「衛宮お代官さまっ、どうかこの年貢だけは持っていかないでくだせえっ!」
「……いや、この弁当俺の昼飯だし。あと年貢じゃないだろ、作ったの俺だぞ」
「そんな、我らに飢えて死ねよと申される!?」
昼休みに入ると同時に、相変わらずの芝居かかった口調で昼食をたかりに来た後藤くんをすげなく追い返す。昨日の昼は弓道場で惣菜パンだと言ったらそれはそれは悲しいカオをしていたから、今日はいっそう気合が入っているのだろう。
悪代官の厳しい年貢取り立てにあえぐ農民風、ということはやはりゆうべ時代劇を見たんだろうか。最近の時代劇でこういうステレオタイプの農民が出てくるのかはちょっとわからないが。
「どうか、どうかおねがいでごぜえます! その年貢は今日を生きる我らの命!」
断られたら断られたで、彼の芝居はノリ良く続いてゆく。気が向けば付き合ってもいいのだが、今は早く弁当を食べたい。
「悪いけど、後藤――――」
「自分の昼食を食わんか、馬鹿者」
もっとはっきり断ろうとしたら、横からそれ以上にはっきりとした言葉で断られた。
今日の昼飯の同伴者、一成が冷ややかに後藤くんを見下ろしている。
「ああっ、アナタは殿!?」
「誰が殿だ。後藤、衛宮に物乞いなどするな。昼飯代がないならば貸してやってもいいが、その前に先週衛宮の貸した昼飯代五百円を返してから物を言え」
「あ、いけねえ忘れてた」
後藤くんは財布を取りに机へ駆け出してしまった。さすが一成、現役生徒会長殿の見事な貫禄だ。
「すごいな。やっぱり一成は人を動かすのがうまい」
「すごいな、ではないぞ衛宮。オマエもああいう時はきっぱり断らんか」
いや、断ろうとしたら一成が先に言ってくれたんだけど。
「では行くぞ。時間をロスしてしまった。早く生徒会室へ行かねば」
「そうだな」
二人で連れ立って教室を出る。今日は一成同伴で生徒会室が使える日だ。こういう時でもなければ、のんびり自分の弁当も広げられない。
教室も廊下も昼休みの喧噪でにぎわっている。授業中の静けさがウソのような騒がしさの中、俺たちは教室の出入り口をくぐった。
と、
「シロウ。ちょうど良かった」
横手から鈴を思わせる綺麗な声に呼び止められる。
そちらを向くと、金髪の少女がこちらへ向かって歩いてきていた。
「あれ、珍しいな。三年の方に来るなんて。どうしたんだ?」
「実は桜に昼食を一緒にとらないかと誘われたのです。昨日のような話し合いではないのですが、弓道場でどうか、と。それでシロウもぜひ共に、という話になりまして――――」
少女は言葉を切って、俺の後ろにいる一成を見た。どうやらそれで、俺の昼の予定を察したようだ。
たしかに昨日は桜のあんな姿やこの少女の意外な顔を見た後だったので、昼食の場がぎこちなくなってしまった。それは俺だけが原因ではなく、おそらく動揺がおさまっていなかった桜も、そして少女も似たようなものだったからだ。
桜は昨日の雰囲気を悔やんで挽回したいと思っているのかもしれない。いわば今日はリターンマッチ。
しかし昨日のメンツのうち一人は、こうして別の友人と食べる約束をしてしまっていたのである。
一成は、むう、と口を曲げて、
「やや、これは失礼をした。いいぞ、衛宮。俺は一人でも構わん。アルトリアさんと昼食をとってこい」
「いえ、そうはいきません。誘ったのは私の方が後なのですから、シロウは約束を反故にしてはいけない。
桜には私から説明します。では、お二人とも良い昼食を」
普段女の子相手にも遠慮なんてしない一成が珍しく殊勝なことを言った、と驚いていたのも束の間。
少女は実に真面目で律儀な理屈で先約を重んじ、俺を誘うこと自体諦めて、一礼を残し立ち去ってしまった。
彼女の性質をそのまま表したようにぴっしりと背筋の伸びた、小さくなる後ろ姿を見送る。
なんだか俺が口を挟むスキもなく話が終わった気もするが、とりあえず。
