新都のロータリーで、ただひたすら人を待つ。
 天気は快晴、気温は適温。デートをするにはもってこいの日和。
 きっと恋人たちもリラックスして二人の時間を楽しめるだろう。でもそれはデートをし慣れている恋人たちの話で。
 ああもう、つまり、俺はこんな陽気の中で緊張の最中にいるのだった。
「………………」
 ぐるり、と軽く周囲を見渡す。ここに来てから十分ほど待っているが、待ち人の姿はない。
 まあ当然といえば当然だ。約束の時間まであと二十分もあるのだから。
 相手の少女をあんまり待たせるのも申し訳ないので早く行こうとは思っていたが、どうやら早く来すぎたらしい。いや、落ち着いて時間まで待っていられなかったので早く来てしまった、というのが真相と言うべきか。
 結果彼女を待たせる心配はなくなったが、ここで待っているのもそれはそれで緊張感が増してゆく。デートなんてロクにしたことないんだから心臓がはねっぱなしなのも無理はないと思う。
 ただでさえ女の子と二人っきりで遊びに行くなんて慣れてないのに、まして今日のデートはあの金髪の少女がセイバーであると認めさせるという課題もあるのだ。
 正直なところ自信はない。だが弱音を吐いてもいられない。
 最初っからこんなに緊張していたら、今日は失敗に終わるだろう。もっと冷静にならねば。
 よし、と気合を入れ直したそのとき。

「シロウ!」

 自分の名を呼ぶ声に振り返る。
「――――――――」
 瞬時に、今の冷静になろうとしていた自分が吹っ飛んだ。
 金髪の少女がこちらへ小走りに駆け寄ってくる。いや、それは声を聞いたときからわかってたんだから別にいいんだけど、彼女の格好に魂を抜かれた。
 ……そういえば、セイバーではなくあの少女の私服姿は初めて見たような気がする。俺は無意識に、セイバーの着ていた白いブラウスと青いスカートだと思い込んでいたが、そんなのは単なる想像だった。
 彼女が着ているのは茶色いワンピース。胸元にワンポイントとして、同系色のリボンがついているのがなんとなく彼女らしい。前面の胸元から腰のあたりまで真っ直ぐと、あと腰回りのフリルが女の子っぽいなと思った。
 おそらく下のスカートや上半身の部分とくっついているのだとは思うが、その上にキャミソールを着ているようなデザインになっている。ただでさえ大きく肩を半分出した襟ぐりと、遠坂の私服並に短いスカートへ目が釘付けだってのに、これじゃ誘惑されてるみたいで落ち着かない。
 ちょっとだけ勇気を出してみましたと言いたげな、いつもより艶の増した唇は、何か口紅のようなものでも塗っているのだろうか。
 すらりとのびた足はここもいつもなら靴下に覆われている部分だが、今は素足に茶色いサンダルというスタイルのおかげで形のよい足がはっきりと見える。
 極めつけは彼女の髪型。いつもきっちりと結んだ金色の髪が、今日だけは青いリボンの拘束から解放され、絹糸のようにまっすぐでクセのないまま風に遊んでいる。
 ――――緊張するなってほうがムリだ。好きな子がこんなにオシャレして、しかも今からデートするってのに、冷静でいられるほど人間できてない。
 彼女は申し訳なさそうな表情で俺の目の前まで走ってきて、
「すみません。待たせてしまいましたか」
 いや、そんなことない。早く来ていたのは俺の責任なんだから、というかまだあと約束まで十五分もあるし。
 頭の中で彼女に言うべき言葉がちゃんと浮かんでいるのに、口はパクパクと動くだけで何も言えなかった。ヤバい、顔に熱が集まっていくのだけがこんなにはっきり認識できる。
「シロウ……?」
「いや待ったちょっとタンマ」
 慌てて彼女に背を向け、呼吸を落ち着ける。魔術回路を作ってたあの頃の手順を思い出し、深く深く深呼吸。精神を集中すれば、なんとか平常心に戻ってゆける。
 …………まあ心臓がバクバクいってるのがドキドキぐらいにおさまって、顔の赤さが気のせいってごまかせる程度なんだけど、そこまで戻せれば普通に接することができるはずだ。
 心をできるだけ静めて、目の前の光景に覚悟して向き直る。

