耳に届く勇壮な音楽にのって、竹刀をギュッと握り、強く踏み込む。
迎え撃って襲いくる大上段の攻撃。竹刀を合わせて一度受け止め、すぐに力を抜いて流した。
相手は目の前でくるりと一回転。引いた腕が秒にも満たぬ間止まり、一気にこっちへ突き出される。
「――――っ!」
竹刀を真横に構えて受け止める。声はもらさないよう気をつけた。もし声を出すと音楽のジャマをしてしまう。
相手の竹刀は二度、三度、四度、続けてこちらの竹刀へ打ち込んでくる。打ち合わせどおり力はかなり加減されているので、こちらも余裕で受け続けることができた。
――――と。
「シロウ」
少女は唐突に手を止め、構えをといた。
さっきまで道場の床を蹴っていた足が、ゆっくりとMDコンポに歩み寄り音楽を止める。とたん道場に満ちていた音が消え、静寂が戻った。
「今のはもっと本気で受けてくれませんか。貴方の手心が見る側にも伝わってしまう」
「わかった。もっと踏ん張って止めろってことだな」
はい、と少女は頷きを返した。演技っていうのはなかなか難しい。
彼女と二人で文化祭に向けて剣舞の練習を始めてから一週間。今は舞台に使う『剣の舞』という音楽にのせて演舞する段階にまで来ていた。
剣舞にぴったりなタイトルで聞き覚えもある曲だから、演舞のジャマをすることはあまりない。とはいえやはり集中しているときに音楽が聞こえているのはなかなか慣れず、初めは音が大きくなるところで一瞬動きが止まったりしたものだった。
そんな俺の不明を打ち直したのは、もちろん。
――――バシ。
「てっ」
「シロウ、ぼーっとしないでください。まだ練習は終わっていません」
今、手の甲を竹刀でオシオキしてくれた彼女である。
戦いに出たら一瞬のスキが命取り。剣を持ったからにはどんな状況でも集中すること。それはセイバーにもイヤってほど教えられたことだ。
集中力が段違いなのか少女は初めから音楽に気を取られることもなく、むしろ音楽に鼓舞されているような見映えよい踊りを見せてくれた。
相棒にそんなものを見せられては俺だっていつまでも呆けているわけにはいかない。
「よし。もういっちょ」
「やる気が出ましたね。ではいきます」
曲の頭出しをして、もう一度最初から剣舞を始める。
初日に比べると少女の動きは格段に良くなってきた。美綴は外から誰かが確認しないと心配だと言っていたが、彼女の剣舞はそんな一人よがりなものではない。むしろ、
「っ!」
「――――!」
さっきのところ。彼女の力に合わせて受けるのではなく、過剰なぐらい腕と足に力をこめ、少女の全力の攻撃が来るつもりで受け止める。
本来ならば戦いで使わない大振りなばかりの攻撃。それを何度も繰り出しながら、彼女が力強く微笑むのが見えた。これでいい、ということなのだろう。
彼女はこうして何度も自分で問題点を修正してゆく。さらなる向上を目指してだんだんスピードも上がってくる。昨日様子を見にきた美綴と桜に見せたときなんか、二人とも演舞中は口をあんぐり開いて少女の上達ぶりに驚いていた。
俺も置いていかれないよう必死についていく。が、少女は常に俺の三歩以上前を歩いているのでなかなか追いつけない。
まるで、彼女が天から授かった才能であるかのように。
日一日と上達しているのが、毎日剣を合わせているとよくわかった。
それはとても嬉しくて、同時に。
「――――ッハァ、ハァ、ハァ――――」
「お疲れさまでした、シロウ。休憩の時間です」
「あ……え? あ、そうか」
とても疲れることでもあるのだった。
日々上達する自分が嬉しいのか、はたまた上達してる自覚がないのか。少女の指導は毎日厳しさを増している。
今は男の意地もあって、なんとかついていってるのだが、このままでは体力的限界から練習時間を縮めてもらう日も近いかもしれない。うう、ちょっと情けないぞ。
手にしていた竹刀を壁にたてかけ、隅に置いてあった冷たいお茶のセットを持って少女のところへ戻る。お茶を湯飲みにそそぐ手が疲れて震えそうだったのを必死に耐えた。
「はい、お茶」
「ありがとうございます」
額にかいた汗をぬぐっていた少女は、差し出されたお茶を笑って受け取る。ザンネンながらイギリス人の口に合うような紅茶はうちに置いてないので、夏の残りものの麦茶でガマンしてもらっていた。
こくこくと小さくのどをならしながらおいしそうに飲んでゆく。
俺も自分の分を湯飲みにそそぎ、熱い体を中から冷やすべく一気にあおった。
「ふぅ――――…………」
やっと一息。さっきまで練習の緊張で強張っていた筋肉がゆるんでいく。
それにしても疲れた。これは少女のシゴキだけが原因じゃない。
