ビュルルォォォォッ!
一陣の風――いや、風というより突風と呼ぶべきソレは、どのような理屈からか植木鉢に向かい、まるで竜巻のようにぶつかっていった。
「――――え?」
思わずマヌケな声が漏れる。
およそ自然の状態ではありえない風がいきなり吹いてきて、ソレが俺の頭を救ったのだ。
風に押されて、植木鉢の軌道がズレる。植木鉢は地面の何もない場所に落ち、ガチャンとハデな音をたてて割れた。
普通なら落下地点であった俺の頭は割れておらず、キズひとつない。
「士郎っ!?」
先に昇降口に入っていた遠坂が、事態を察して駆けつけてくる。他にも登校中だった生徒たちが集まってきた。
「大丈夫?」
「ああ。助かった――いや」
助けられた、のか?
理由もわからず、そんな考えが頭に浮かぶ。
「…………?」
いきなり言葉を切った俺を見て疑問符を浮かべる遠坂。いきなりおかしな考えをして疑問符を浮かべる俺。
植木鉢から頭を守ってくれた、一陣の風が、不思議なほど心に引っかかった。
今日は土曜日だったおかげで、授業は午前中のみ。部活動をやる連中は午後も学校に残るのだろうが、俺は早々家に帰ることにした。
昼食はどうしようか? 実は何も作りたくない、というのが本音だ。藤ねえと桜は弓道部、遠坂は家で食べるのだろう。
今日の昼食は俺が一人で作り、一人で食べる。その本人にまったく食欲がないのなら、気力もなくなろうというもので。
学園の名物となりつつある坂を下る。うちの学園へ通う生徒の大部分はこの坂を下り、それからいつもの交差点で各々の帰路をたどる。
そんなわけでまだあちこちに、学園の制服姿の人影が見てとれた。
俺も彼らの一団に混じりながら足にまかせて道を歩く。身体というのは不思議なもので、頭で考え事をしていても、ある程度慣れた行動を勝手にとってくれるらしい。
歩くことは身体にまかせていたため、頭の中はここ数日のことでいっぱいだった。
――2日前から俺達を見張る視線。けれど不快ではないその気配。俺を助けた謎の風。
なぜか事あるごとに思い出される、少女の姿。
俺はどうかしてしまったのだろうか。すべての符号があいつに結びついてしまう。
そんなことあるわけないのは、自分が一番よくわかっているというのに。
あいつは自分の時間へ帰った。もう手を伸ばしても届かない。
あいつの未来には、あとは破滅しかないと知っていながら、それでも彼女の人生で最も大切なものを守れると信じていたから、手を離した。
だから。あいつは――――セイバーは。
彼女の誓ったこと、王としての誇りを胸に、眠りについたはずなのだ。
そこに後悔はない。ない、はずだ。
たとえセイバーを思い出すたびに、愛しさと共に沸き上がる切なさを抑えられなくとも。
それは後悔や未練とは違う名前のつくべきものなのだろうから。
セイバーは納得して逝ったはずだ。それはちゃんとわかっている。
だから。
セイバーが、今ここにいてくれたらどんなにいいかと、そんな夢想をすることは――――
…………どどどどど…………
エンジンの音が聞こえる。うるさい。
たとえ俺にその気がないとしても、こうして彼女のことを思ってしまうのは、未練ではないのだろうか?
いや、それはたぶん許されない。あの時、セイバーの手を離したのは俺自身の意思。
ならばどんなに辛くても、あの時の選択を後悔してはいけない。
信じたものを胸に走り続けること。それがセイバーがあの戦いで見つけた答え。
パパパパパパパパーーーーーー!!!
今度はクラクションの音。
うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。
今はセイバーのことを考えていたいんだ。邪魔しないでくれ。
だから。俺は。
「きゃあああああっ!」
女生徒の悲鳴があがる。
絹を裂くような声で我に返り、はっと顔を上げると――
眼ノ前ニとらっくガ迫ッテイタ
「え――――――?」
ギャキュルルルルィィッッッ!!!
ドン、と体に衝撃が走る。
ハデな音とゴムの焦げるにおいがあがり。
自分の視界がグルグル回って、地面を転がるのがわかった。
やがてブレーキが効き、トラックが止まる。
俺はそれを、血に濡れた瞳で見上げ――
「…………あれ?」
――ることにはならなかった。
道路に焦げ痕をつけた車は離れた場所にあり。その近くには何も転がっていない。
驚いた。まるでテレポートでもしたかのようだ。
けれどその次の瞬間、耳朶をうつ声にはもっと驚いた。
驚いた、というより、それこそ何が起こったのかわからなかった。
「シロウ! 貴方は何を考えているのですか!?」
二ヶ月の間では、忘れることなどできなかった、声。
混乱した頭で、おそるおそる顔を上げると、聖緑の瞳が怒りをたたえて俺を見ている。
今は憤怒の表情だが、それでもなお、造作の整った顔がそこにある。
初めて会ったときの月光のような金色の髪。今日の青空のような澄み切った青い服。
これだけ揃ってしまえば、もう、彼女が誰であるかを疑うことはない。
彼女の名を呼ぶ俺の声は、みっともないほど震えていた。
「…………セイ、バー…………」
「なんですか。生半可な言い訳は聞く耳持ちませんよ。あんな大きな車に飛び込んでゆくなんて、貴方の無防備さにもほどがある。
私がここにいなかったら、一体どうするつもりだったのです?」
いや、そもそも。
なんで、おまえがここにいるか、が知りたいのだが。
「――――――ええっと…………」
「どうしました。言いたいことがあるならはっきり言って――――っ!」
その時、言葉の途中で。
突然、俺の体を支えていたセイバーの腕から、力が抜けた。
へたり、と地面にひざをつき、腹をおさえている。
思いがけぬ再会に加え、セイバーの苦しげな表情が、俺からすべての思考回路を奪ってゆく。頭ん中が真っ白になった。
「セイバー!? どうしたんだ!?」
「くっ…………」
「おいセイバーしっかりしろ! セイバー!」
「シ……シロウ……」
――――ぎゅるるるる
……なんだか聞き慣れた音が耳に届いた。
「――へ?」
セイバーは顔を赤くして俯いている。
これはもしかして…………
「…………まさか、腹へってるのか?」
白い顔をさらに赤くしながら。
彼女は、コクンとうなずいた。