「?」

 心配そうにこっちを見上げる少女は破壊力バツグンで。
 せっかく静めた心臓が、また鼓動を早めていく。
「――――っ、ともかく行こう!」
 顔を見てられなくて、彼女の腕をつかんで駆け出した。
「あ、シロウ! そんな、いきなり引っ張らないでください!」
 彼女の抗議の声も今は耳に留まらない。
 この早鐘をうつ心臓は走ったせいなのだとごまかせるぐらいになるまで、足は止まりそうになかった。










「シロウ! 見てください、あんなに鳥が!」
 公園に連れてきたとたん、少女は興奮に満ちた歓喜の声をあげる。
 イギリスにも鳥のいる公園ぐらいありそうだが、まるで子供みたいな勢いで走り出していった。公園の中を気持ち良く吹き抜ける風を思わせるスピードで。
 一方の俺は公園の出口近くにある売店へと足を運ぶ。おばちゃんに百円玉を二枚差し出して食パンを買うと、鳥を驚かさないよう少し離れたところから眺めている彼女へ差し出した。
「これは? 昼食にはまだ早いかと思いますが」
「そうじゃなくて、鳥にエサやってみないか?」
 ぱあ、と彼女の顔が輝きを増す。どうやらこの提案をいたくお気に召したご様子。
「よいのですか!?」
「もちろん」
 あの売店、それを狙って食パンを置いてる節もあるし。
 ビニール袋からパンを出すと、それが何であるか知っているのか、鳥たちの視線が少女に集まりだす。中には恐れず寄ってくるような剛胆なヤツもいる。
「しかしこのままでは食べづらそうですね」
「ちぎった方が食べやすいだろうな。ちょっと手出してくれ」
 促すと、少女は素直に両の手のひらを上にして出した。その手のひらの中へ食パンを細かくちぎって入れてやる。
 すると。
「きゃっ……!?」
 一羽の鳥が待ちきれないと言わんばかりに、彼女の手首へ飛び乗ってきた。他の仲間たちが地上でおあずけを食らってる今がチャンスと思ったのか、さっそく少女の手の中のパンをついばみ始める。
「こら、お行儀が悪いですよ……って、」
「え?」
 思わず二人そろって顔が呆けた。
 抜け駆けをした仲間が許せない。そんな勢いで飛び上がった五、六羽の鳥が、一斉に彼女の手のひら目がけて群がってくる。すぐ間近でバサバサとすごい羽音。
 あっという間に少女は何羽もの鳥にたかられてしまった。
「きゃあぁぁっ!」
「っ! 大丈夫か!?」
 とっさに鳥が襲ってくるホラー映画を思い出す。まさかそこまで獰猛ではないだろうが、それでも襲われてるのに違いはない。彼女から鳥を振り払おうと全身に力をこめ、

「や、ダメです、くすぐったい。きゃ、やっ、ふふ」
「…………あれ?」

 とっさに動きを止めた。
 大量の鳥に集られた少女は、楽しそうに笑っている。
 鳥たちも無遠慮に彼女の手のひらからパンをついばんではいるが、彼女自身に攻撃しているわけではないようだ。嬉しそうに鳥を見つめる笑顔に、肩から余分な力が抜けた。
 何歩か離れて眺めてみる。鳥に襲われていた少女は、本人が積極的に楽しむことで、鳥と戯れるという姿に変わっていた。

 よかった、どうやらここも喜んでくれてるようだ。
 ここだけでなく、前も、その前も。彼女はずっと楽しそうだった。
 ブティックなんてあんまり行く機会なかったけど、紳士服コーナーに引っ張っていかれて彼女の着せ替え人形にさせられた。ボーリングに行くと、最初のゲームで負けたのがよっぽど悔しかったのか、二度、三度と勝負をせがまれ、最後にはターキーまで取られて俺の大敗で幕を閉じた。
 以前セイバーをボーリングに連れていったときは周囲の注目を浴びてへそを曲げられてしまったけど、この少女は他人の目があまり気にならないのかもしれない。ターキーのときはあの時以上の注目を集めていたが、そんな中で最高の笑顔を見せてくれた。
 今回のデートの目的は、彼女からセイバーに関する何らかの証拠を掴むことだ。そのためにかつてのコースを連れ回している。
 でも、やっぱり彼女が楽しんでくれるのは、純粋に嬉しかった。

