どん!

 と、いかにも重そうな音をたてて藤ねえが食卓に特大重箱を置いたのは、その日の夕食の後だった。
 フタを開けてみるとびっしり一面、おはぎおはぎまたおはぎ。
「うわ、多いな。どうしたんだこれ」
「お彼岸のときおはぎに使ったあんこがずいぶん余っちゃってたから、いっぱいおはぎを作ったの。たくさんできたから士郎んとこにもお裾分けね」
 えっへん、と胸をはる藤ねえ。しかし少々タイミングが悪かったな。
 今夜は桜も遠坂も来ていないのだ。今ここにいるのは、俺と藤ねえとイリヤ、そして今日も稽古の後に夕飯を食べていった金髪の少女の四人だけ。これだけのおはぎを攻略するにはちょっと心許ない。
 ――って、遠坂は数に入れなくてもいいか。あいつはそうしょっちゅう来るわけではないし、来てもそれほどたくさん食べるわけじゃない。このおはぎを出してもせいぜい一個か二個くらいしか受け持たないだろう。桜がいれば本人も喜んだろうし、ある程度戦力になってくれたと思うが。
「しーろーおー。お茶淹れてよ、お茶ー」
「はいはいわかったよ。ちょっと待ってろ」
 台所でおはぎによく合う緑茶を淹れ、お盆ごと居間へ持ってゆく。おはぎ用の取り皿や箸も忘れない。
 みんなにお茶と皿を配ってから俺も座り込む。
「よし、じゃあ粒あんもらっとこうかな」
「つぶあん?」
 横で金髪の少女が不思議そうに首をかしげた。おそらく初めて聞く単語なのだろう。
「粒あんっていうのは、あんこの原料のアズキの皮を残したあんこで、こっちのこしあんは残さないあんこ。たくさんあるから食べ比べてみるといいぞ」
「なるほど。では私はこしあんからいただきます」
 相変わらずイギリス人とは思えないほど器用な箸使いでおはぎを取ると、少女はさっそくこくこくと頷きながら食べだした。どうやら気に入ってもらえたようだ。
 ひとつ食べ終えて、甘くなった舌にお茶を流し込む。そのときふと気が付いた。
 一人だけ、おはぎに手をつけていない人がいる。
「イリヤ。おはぎ食べないのか?」
「いらないわ。藤村邸あっちでたくさん食べたもの」
 イリヤはそう言って、薄めの緑茶をちびちびやっている。普段あまり苦いものや辛いものには手を出さないイリヤがお茶だけ飲んでいるんだから、相当向こうで食べさせられたんだろう。
 しかしそれを言うならば。
 もう一人の藤村邸住人へ視線を移す。
「あー、やっぱりおはぎは粒あんね。でもこしあんのまったりさも捨てがたいなーっと」
 藤ねえはまるで数年ぶりにおはぎを口にしたかのような健啖ぶりだ。底なしですか、この人の胃袋は。
 おはぎを食べずに手持ち無沙汰なイリヤは、ヒマつぶしなのか藤ねえへ話しかけた。
「ねえ、タイガ。オヒガンってなに?」
「お彼岸っていうのは亡くなった人を供養する日のことよ」
「クヨウ?」
「亡くなった人が安らかに眠れますようにってお祈りするの」
「ふーん」
 感心した風な声がイリヤからもれる。普段はイリヤのこあくまっぷりにかなわない藤ねえだが、イリヤが年相応の子供らしく素直な反応をするときは、藤ねえもこうして年相応の大人になる。藤ねえにとってのイリヤは天敵であって妹分、イリヤにとっての藤ねえはからかい相手であって姉貴分、といった感じだ。……なんだか昔の俺と藤ねえを彷彿とさせる。
 藤ねえは五個目のおはぎをぱくつきながら、思い出したように、
「そういえばイリヤちゃん、一度もお家と連絡とってるの見たことないけど。大丈夫? お墓参りとかしなくていいの?」
「……………………」
 イリヤは返事をしない。そういえばイリヤの実家の話って聞いたことなかったな。こんなちっちゃい子を一人で異国に残してたら、普通は心配なんじゃないだろうか。
 それにイリヤの家は森の奥深くとはいえ、あんな大きなお城を持ってるお金持ちだ。偏見だけどそういう名家っぽいところは、ちゃんとたまにでも帰省しないとうるさいというイメージがある。まだイリヤが日本へ来て一年経っていないけど、そのうち迎えとか来たらどうしよう。かぐや姫みたいに。
 そんな俺の心配をよそに、イリヤは迷子になった子供みたいな寂しそうな声で、ぽつりと呟いた。
「…………バーサーカーのお墓参り、したいな」
「っ……………………」
 小さく息をのんだ。
 バーサーカー。俺たちには死の恐怖そのものでしかなかったけれど、俺にとってのセイバーのように、遠坂にとってのアーチャーのように、イリヤにとってはかけがえのないパートナーだったサーヴァント。

