6.シェイクスピア劇的な問題
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イメージ1::ロミオとジュリエット<バルコニーの場>
バルコニーの上の少女::労働者のいない無人工場*1で,誰のためでもないまさに大衆のためのピカピカの新車が大量に生産されている.
バルコニーの下:外には失業者と名を変えた生産物の愛の対象である(しかし,今ではその愛を禁じられた)大衆.
*1 1983年段階では,まさかその工場自体が(海外に移転して)無くなってしまうとは,思いもしなかった.(産業の空洞化という言葉はすでにアメリカから入って来てはいたが,遠い話だと思っていた.)
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イメージ2::ハムレットの悩み
企業が効率を追及するのは不可避である.(重競争化,特に国際的競争のもとで)しかし,企業が削減した労働力をアナーキーに放出することはできない.しかし,それを抱え込んでいたのでは,効率化の効果はまったくゼロに,下手をすればマイナスになってしまう.しかし――,しかし――.*1
To cut or not to cut, that is the question.
*1 ある企業は段階的に時間をかけてそれを行おうとする.工場を閉鎖し,一挙にドラスティックにそれを行おうとするところもある.解雇された人間を吸収する新興産業があれば,産業構造の転換ということになるのだが...
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明らかに,企業的システムとロボット化の要請の間には,不整合――ミスマッチングが存在する.*2
*2 工場の海外移転という現象にも同じ程度に深刻な(しかしより広域の,つまりグローバルな)パラドックスがある.ワークシェアリング(労働時間の短縮と再分配)についても同様だ.
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機械は100%従属的な労働者である.100%従属的な労働者に,人間である労働者は対抗できない.労働の質の点においても,機械は100%の労働者である.その摩滅,精度,作業能率は100%計測可能である.競争社会においては,より有利な条件を提示するものは必ず勝利する.ゆえに労働者の地位は必然的にロボットまで下落する.(それでもなお勝てない.)*3
*3 現在はこれに外国人労働者との競争の問題が追加されている.(日本ではまだ顕在化していないが)ヨーロッパに広がりつつあるネオナチは,移民排斥の主張によって支持勢力を拡大していった.
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マルクス主義の根幹が「労働者は世界の主人公である.自分たちがいなければ社会は動かない」という主張にあるとすれば,労働のロボット化はイデオロギーの1つの終焉を意味するかもしれない.そこではもはや労働者は,ただ単に追われる者,被追放者であるに過ぎず,舞台に戻ろうとしても,もはや演じるべき役自体が存在しない.*4
*4 サービス産業は明らかに最後の「労働」である.人は(ロボットではなく,本物の)人から奉仕されることを望む.この王様ごっこは,かわりばんこに王様の役を交代して,互いにサービスし合うというシステムである.(悪くはないような気もするが...7人で一日王様ごっこをやるとすると,6人の召使を使うことができる.)
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もし,労働者が社会のマイクロシステム化,ロボット化から何のメリットも(直接)受け取ることができないとすれば,そのようなシステムに協力的であれと要求することは難しいだろう.*5
*5 それよりも早く,(準備も整わないうちに)高齢化社会の幕が開いてしまった.人はパンだけで生きるわけではないから,「希望」を抱けるうちはやってゆけるだろう.しかし,(希望という)花束を抱えて舞台の上を眺めても,どこ(の政党)にも持って行きようがないという状況がある.