「シロウ」

 名を呼ばれる。眩しいくらい満面の笑みで。
 今の幸せを満喫している表情。見ている方まで幸せになれるほど温かい。
 こんな時間が――――

「シロウ、この子たちはまだパンを欲しがっています。よろしければ……」
「ああ、悪い。今追加するから待ってろ」

 こんな時間がずっと続けばいい。彼女の笑顔がずっと見られれば。
 自分の顔にも自然と笑みが浮かぶのを自覚する。
 彼女をもっと喜ばせるべく、パンの入ったビニール袋を握りしめ、少女の元へと歩み寄っていった。










 あちこちの店をはしごして、ちょうど海浜公園のあたりを歩いていた頃、太陽が真上にさしかかった。
 おそらく近所のファーストフード店で買ったのだろう、ホットドッグを食べ歩く中学生ぐらいの子が向かいからやってきて、すれ違い通り過ぎてゆく。
 するとそれを見送った少女が急にそわそわし始めた。
 ちょっと意地悪かなと思うが、わざと聞いてみる。
「どうかしたか?」
「あ――いえ。たいしたことではないのですが……」
 それでもやっぱりそわそわと、せわしなく周囲を見回している。視線をよく観察してみれば、彼女の目線は主に食べ物を売っている売店や店へと飛んでいるようだった。
 内心でそんな彼女らしさに笑みをこぼし、意地悪をやめて問いかける。
「そろそろ昼飯にするか? そのへんの店でなんか食べよう」
「そ、そうですね。そろそろお昼にしましょう」
 こくこく、と頷く少女。やっぱり腹減ってたんだな、素直に言えばいいのに。
 もちろん店はあの日も寄った川沿いの喫茶店。正直なところこういう難しそうな店はやっぱり苦手だったが、今日はあの日と同じデートコースをたどると決めたのだ。ところどころ忘れてる店もあるはずだから、覚えてるところはできるだけ忠実に辿らねばならない。
 記憶にあるとおりの道をたどり、目的の喫茶店のドアに手をかけた。
 ――――と。
「シロウ……あの、ここへ入るのですか?」
 おずおずと少女が問いかけてきた。
「え、そうだけど」
「……………………」
 とたん彼女は黙り込む。瞬時に雰囲気が重くなった。
「なんだよ。マズいことでもあるのか?」
「……いえ、そういうわけではないのですが……」
 うつむき、一瞬黙り込む少女の姿は、いつかの土蔵でのセイバーに関する問答を思い出させる。
 そんなことを考えていたからだろうか。
「シロウこそ、なぜここを選んだのですか。適当に目についたから、という感じではなかった。貴方は初めからここへ来るつもりだったのでしょう」
 何気ない、ごく自然な質問が。
 あの晩と同じ詰問のように聞こえてしまった。
「…………別に、たいした理由があるわけじゃない。前に遠坂がここはいい店だって言ってたのを思い出しただけだ」
 少女は小さく、そうですか、と呟いた後。