「……一成、あいつのこと知ってるのか?」
「む? そりゃ知ってるが。全校生徒のことを把握するのは、生徒会長として当然だ」
この男の場合、本当に把握しているから頭が下がる。
「あとは、まあ……。あれだけ似ていれば、気になるのも当然というものだろう」
「……………………」
彼女が似ている誰か。
――――そっか。
一成も、一度だけ会ったことがあるんだった。
「なんだ衛宮、その顔は。オマエとて似ていると思っているのだろう?」
「ああ…………そうだな」
曖昧に頷く。一成の言う通りなのだが、しかし。
「――――――――」
いまだ遠くなっていく――まだここから見える背中をもう一度見やる。
少女に俺たちの会話が聞こえた様子はない。
そのことにどこか、安堵してる自分がいると気がついていた。
「俺が言っているのは、なにも姿形のことばかりではないぞ」
生徒会室で相変わらず質素な弁当を広げながら、一成はさっきの話の続きを始めた。
「まさか出家する前から、あれほどの澄んだ霊気を持つ人間に二度もお目にかかれるとは思わなかった」
「霊気って……」
一成がこういうことを言うのは、俺の覚えているかぎり二度目だ。
一度目は、たしか。
「うむ。アルトリアさんの霊気はセイバーさんとよく似ておる。未熟者の身にも感じるほど二人とも飛び抜けた霊気を持っているからな。いっそ神仏の化身と言われても納得だ」
「……そっか。そんなに似てるんだ」
俺にはわからない感覚だが、一成は一成なりに二人の共通点を見つけているらしい。在家の身でも十分坊主らしい存在感の男は泰然と頷く。
「そうだな。もちろん同じ人間ではないから違うところもあるだろう。
強いて言えば…………」
と、いきなり一成は口ごもり、腕を組んで悩みだした。どんなことを言うつもりなのかと待っていると、
「衛宮。つまらぬことを聞くが、セイバーさんが学校に来たことはなかったな?」
「え? いや、ない……と思う、けど」
予想外の質問にドキリとする。驚いてはねまわる心臓をなんとかおさえつけ、平静を装って返事をした。
実際には一度だけあったのだ。ライダーの鮮血神殿が発動し、学校中が地獄絵図と化すところだった時、令呪でセイバーを呼んで一緒にライダーと戦った。
でもそんなことを言えるわけないし、一成だって知らないはずだ。
「ふむ……。実はな。どうにもセイバーさんが一度、うちの学校を見学に来たことがあるように思えてならんのだ」
「……………………」
――――瞬間、頭の中をいくつかの情景が走馬燈のごとく走り抜ける。
二人で大きな弁当を抱えて学校に行く。目的はセイバーが見たいと言っていた学校の中を案内するため。
陸上部の連中に囲まれ、弓道場で弁当を食べ、生徒会室で一成と話し込む。
俺達は特別教室や学生食堂、うちの教室なんかを見て回り、最後に夕焼けの中を帰る。
その途中でセイバーは街を見下ろし、
『この身は最後まで、貴方の剣として在りましょう』
セイバーが最初に誓い、最後まで守り通してくれたこと。
けれど聖杯戦争の最中に、こんなことをしている時間はなかったはずだ。
だからこれはただの白昼夢。想像でしかないはずなのに。
どうしてか今の光景は、現実にあったことのような気がしてならない。
やがて、視界が元に戻る。けれど今の情景を忘れるどころか、心の奥がほんのりとあたたかい。なんとも不思議な感覚だ。
一成も向かいで首をかしげている。
「おそらく俺の夢だとは思うのだが。アルトリアさんは、実際に会ったセイバーさんより、その夢の中のセイバーさんに似ているように思えるのだ」
「そうなのか?」
「うむ」
一成は煮物のレンコンをつつきながら、
「たとえて言えば、セイバーさんとアルトリアさんの違いは如来と菩薩のような違いでな」
「……どう違うんだっけ」
寺の子の例えは難解だ。仏教は人並みにしか馴染みのない俺では、ちょっとよくわからない。