『イリヤのサーヴァントは、ずっとバーサーカーだけなんだから』

 そのバーサーカーを殺したのは、間違いなく俺たちだ。そうしなければ俺たちが殺されていたし、イリヤとバーサーカーだって俺の友人の慎二を、遠坂のパートナーのアーチャーを殺した。
 けどやはりイリヤにこんな顔をされると胸を衝かれる。
 イリヤにとって、バーサーカーは特別な存在だったのだから。
 銀色の小さな頭に、慰めるつもりでぽんと軽く手をのせた。こうして見るとイリヤはやっぱりちっちゃい女の子だ。
「そうだな。いつか行こう、バーサーカーの墓参り」
 あいつの遺体はサーヴァントの物理法則に漏れず、砂となって風に消えてしまった。もうあそこにバーサーカーの遺したものは何もない。
 それでも詣でるだけで何かが違うだろう。
 イリヤはぽかんと俺を見つめていたが、すぐにこれ以上ないってぐらいとびっきり満面の笑顔をうかべた。
「うん! そのときはシロウもリンもセイバーもみんな一緒に行こうね!」
「は? わ、私もですか?」
 とつぜん自分が話題に上がり、金髪の少女が驚きの声をあげる。イリヤがずっと彼女を『セイバー』としか呼ばないものだから、すでに自分のことを言われてるものと理解しているようだ。
 イリヤは彼女と、そして俺を順番に見据え、
「そうよ。貴方たち三人がお城を出てからもう一回会うまで、どこで何してたのかしっかり教えてもらうんだから。
 あの森の中でわたしの知らないことがあるのはイヤなの。あれだけ元気のなかったセイバーが元気になってた理由も知りたいし」
 セイバーが元気になってた理由。
 それって。
「………………………………」
 いや。待て。考えるな。考えるととんでもないことに、ってすでにそう思うことが考えてるわけで。
 ならば別のものを入れて追い出そうと、とっさに視線をさまよわせ――――


「――――――――っ!」


 なぜか金髪の少女と視線が合う。
 と同時に、彼女は首まで真っ赤にして可愛らしくうつむいてしまった。


「っっっっっ!!!!!」


 ちょちょちょちょちょちょちょちょちょっと待てーーーーーーーーっっっっ!!!!!!
 せっかく思い出さないようにしてたってのに、そんな反応されたらもう理性とか自制とかそんな感じの言葉が崩壊してタイヘンだ。何がタイヘンなのか自分でもわからないけど、とにかくタイヘンなのだああもうちくしょおぉぉぉ!
 アインツベルンの森で、セイバーが元気になった理由なんて、ひとつしかない。
 遠坂に教えられるがまま、セイバーに精を与えるため肌を重ねた。あ、いや、あの時はお互い服を着ていたんだけど、ってそういう問題じゃない……!
 いつも凛々しく強く、魔力不足の状態でも決して目を伏せなかったセイバー。そんな彼女があの時だけは、ちょうど今みたいな初々しい少女としての一面を見せてきて。俺がその、そういう経験がなかったっていうのもあるけど、それ以上にセイバーが可愛くて…………
「あ、ちょっとなによシロウ、その反応。顔がタコみたいよ。セイバーまで」
 イリヤの剣呑な声で我に返る。見れば金髪の少女はまったく余裕のない表情で、さっきと同じく真っ赤な顔をこちらに向けていた。きっと俺の顔も同じぐらい赤く、同じぐらい余裕がないのだろう。
 と、ともかくこの場はなんとしても話題を変えねばっっ!
「な、なななな、なんでもないっっ! あの、あ、あの時はなんにもおかしなことはなかったぞ!!」
「ホントに? 怪しいなあ。じゃあセイバーは思い当たることない? あるからそんなに顔が赤いんでしょ」
「わ、私はシロウにつられたのですっっ! シロウこそなんですか、人の顔を見て赤くなるなど無礼でしょう!」
「いやだって、あの時のこと思い出したらそうなるだろ!?」
 すっかり取り乱しきった俺と彼女。あんまり必死すぎる態度がますますイリヤの不信感をあおっている。そうとわかってたって落ち着けない。
 いくらイリヤが魔術師とはいえ、この年で俺たちのとった方法を知ってるかは不明だし、むしろイリヤが優秀すぎる魔術師だからこそ未熟な俺ではそんな方法しか取れなかったなんて思いつかないだろう。そうとわかってたってごまかせると思いこめなかった。
 そしてくんくんと、隣で鼻をならすルーズドッグ。
「……む、なんかにおう。この甘酸っぱくて雨上がり、給料日に隠したまま思い出せなくなった一万円のような気配は、間違いなく秘密のニオイ。
 士郎から足枷の錆びたニオイがする。怪しい。怪しいぞ。お姉ちゃんになんか隠してるのかにゃあ〜?」
 ああもうっ、なんで藤ねえまで参戦してくるんだっっっ!!
 なんだかんだで規律には厳しい藤ねえだ。もしその、俺とセイバーが、ああいうことをしたと知れたら…………。
 頭の中を、なぜか虎竹刀という意味不明な単語が光速で走り抜けた。
「なっ、ない、秘密なんて金輪際ないっっ! そうだよな!?」
「そうですっ、私たちは潔白です!!」
 居間は完全に大混乱。いや、混乱してるのは居間ではなく、俺と彼女の頭の中だけなんだろうが。
 思考サーキットは爆発寸前。とっくに焼けついてバチバチ言っている。
 ダメだ、これ以上加熱されたら確実に破壊される。そうなる前に何か手を……!
 しかしその手を思い付くまでもなく、藤ねえの口が開かれた。さすが野性の虎、人の急所は見逃さない。
「でもさ士郎」
「っ、なんだよっっ」
 何を言おうってんだ。さらなる攻撃に備えて身構える。