「――――シロウがそう言うのなら、私は従うだけですが」

 どこかで聞いた、しかし今の彼女が言うにはものすごく不自然な言葉を。
 抑揚のない声で告げていた。










 鼻をくすぐる料理の匂い。昼時の喫茶店では俺たちと同じように昼食を頼む人が多いのか、コーヒーや紅茶の匂いより腹にたまりそうな匂いの方が多かった。テーブルとテーブルの間は普通の店より広くとってあるが、耳をすまさなくても他のテーブルのおしゃべりが小さく聞こえてくるぐらいには客が入っている。
 前に入ったときと同じく気遅れする店構えだが、一度入った分免疫がついている……と思う。たぶん。周囲を見回せる余裕があるのはその証拠だろう。
 けれど前回に比べむしろ緊張の度合いは高い。
 原因は俺自身と、そして正面の席に座っている金髪の少女。
 二人とも無言のままですでに十分が経過している。
 …………気まずい。
 すでに料理は注文し、あとは食事が運ばれてくるのを待つだけなのだが――――
「シロウ」
「なっ、なにか!?」
 突然声をかけられて飛び上がらんばかりに驚いてしまう。彼女はこっちの驚きが伝染したのか、一瞬軽く目を見開き、
「すみませんが少し席をはずします」
「え、でも……じき料理来ると思うぞ。どこ行くんだ?」
「……シロウ。貴方はもう少しデリカシーというものを学ぶべきだ」
 ジロリと冷たい目で睨まれる。……う、そういうことか。
「あ、ああ、わかった。早く戻ってこいよ」
「はい。では」
 スッと立ち上がり、店の奥――おそらくトイレへと消えていく少女。その後ろ姿をほんのわずかの間だけ見送り、無人となった正面へ視線を戻した。
 カラッポの席を見て、大きくためいきをつく。
 あの少女と無言で時間を過ごすことなんて珍しくない。特に稽古の休憩時間はいつもそんな感じだ。
 それでもさっきの沈黙が痛かったのは、いつものような話をしなくてもいい沈黙ではなく、話をしづらい沈黙だったからだ。

 ……どうしてか、デートの雲行きが怪しくなってきたのには気付いていた。
 公園で鳥に餌をやっていた頃は、彼女のテンションも最高潮で、今日のデートは気兼ねなく過ごせるなとすら思っていた。セイバーはどこへ連れ回しても反応が薄く、こっちも彼女の顔色をうかがいながら店を決めていたぐらいだったし。
 それに比べて少女の反応はわかりやすく、しかもどこでも楽しそうに笑っていた。セイバーのことを調べる、という命題を抜きにすれば、ひとつも心労のタネはないはずだったのに。

「……なんでだろ。途中から急に下り坂になったような……」

 公園の後、骨董屋に寄ったあたりから、だんだん彼女の様子がおかしくなっていった。
 わくわくと期待に満ちた瞳には影が見え始め、弾むような足取りがゆっくりとしたものへ。口数は目に見えて減り、終始浮かべていた笑顔はだんだん生彩を欠いてしまった。
 最初は疲れたのかな、とか骨董屋は気に入らないのかな、などと思っていたが、その後はどこへ連れて行ってもデートを始めた頃の、嬉しそうな彼女の笑顔は見られなかった。
 元々沈黙を美徳としている節のある彼女を思えば普段とそう変わるわけではない。でも始めの浮かれ具合を見ていると、なぜこうなってしまったのかはどうにも気になるというもので。
 極めつけはさっきの態度だ。この店へ入るときの、気の進まない様子。
 ここは遠坂のオススメだし、前のデートもこの店に入ったから味は保証できる。なのに彼女は、なぜこの店へ入ろうとしたとき、素直に入らなかったんだろう。
 不思議といえばさっきのもそうだ。ランチセットを頼み、セットメニューのドリンクを頼もうとしたとき。

 ――――俺はコーヒー。彼女は……、
 ――――私もコーヒーでお願いします。

 意外な意見だった。彼女なら紅茶を頼むと思っていたのに。

 ――――え? 紅茶じゃないのか? ここ、紅茶もあるぞ。
 ――――いけませんか。私がコーヒーを飲んでは。
 ――――別にいけなくはないけど……。

 少女の目がなぜか俺を睨んでいるように見えて、つい語尾を濁す。予想外だったから驚いただけなのに、なんでそんな、挑むような目で見られてるんだろう。

 ――――ただ、紅茶じゃないのかなって思っただけだ。
 ――――なぜです。私はそんなにここで紅茶を飲んでいると思われているのですか。
 ――――だっておまえ、紅茶好きだろ?