セイバーとやっていた剣の鍛錬は生き残るための戦いを学ぶものだった。相手の動きを常に注意し、周囲のことに気を配る。どこからどんな攻撃が来るかわからないから、神経はほとんど外界へ向けられていた。
しかし今やってる剣舞は踊りである。相手の攻撃は全て打ち合わせどおりに来るので、予想外の攻撃が来ることはありえない。代わりにその後、打ち込まれた相手の攻撃をどう受け、どう躱すかという動きに意味が求められる。
剣の鍛錬ならば結果として受け止めたり躱したりできればいいのだが、剣舞の場合は結果ではなく、その動きの見映えに価値があるのだ。当然注意すべきは外界ではなく、どのように腕を振るい足を踏むかである。
腕の一本のみならず指先にまで神経を配って戦うというのは、あまり踊りに馴染みなどない人間にとってけっこうキツかった。
「ごちそうさまでした」
行儀良くお茶を飲み干した少女は使っていた湯飲みをお盆に戻す。
そして両手に何も持たず立ち上がる。いつも休憩時間の彼女は剣舞の動きの確認をしてるのだが、今日はなぜか別のことを思い立ったらしい。
彼女が道場の隅に移動して座り込むのをなにげなく見ていた。
だからそのふいうちじみた行動に、一瞬で心を奪われる。
「………………ぁ………………」
思わず口から間の抜けた声がもれた。
道場の一角で正座する金髪の少女。
――――ゆったりと身を休める姿は、見覚えがある。
「………………………………」
軽く目を閉じ、背筋をきれいに伸ばし。日本人でも見習いたくなるほど美しい姿で正座をしている。
窓からは暮れかけた夕陽がさしこみ、白い肌ときれいな金髪をほんのりオレンジ色に照らしだした。
清らかな水の流れを思わせる佇まい。道場と一つになり、静かに座している少女の姿。
それは、もう何度も何度も見たのにまだ飽きないほど美しい光景で、泣きたくなるほど懐かしい――――
凛とした姿勢で、穢れなく座する少女の姿が、道場に戻ってきた。
「………………………………」
――――ただ、ひとつだけ。
前とは違っているものに気づく。
かつてセイバーがここで正座をしていたとき、彼女の表情は常に引き締まっていた。セイバーというサーヴァントの責務、未熟なマスターを守り聖杯を持ち帰るという強い志をあらわしているかのように、一部の乱れもなく。道場の清浄な空気に溶け込むような雰囲気は神聖なものまで感じさせた。
一方、今の少女は若干表情が違った。ぴんと伸ばされた背筋も、軽くひかれたあごも、腿にのせられた手もセイバーとまったく同じなのに、表情だけが違っていた。
少女の顔からはセイバーの持っていた、矢が放たれる寸前まで引き絞られた弓弦を思わせる緊張感が抜け、ただ静かに穏やかに時を過ごしているように見える。
ほんの少し力が抜け口元が笑んでいるだけなのに、こうまでセイバーと違った印象を与えられるのは不思議な感覚だった。少女が道場に溶け込むのではなく、彼女を中心とした道場の空気が心地良くあたたかなものに変わっていくかのようで。
「――――――――、っ」
瞬間、目がくらんだ。
初めて見る。夕焼けの光を浴びながら、ここで微笑をうかべて正座する金髪の少女の姿など、初めて見るのだ。
けれどなぜか、一度だけまったく同じ表情を見たことがあるような気がしてしょうがない。
この少女がここで正座をしているのは初めてで。
セイバーだって、こんな顔をして座っていたことなんてなかったっていうのに――――
「シロウ?」
気がつけば、少女が小首をかしげてこっちを見ていた。どうやら夢中になりすぎて、見ていたのがバレてしまったらしい。
「どうかしましたか」
「あ、いや…………」
絵画のような風景を見ていたからだろうか。少女の問いかけへとっさに反応できなかった。
頭の中の思考回路を必死にまわし、へたな言い訳を一個だけ思いつく。
「その。イギリス人なのに、正座うまいな、って」
「はあ。正座ですか? ……そうですね。あちらは椅子の文化で、あまり床に座るという習慣がありませんから」
少女はとくに疑問も抱かず、話にのってきてくれた。自分の姿を見下ろし、やがて何かを思い出したのか小さく苦笑する。
「実は初めて学校の弓道場にいった時、イギリスのやり方で座ろうとしたら桜たちに怒られてしまいました。女の子がそんな座り方をするものではない、と」
「そんな座り方?」
「こちらの言い方で、あぐら、と言うそうです」
「うわ…………」
それはたしかに俺でも止める。学校で、ということはおそらく制服のスカート姿だったんだろう。ズボンならやっても構わないけど、いくら長くたってスカートをはいてるときにあぐらなんてかくもんじゃない。
馴染みのないはずの座り方で道場の床に座している少女は、もう一度己を見下ろして感慨深げに息をはく。
「……不思議ですね。この座り方はこちらに来てから初めて知ったものだというのに。