「よくわかんないけど、今のはアルトリアさんとどっかの森に行ったときの話をしてるのよね?
 いつそんなとこ行ってたの?」


「――――――――――――――――――――――――」


 思考回路は。
 高温のため爆発寸前で擦り切れたまま、一気に氷点下まで凍結された。
 まだ生き残っている部分を必死に動かして、藤ねえの言葉を反芻はんすうする。
 藤ねえは誤解している。これはセイバーの話。今ここにはいない、剣の英霊の話だ。
 けれど藤ねえにはそう聞こえた。セイバーを知っていてさえ、藤ねえにはそう聞こえた。それはなぜか。
 それは、途中から俺もイリヤも、この少女が当事者であるとして話をしていたからだ。
 赤くなった少女の姿。それを見て動揺してしまった。頬を赤らめた彼女を見て、俺は何を連想した?
「………………」
 ……なぜそうなってしまったのか。理由はしごく単純で、容易に思い出すことができた。
 つい、セイバーだと思わずにいられなくなるものを見てしまったからだ。
 けれどそんなのは言い訳にすぎない。第一たんなる責任転嫁だ。イリヤが彼女をセイバーと呼ぼうと彼女が不自然に赤面しようと、一瞬でも彼女をセイバーとして見ていたのは俺自身。
 いつものように重ねて見たり、いつかのようにセイバーのつもりで剣を交えるのとは違う。今回は、今回ばかりははっきりと、彼女をセイバーとして扱ってしまった。
 すっかり興奮も赤面も消え、後ろめたい気持ちで周囲に視線をやる。
 藤ねえは急に雰囲気の変わった俺たちから感じ取るものがあったのか、一人一人の顔から何かを探すかのように、じっと見つめている。
 イリヤは誰とも目をあわせず、静かにお茶を飲んでいた。
 金髪の少女は――――
「…………………………………………」
 さっきまでの紅潮した頬は、やはりどこにもない。固い眼差しで机の一点を、まばたきもせず見つめ続ける。
 ――心を鉄で覆い隠した誰かとまったく同じ表情をして。
「……お茶が冷めてしまいましたね。淹れなおしてきます」
 そう言ってみんなの湯飲みを掴んで立ち上がる。
「あ、それなら俺が」
「いえ結構です。いつもご馳走になっているのですから、たまには私が淹れます」
 俺の制止を振り切り、こちらを一瞥もせず台所に行ってしまった。
 彼女の後ろ姿は、学校で俺たちを見るなり逃げたあの日を思い出させた。










 少し長く時間をかけて淹れられたお茶はちょっと渋くて、甘いおはぎによく合った。
 それからは学校の事、最近の夕飯のメニュー、俺のバイトの近況など、とりとめのない話をしてお開きになる。
 珍しく藤ねえが『たまには見送れ』とせがむので、玄関まで見送ってやった。
「ほら、重箱洗っといたから持って帰ってくれ。ごちそうさまでしたって家政婦さんたちに伝えといてくれよ」
「うわー。相変わらず士郎は細かいとこまでよく気が回るわねえ。お姉ちゃん感心しちゃう」
 なにを言うか。こんなのはむしろ当たり前だ。あとはまあ、周りの年上の人たちがズボラな質だったから、自然と俺はこういう性格になったような気もする。
 藤ねえは渡された重箱を受け取ると、いきなり