 うちで出すのはせいぜいティーバッグの紅茶でしかない。もちろん茶葉で入れた方が味が良いのはわかっているけど、こっちのが保存がきく。たまにしか飲まない紅茶ならこれぐらいのがちょうどいい。
 以前おそるおそる出したところ、彼女も文句ひとつ言わず黙々と飲んでいたから、まあいいかと思っていたのだが……
 ある日遠坂が、もうこの家の紅茶事情には我慢できないとばかりに、お気に入りの茶葉を持ってきた日のこと。少女はその高級茶葉を見た瞬間、興味津々といった体で、早く淹れてくれと遠坂にせがんでいた。
 そうやって淹れられた、絶品の紅茶を味わった美少女二人がそれはそれは幸せそうに笑うのを見て、ああせめてスーパーの市販品でいいから茶葉を買っておくべきかとひそかに反省していたというのに。

 ――――……………………。

 彼女は、俺の返答を聞いてじっと黙り込み。

 ――――たまにはそういう気分のときもあります。私も今日はコーヒーが飲みたいのです。

 とてもそんな気分を連想させない寂しげな顔で、言い切った。
 それはコーヒーを飲みたい、のではなく。
 紅茶を飲みたくない、のではないかと思わせるほど。
 それになんと返せただろう。
 たかが喫茶店の飲み物ひとつ。紅茶だろうがコーヒーだろうが、多少気分の違いはあれど、そんな大きな差ではない。
 なのに彼女は、飲み物を決めるだけとは思えないほど悲愴な顔で、コーヒーを選択していた。
 …………なにかがおかしい。わずかな違和感を感じる。でもそれはなんなのか。
「――――――――」
 誰もいない正面の席。
 そこをじっと見つめていると、
「シロウ、お待たせしました」
 スッと視界に人が入ってくる。少女が戻ってきたようだ。
「お、お帰り。まだ料理も来てないし、全然待たせてないぞ。
 …………って、ん?」
 席に座った彼女の姿を見て、驚いた。
 少女の髪型がさっきと違うものになっている。
 後ろでシニョンにして、周りをぐるりと編み込んだ、いつもの彼女のヘアースタイル。

「髪、どうしたんだ? 結ったのか?」
「え、ええ……。今日は少し暑いものですから」
 彼女はなぜかわずかに目をそらしながら言う。
「…………?」

 すでに十月もほとんど終わっている。髪をまとめなきゃいけないほど暑いとは思えない。
 それでも体感温度には個人差があるし、彼女とは服装も違う。そんなものかな、と納得した。
 ……ただひとつ。
 小さく、心の中にトゲのような違和感だけを残して。










 午後になってもやる事は変わらない。俺は彼女をただひたすらあちこち引っ張り回し、彼女はただ黙ってついてきてくれる。
 行きたいところはあるか、と水を向けてみても、
「まだこの町には詳しくないので、シロウにおまかせします」
 と言うばかり。そりゃ遊園地とか動物園とか言われると困ってしまうが、ゲーセンとかアクセサリー屋とか、普通の町ならば普通にありそうな場所すらも候補に上がらない。
 こっちはこっちで、ならばとかつてのデートコースを丹念にたどる。あの日のデートでは後半へ行くにしたがって、セイバーのわずかな反応から彼女の感想がわかるようになっていった。そのときのことはまだ覚えている。どの店では足取りが軽く、どの店では顔が怒っていたのか。
 しかし。

「……………………」
「……………………」

 昼食が終わってからすでに三時間。また二人、無言で店を出る。
 注意して彼女の足取りを見るが、それは明らかに重かった。
 昼食をとった喫茶店を後にして以来、少女はずっとこの調子だ。ここなら喜ぶだろう、と期待している店も、ここはたぶん怒るかな、とヒヤヒヤしている店も、ずっと心ここにあらずな様子で入り、そして出ていく。
 機嫌の判断基準にしている足の運びは常に遅い。特に入店のときは、まるでここには入りたくないといわんばかりに引きずっていた。
 そのくせ、

「……面白かったですね、シロウ」
「――――――」

 そう言って、少女は笑う。午後になってから入った店全てに。
 必ず店を出た直後、そうやって笑うのだ。
 ……それが作り物めいて見えたのは、何店目からだっただろうか。
 気付いてしまえば、もうその笑顔が偽りだとはっきりわかってしまう。彼女は俺に気をつかって、偽りの気持ちと偽りの微笑みを見せているだけなのだと。