「簡単に言えば如来とは悟りを得て修行を終えた仏であり、菩薩とはいまだ悟りを得るために修行中の仏だ。如来はそれぞれの浄土におわし、清く尊い場所から人々を導く存在だな。
一方、菩薩は逆に世俗へ下りて人々を救済する存在だ。修行中の身ゆえ如来より人にも近い。それゆえ菩薩の方が位は低くとも親しみやすい、と好む者も少なくはない」
「………………」
「セイバーさんとアルトリアさんの違いはそんな感じだ。
セイバーさんは常人とも思えぬ気高い存在感を持っており、時に畏れ多いと思わせるほどの威厳を持っているように感じる。アルトリアさんはそういう面で若干劣る気もするが、それは逆に言えば身近で親しみやすいということになるな」
まあもっとも、と一成は区切り、
「如来も菩薩も、共にありがたい仏であることに変わりはない。俺のような小坊主が違いを説くなど愚の骨頂でな。
親父や零観兄のような一人前の僧侶ならばともかく、我らのような衆生にとってはそう変わらん。もっとも基本的な、尊い存在をただ敬い拝むという視点からすれば、仏に違いはなかろうよ」
喝、と説法を締めくくる。
説明されてもやっぱり一成の言いたいことはよくわからない。仏に例える、というのはあんまり実感がわかないせいなんだろう。
でも一成が彼女たちをほめているのだけはちゃんとわかった。それはなんだか、自分が褒められるよりも嬉しいように思える。
「そっか。じゃあこれ、授業料」
弁当の中に三個ある唐揚げのうち二個を一成の弁当箱へと移動させた。
「やや、これしきの説法にしては多すぎる気もするが、ここはありがたく」
一成は手をあわせ、さっそく一つを口に運ぶ。
「しかしアルトリアさんのような女性が衛宮の傍にいてくれれば安心だ」
「へ? なんでさ」
「むろん、最近の懸念事項である、衛宮のそばに遠坂がいるという憂慮すべき事態も彼女がいてくれれば少しは和らぐだろうと思ったまでのことだが」
「あのな」
一成、ほんとに遠坂のことイヤなんだな。
遠坂はたしかに猫をかぶっているが、性根の悪いヤツじゃない。以前ちょこっとそう言ったらものすごい剣幕で、たぶらかされたのか洗脳されたのか弱みを握られたのかと詰め寄られたが、どうもあれは遠坂の隠し持っている本性を正しく知った上でなお警戒しているようだ。
なんでも先代から遠坂家と柳洞寺は相性が悪かったというし、これはもう因縁としか言い様がない。
一成は晴れやかに笑って、
「衛宮の思い人が遠坂ならば俺は全力で反対する。二年生の間桐くんならば黙認しよう。しかしアルトリアさんならば応援するぞ」
「あ、あのな――」
頬が無条件で赤くなる。善哉善哉、と二つめの唐揚げに箸をのばす一成。
そんな友人から手元のお茶へと視線をうつす。
ほんのりと湯飲みを包んだ手のひらへ伝わる温度。それはいつか抱いた人肌のぬくもりにも似て。
「………………」
手の中の湯飲みには自分の顔が写っている。お前自身を見つめなおせ、とでも言っているかのように。
アルトリア。セイバーとよく似た少女。
言われるまでもない。顔だけでなく心もよく似ている。それは以前、自分でも思ったことだ。
違うところは、違うからこそ目につきやすい。セイバーに比べればあの少女は愛想がいいと言えるだろう。最初はあまり笑わなかったセイバーに比べ、彼女の笑顔は何度も目にしていた。代わりに、一成の言ってたとおりセイバーほどの威厳は感じない。あの少女が普通に育った一般人ならば、戦いの厳しさも血の臭いも知らない普通の女の子だ。そんな子がセイバーの持つ王気に太刀打ちできるはずない。
でも、そんな違う部分より、やっぱり似ている部分の方が圧倒的に目を引く。それはきっと似ている部分の方が少女の本質に近いからだ。
どこまでも自らの理想へ向けてひたむきに走る強さ。見惚れるほど真っ直ぐで鮮やかなあの瞳。
