迷子なんて大人だってなるもんだしね」
 遠坂はあごに指をあてて、うーん、とうなっている。
「特にアルトリアは頑固そうだから、迷っても自力で戻る、なんて思ってたりして」
「うぅん…………」
 言われてみると心配になってきた。
「桜、今のってどのくらい前の話だ?」
「え、はい。だいたい五分くらい前に、アルトリアさん本屋さんへ入っていきました」
 なら今から行けば追いつけるだろう。よほどあの本屋に慣れていない限り、本を探すのに少し時間が要るはずだ。両手の荷物を下におろし、
「二人はここで待っててくれ。ちょっと迎えに行ってくる」
「はい、わかりました」
「よろしくね士郎」
 二人の応答を聞いてから本屋へ向かう。たしか本屋はこの下の階だったな。
 それにしてもなんで一人で行ったんだか。誰か一人でも連れていけば良かったのに。
「もしかして、遠慮したのかな」
 彼女のことだ、自分の単独行動に他人を付き合わせるのが嫌だったのかもしれない。
「――――まったく水くさいな」
 小さく苦笑がもれる。けどそこも、また彼女の長所なのだろう。他人を大切に思い気遣うからこそ、周囲の人間に迷惑をかけたがらないのだ。
 もっと人を頼りにしてもいいのに――――って。
「………………む」
 そういえば。
 前も、こんなことを思ったような。
 考えるまでもなく、誰に対してだったのか思い浮かぶ。ずっと一人で走り続け、最後まで弱音をはかなかったあの孤独な王に、魔力切れで立っているだけでも精一杯だったのに、倒れても俺の手を借りることを嫌がったあの頑固な少女に、こういうときぐらいは頼れと怒鳴りとばしたこともあった。
 しかしセイバーのことを抜きにしてもあの金髪の少女からは、そうと感じさせる気性がうかがえる。
 物腰を見ていれば、言動を見ていれば、ここ数日の行いを見ていればよくわかった。少女の礼儀正しさと強さ、それゆえになんでも一人で解決しようとして、人を頼れない危うさ。
 少女の強さは鮮やかで美しいと思うし、危ういところは助けなければという衝動に駆られる。
 こう言ってはなんだけど。
 やっぱり、似ているのだ。
 ……俺が抱く感情でさえ。
「――――――――」
 かぶりを振って、思考を追い払う。
 難しいことを考えるのは後にしよう。今はとりあえず、くだんの少女を迎えに行くのが先だった。










 ヴェルデには、新都で一番大きな書店が入っている。
 デパートの中の書店は小さいものが多いと聞いているけれど、あなどってはいけない。なんせヴェルデは新都で最大のデパートなのである。相対的に中の書店も大きくなるというわけだ。
 あちこちの棚で視界が遮られ、一度見渡した程度では店内全ての人がわかるわけではない。案の定俺の探し人はすぐには見つからなかった。
「まさか入れ違いでさっきのとこに戻った、なんてないよな」
 ネガティブな想像を振り払い、店内の探索を開始する。
 女の子なら普通どこらへんを中心に見て回るんだろう……ファッション関係か?
「うーん……」
 見た目色鮮やかで薄い雑誌を多く置いていそうなコーナーへ足を運ぶ。狙い通りそこは女性ファッション誌のコーナーだったが、肝心の少女はいなかった。
「それじゃあとは―――」
 ぐるぐると首を巡らせて陳列の確認。と、その視界の隅っこに。
「……お」
 見慣れた黄金色の髪が飛び込んでくる。
 よかった、あんまり手間取らなかったな。やっぱりあのキラキラと光る髪は目立つ。
 ハードカバーの陳列棚まで足を進め、平均よりいくらか低い身長で一生懸命高いところの本を取ろうと背伸びしている後ろ姿に声をかけた。
「俺が取ろうか?」

「――――――――――っっっっっ!!!!」

 まるで、背中に冷水でも流し込まれたかのように。
 金髪の少女は大きく肩を揺らして、その場から飛びすさった。
 あわあわと言葉にならない声を口からもらし、真っ赤な顔で慌てている。
 その驚きぶりにこっちの方がびっくりしてしまった。
「どうしたんだよ。そんなに驚く事か?」
「おおおおおおお驚きます! そ、そんな突然背後から声をかけられたりしたら……!
 な、なに、なんの用ですかシロウ!」
「なにって……一人だけ行かせておくのも心配だから、俺もつきあおうかと思って」
「そ、そうでしたか。いえ、しかしそれはいらぬ配慮です。たしかにまだまだこの街には不案内ですが、付き添いのいるほどではありません」
 少女は背筋を伸ばしなおし、凛々しく答えを返す。
 その姿はいつもどおりの彼女だというのに、どこか気になった。
 証拠と言っていいかわからないが、彼女の頬はいまだに赤く、目の焦点がわずかに俺に合っていない。
 気にはなったが理由は思い当たらない。首をかしげながら本来の目的を果たすべく近づいた。
「じゃあ、早く本を買って二人のところに戻ろう。これだっけ?」
「あ…………!」
 諫めるような声が響いた時には、もう俺の手はさっきの本へと伸びている。
 だから、全く同時だった。
「え……………………?」
 彼女の取ろうとしていた本のタイトルが、目に飛び込んできたのは。