「――――――――」
「……シロウ?」
「…………ああ、そうだな」

 それが苦しい。
 たしかに、彼女の笑顔は見たいと思った。自分のために笑えなかったセイバー。今の少女は楽しいときに惜しみなく笑顔を見せてくれる。そんなことが嬉しくて、笑顔の増えた少女にとても安堵していた。
 でも、俺は。
 決してこんな笑顔をしてほしかったんじゃない。

「………………」
 ただ、原因はわからなかった。
 彼女がこんな顔をする理由。最初は間違いなく本物の笑顔だったのに、いつしか偽りの笑顔と入れ替わってしまった理由。デートが進むにつれ、偽りの笑顔すらどことなく固さを増してゆく理由。
 原因がわからなきゃ、結果を取り除くことなんてできやしない。
「じゃ、次行こうか」
「はい」
 だから、たぶん次の店に賭けるしかないと思った。
 あそこならきっと気に入ってくれる。
 それは確信というより、なかば祈りに近かった。










「なっ――――」
 ががーん、と立ちつくす少女。
 その肩がふるふると震えているのを見て、これはいける、と内心で希望を見出した。
「シ、シロウ、ここは」
「町で一番品揃えのいいぬいぐるみ屋だってさ。けっこう色々あるだろ」
 彼女の反応はあからさまにさっきまでと違う。きょろきょろと落ち着きなくさまよう視線は、あまりに興味がありすぎてどこから見ていいのか迷っているせいだろう。無意識なのか、組まれた指がもじもじと動いている。早くさわりたくてたまらないみたいだ。
 小さな希望は勝利の予感に変わった。よしよし、どうやらここは当たりみたいだな。
 数時間ぶりに楽しそうな彼女を見てると、こっちまで嬉しくなってくる。
「ほら、こっち。動物系のぬいぐるみがあるぞ」
「はっ、はいっ……!」
 上気した頬でついてくる少女。よっぽど嬉しいらしく、小走りになって今にも俺を追い越しそうだ。
 案内するつもりが置いていかれないようついていく形になり、間もなくところ狭しとぬいぐるみが並べられた陳列棚に到着した。
「――――――――」
 ほう、ともれる小さなためいき。疲れた、とか落胆した、とかではない。あれは感嘆のためいきというやつだ。
 その証拠に少女の目線はさっき以上に目まぐるしく、全てのぬいぐるみを巡っている。
 きっと今の彼女にはぬいぐるみ以外のなんにも目に入ってないだろうが、忘れられるのもちょっとだけ寂しい。なので声をかけてみた。

「気に入ったか?」
「ええ、もちろ――――、
 ……………………」

 スイッチを切り替えるような唐突さだった。
 たった今まであれだけ瞳を輝かせていた少女は、突然目を見開いたと思うと、彫刻にでもなってしまったかと思うぐらいピタリと微動だにせず固まった。
 まるで何か、恐ろしいものを見つけてしまったみたいに。
「お、おい。どうしたんだ?」
「………………………………」
 すっ、と姿勢を正し。彼女は俺へと向き直る。
 なぜかその瞳に、悲しげな色を宿して。

「……シロウ。なぜ私をここへ連れてきたのですか」
「へ? な、なんでって――――」
「なぜ、私をこの店の、この場所へ連れてきたのです。他の陳列棚もあったはずだ。
 なのにシロウが迷わずここへ連れてきたのは、何か意味でもあるのですか」

 いや、だって。

「女の子は、こういうの好きかなって…………」
 突然の質問の意図がつかめず、どもりながら答える。それ以前に彼女がなぜそんな泣きそうな顔をしているのかぜんぜんわからない。
 さっきまであんなに喜んでくれてたのに、どうして。

「…………。いえ。私はそれほど好きではありません。
 出ましょう、シロウ。ここにはあまりいたくない」

 はっきりと、今日初めて口にされた拒絶の言葉。
 作り笑いをする余裕すらなく。
 少女は呆然とする俺を取り残し、一度も振り返らぬまま、店を出ていってしまった。




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