なぜかここや弓道場では、こうやって正座をしているのがとても落ち着く」
「……………………」
ごく自然に穏やかな顔で正座をしている異国の少女。こうして座っているのが落ち着く、と彼女は言った。
それは、彼女もセイバーと同じく武道をたしなむ人間だからなのか。
それとも昔、ここで同じように座っていたからなのか。
本当の理由なんてわからない。ただ、このきれいな風景がここにあることを心の底から嬉しいと思った。
「――うん。いいんじゃないのか。そうやって正座してるの、すごく似合ってるし」
「――――――――」
俺の一言で、少女は棒を飲んだようにすっとんきょうな顔をする。
「? なんだよ。俺なんかヘンなこと言ったか?」
「あ……! い、いえ、そうではありませんが……」
わたわたと慌てる少女。なぜかほんのすこし頬が赤いような。
首をかしげて見ていると、彼女は、すう、と大きく息をすいこんだ。自らを落ち着かせるようにゆっくりと息をはき、そのまま再び瞑想に戻る。
まだ休憩時間は続くらしい。せっかくだからゆっくり彼女の正座姿を見せてもらうことにした。
身体を休めるため力を抜いて、けれどだらしないと思わせるほどには抜きすぎず、絶妙なバランスで少女は正座している。さっきから何度も思っているが、その姿は爽やかですがすがしいものを連想させた。
高原の朝の空気、草の海を渡る風、山の中を走り抜ける清流、厚い雲の切れ間から差し込む陽光。
誰かの何気ない仕草を見て美しいと思うのは、その人の持つ性質が、行動を通して伝わってくるからではないだろうか。この少女にしろセイバーにしろ、彼女たちの汚れない心根が正座という行為を通じて映し出されている気がする。
――初めてセイバーに会ったときと、初めてセイバーの正座している姿を見た時、同じ感情を持った。
ただ、彼女の美しさに感動して、言葉を失った。
今もそうだ。あの時と同じ気持ち。目の前の少女が綺麗すぎて、何も言えずに見つめている。否、何も言えないだけじゃなくて、ただ見つめることしかできないのだ。
きっと彼女という人間そのものに、この一瞬一瞬も心を奪われ続けているからだろう。だから片時たりとも目をはなせない。
むろん、休憩時間が終わればこの風景もまた終わる。俺たちは再び練習に戻る。
だからこそずっと目にやきつけておきたい。時間が許すかぎり見ていたい。
…………そうして、どのくらいの時間が経ったのか。
「こんにちはー。衛宮くん、アルトリア、いる?」
静かで心地良い時間は、予定外の闖入者によってあっさりと破られた。
「遠坂」
「あ、やっぱりここだった。って――――」
やってきた遠坂は、俺たちの位置関係を見て目を丸くする。
「アンタたち何してんの?」
「今は休憩時間。だから休憩中だ」
「ふーん。でもアルトリア、正座なんて疲れない?」
もっともな質問をする遠坂。そういえばこいつの家も洋風だし、正座なんてしなさそうだな。
少女は遠坂へ顔だけ向けて答えた。
「いえ、大丈夫です。この座り方はとても落ち着く」
瞬間。少女がわずかに身じろぎをする。
その動きには、うまく言えないがどこか違和感があった。
「…………?」
遠坂も同じ疑問を感じ取ったらしい。くつを脱いで上がり込み、近づいてくるうちに…………げ。
「…………ふぅーーん」
にたぁり、なんて、まさしく魔女じゃないのかこいつってぐらい邪悪な笑みをもらす。
EMERGENCY | CAUTION | WARNING |
頭の中でありとあらゆる警報が鳴り響いた。
こっ、これは間違いない……! 遠坂のやつ、何かあいつにとってとんでもなく愉しいことを見つけたのだ……!
金髪の少女も、その不吉な予感を覚えさせる笑みから何かを感じ取ったのか。わずかに上半身を引く……が、あいかわらず正座をしたまま、下半身は大地に根ざしたように動かない。
…………あ。もしかして。
「な、何用ですか、凛」
「うんうん。ええ、わかったわかった」
遠坂は少女の背後に回り込み、
「えいっ♪」
「!!!!!!!!!」
ぎゅっ、と少女の両足を遠坂が握った瞬間、少女は床へ倒れ込み悶えはじめた。
遠坂の攻撃は止まらない。このままずっと遠坂のターンか!?
「それっ。それそれっ」
「! !!! !!!!!!!」
足だけでなく、ふくらはぎまでまんべんなく揉み揉みしている。そのたびに少女は転げ回って身悶えした。
さっきまでずっと正座していた彼女の足。
そこから今や、電気にも似たしびれがじんじんと、ここまで伝わってくるぐらいの苦しみよう。
「……………………」
まあ仕方ないよな。椅子文化のイギリス人だし。
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