「士郎。女の子を泣かせちゃダメなんだからね」


 さっきまでとは別人のように真剣な口調で言葉を発した。
 ふいうちに驚いて姉代わりの人を見つめ返す。つきあいが長いからこそ知ってる、藤ねえは本当の本気で大事なことを言う時はこういう顔をするのだ。
 瞳にはたまにケンカの後で見せる、俺を非難する色。
 ――間違いない。気づいているのだ。さっき食卓で犯してしまった失態に。
 彼女はセイバーと別人なんだと。だから混同してはいけないと。それを絶対に忘れるなと。
 少し年上の人の、鳶色の瞳はそう語っていた。
「…………泣かせないよ」
「うん、よろしい。じゃあまた明日ねー!」
 わずか十秒足らずで。
 陽気ないつもの藤ねえに戻り、さっきまでとは別人のように軽やかな足取りで帰っていく。
「…………サギだよな、ある意味」
 普段がああいう人だから、たまにこうして真面目なことを言われると重く響く。
 とはいえ弁解のしようもなく、今回は俺の失態だった。
 彼女がセイバーという確証がとれていればいい。しかし別人だったとしたら、セイバーとして接してしまうのは失礼極まりないだろう。
 これからは気をつけなければ――――と。
「あれ? そういえばあいつ、どこ行ったんだ」
 そろそろ帰る時間だろうから、藤ねえを見送ったらバス停まで送っていこうと思っていたのに。
 居間にも廊下にも彼女の姿はない。風呂場は初日にニアミスして以来、近寄ってすらこない。
 縁側――なんかにいるはずもないし――――
「………………?」
 縁側から道場を見ようとして、気がついた。
 道場とは反対側――――土蔵の扉がわずかに開いている。
 土蔵の扉は外から鍵こそかからないものの、基本的には閉めてあるのだ。魔術の鍛錬場を人に見られたくない、なんて言うとカッコがつくのかもしれないが、本当の理由は中に置いてある物の保存のためだ。修理を待つストーブやビデオデッキをあんまり外の空気にさらしておくのは良くない。
 庭に出て、扉を閉め直そうと近づいてみる。
「え……?」
「っっ!?」
 暗い土蔵の中で、何か――いや、誰かが動いている。
 思わず声を出したら過敏に反応された。びびくん! と小さな身体が跳ね上がる。
 ああ、この反応はもしかして。
 相手の正体がわかれば、特に恐いものでもない。泥棒じゃなくて良かった。もっともこの土蔵に泥棒が入ったって、たいしたものは持っていけないのだが。
 明かりのない土蔵の中に足を踏み入れる。土の壁にほどよく保温され、ここは冬でも外より幾分暖かい。
 先客は申し訳なさそうにこちらを見つめている。勝手にここへ入ってきたことが後ろめたいのだろう。
 星明かりしかない夜でも彼女の金色の髪はかすかに光を放っていた。
「す……すみませんでしたシロウ。貴方に断りもせず足を踏み入れてしまって」
「いや別にいいけどさ。でも面白いもんなんてないだろ?」
 そう言うと、少女は小さく笑みを見せた。
「どうでしょうか。こんなにたくさん物があるのでは、面白い物があるかどうかもすぐにはわかりませんね」
「む……そうかもしれない」
 なにせ俺ですらこの土蔵の全貌は把握しきれていないのだ。この中に彼女の興味を引きそうなものがあるのかないのか、それは探してみないとわからない。
 感慨深げに土蔵の中を見渡す少女の顔。それが懐かしい、という感情に思えたのは考えすぎだろうか。
 さして広くもない土蔵のガラクタを、彼女はひとつひとつ丹念に、ここにあるのを確かめるような眼差しで見つめている。
 なんでこんなとこにいたんだろうと気にはなったが、この顔の前ではつい後回しにしてしまう。
 そこに置かれたものを慈しんでいる彼女の表情に、時を忘れて見入っていた。
「…………。シロウ」
 やがて。
 少女は俺の名を呼び、こちらを向く。
「改めて貴方に聞きたい事があるのです」
 ふいに女の子の面影を脱ぎ捨てた強い眼差しが、しっかと俺を見据えた。
 いつかの運命の日を思い出させる、何の感情も映さない瞳で。



「『セイバー』というのは何者ですか?」




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