……なんていうか、衛宮士郎はああいう存在に弱いのだろうか。彼女の宣言を思い出しただけで、気持ちが落ち着かなくなる。
”自分ではどうにもならないものに苦しめられている人を守りたいと思ったのです”
あの少女がなぜ、そういうものを目指したのかは知らない。
けれどその願いに、心に、どうしようもなく惹きつけられる。
まして、
”シロウならばきっとできる。私はそう信じています”
そんな純粋な信頼を寄せられると、なにがなんでも答えたくなってしまう。
……いつかも同じくらい、強く信頼を向けられた。
あれはとても寒い冬の日。
”貴方ならそう決断すると信じていました、マスター”
セイバーと一緒にいたいという願望を蹴り飛ばしてまで聖杯を壊す。あの信頼に答えたいと思ったのは、本当にセイバーのためになると思っただけだったのか。
いや、違う。きっと俺がそうしたかったんだ。
彼女の意志を。あいつが目指したものを、セイバーの期待を、大事にしてやりたくて。
ならば今度は。
「………………」
鮮やかな少女の心と、その心が寄せてくれる期待を裏切りたくない。彼女という存在を曇らせたくはない。
あの少女を――――守りたいと思った。
あいつは強い意志を持っていて、同時にとんでもなく弱い部分を持っているのだと、あの本屋の一件で知ってしまったのだから。
”貴方が気にすることではない。
……これは、私のつまらない感傷です”
あんな張り詰めた顔をしてるくせに、それでも決して涙を見せない少女。
きっとあいつは心の中に、大きくて重たい何かを抱えている。
本当は助けて欲しいのだと思う。けれど戦う力を持っているから、誰かを助ける存在で助けられる存在ではないから、自分は強い存在だと言い聞かせているから、他人へ助けを求めることができない。求めることすら思いつかない。
以前学校で、美綴が階段から落ちたとき、あいつが身を呈して助けたことを思い出す。身体張って守るなと怒った俺に、彼女はこう言い返した。
”シロウは彼女が怪我をしても良いと!?”
――――バカ、いいわけあるか。同時にあいつがケガをしてもいいわけがない。
受け身を知っているから大丈夫と言っていたが、そんなもの取れるヒマはなかったはずだ。あの時ほとんどケガがなかったのは、単に運が良かっただけ。ヘタをすれば美綴が普通に落ちたとき以上の大怪我をしていたところだった。昨日の弓道場の時だってそうだ、本当はあいつ自身が桜と同じ痛みを持っていたんじゃないだろうか。
他人の痛みはわかるのに、自分が同じ痛みを請け負うことを厭わない。他人が痛みを背負うのは哀れんでも、自分が背負うのは平気だと笑う。そして自分と同じ痛みを持った人に優しく接するのだ。誰よりもその痛みを知っているがゆえに。
そうやっていつも強く見せているから、周りも騙されてしまうのだ。そいつは大丈夫なのだ、と。どんなに傷ついても立ち上がれるのだ、と。
そんなこと、あるはずがないのに。
「…………そういうことなんだな」
一成に聞こえないよう独り言を呟く。
結論はわかっていた。そんなヤツを尊いと思うなら、最後まで走らせてやりたいと思うなら。
誰かが守ってやらねばならないのだ。
あいつを放っておけない。何があろうとあんな悲しそうに張り詰めた顔はさせたくない。
この感情を何と呼ぶのか、もう自分は知っている。
なにせ二度目だ。一度目に気づいたのならば、今度も気づかないはずがない。
「………………………………」
湯飲みの中の自分は、じっと俺自身を見つめ返している。
正面から自分の心と向き合ったら、答えはひとつしか出てこなかった。
彼女が何者かはいまだにわからない。でもそれとはぜんぜん別の問題で。
俺はもう、引き返せないぐらいあいつを好きになっているのだと。
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