『King Arthur』



 アーサー王物語。




「……………………………………………………」


 固まる。目線も動きも思考回路も何もかも。
 ――――――なんで? どうして彼女がこの本を――――――
 頭に浮かんだ疑問。しかしその答えを導き出す事はおろか、仮定を出す事すらできない。
 脳の神経が途中から全て断線したらしい。疑問を処理する機能がまるで働かない。
 その分浮かんだ疑問は処理されないままどんどん増えて、頭の中で勢いを増しふくらんでいく。
 なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。

 ――――ぐいっ。

 ふいに腕を引っ張られる。瞬間、周囲の世界が戻ってきた。
 そちらを見下ろせば、本を取るために伸ばしたのとは反対側の腕を引っ張る少女。顔は床を向いていて、ここからでは表情がわからない。
「………………いいのです。その本は買わないことにしました。
 だから早く戻りましょう。凛と桜が待っている」
「……え? あ、ああ…………」
 まだぼんやりとしている俺を、少女はなおも引っ張り続ける。その勢いに抗うのは難しく、本を取ることもしないまま立ち去るしかできなかった。
 『King Arthur』。
 タイトルがいつまでも、俺たちを見送る。
「――――――――――――」
 背表紙に描かれた赤い龍に、『彼女』の面影はまるでない。
 それでも、名前だけであいつを強く思いだした。
 俺を守るために傷ついた姿。
 食事がおいしいと、こくこく頷きながら食べる小動物みたいな仕草。
 彼女が欲しいという俺の欲求を拒みながらも肌を重ねた時の熱。
 いつものような思い出ではなく、どれもこれも全てが昨日のことみたいに、鮮明な記憶として脳裏を走り抜け。
 なぜこんな本を買おうとしたのか、答えを求めて今俺の腕を引いている少女に視線を移す。
「………………?」
 少女は俯いたまま勢いを緩めず歩みを進める。
 それはまるで、かたくなに本と、それから俺との視線を合わせようとしないためにも思えた。
 力強く引っ張られているのに、どこか儚く、弱々しいものを感じさせる。
「……どうしたんだよ」
 気づけば放っておけなくて声をかけていた。
「なんか様子がヘンだぞ。そんなに急がなくてもいいだろ」
「………………………………」
 少女は答えない。ぐいぐいと俺を引っ張りながら歩き続ける。
 やがて、遠坂たちの姿が見える、ほんの少し前になって初めて。


「貴方が気にすることではない。
 ……これは、私のつまらない感傷です」


 そんな、突き放した、本心を。
 どうしようもなく孤独な声で、呟いた。










「あ、戻ってきた。アルトリアー、士郎ー」
「お帰りなさい。お目当ての本ありましたか?」
「いいえ、残念ながら。しかし思った以上の規模の本屋ですね」
 集合場所に近づくと、俺たちの姿を見つけて遠坂と桜が声をかけてくる。それに答える少女の様子はいつもどおりだ。
 たった十秒にも満たない時間、俺だけに垣間見せた弱い姿。
 あれは気の迷いだと告げるように、彼女の態度は堂々としている。
「……………………」
 そんな振る舞いをされたって、さっきのを忘れられるわけがない。
 イギリス人がアーサー王物語を読むのは、別段おかしなことではないだろう。なにせ有名な伝説である。
 なのに彼女は当たり前の事を見られて当たり前ではない反応を返した。
 もしも彼女がケルト神話だのイスカンダル王の伝説だのを読もうとしていても特に何の感慨も抱かなかったはずだ。仮にさっきのと同じ反応をしたところで、やっぱり何のことだかわからなかったに違いない。
 けど、よりにもよって――――
「……………………」
 少女はまだ二人と立ち話をしている。
 改めて見ると、彼女は本当にセイバーとよく似ていた。
 顔立ちだけではない。凛とした表情も、端々からにじみ出る気品も、真面目で実直な性格も。
 いろいろなものが似ている。もしも顔しか似ていないのなら、逆にセイバーとの違いが多く目についたろう。
 そんな少女が、アーサー王物語を読む。しかも本を買おうとしていたところを見られ狼狽していた。
 今ならわかる。本屋であれだけ彼女が慌てたのは、きっと俺に本を買うところを見られたくなかったのだ。
 ――――なぜ、見られたくなかったのか。
 俺とアーサー王伝説の接点なんてひとつしかなく。
 だから、少女とアーサー王伝説との接点も、ひとつしかないように思えた。

「シロウ。このフロアにケーキのおいしい喫茶店があるそうです。そちらで休憩しましょう」

 行き先が決まったらしく、少女が声をかけてくる。
 落ち着いた瞳はいつもと同じ凪いだ湖面のような深い緑。
 けれどその中に、どうしても消せないさざ波が立っているのが、俺にははっきりと見えていた。




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