このことは,彼女がゲームに協力的であるか,非協力的であるかということが最終的なゲームの結果にほとんど影響を及ぼさないということを意味している.つまり,彼女の方でも積極的に私を捜し求める行動に出たとすると,それは場合によっては決定的にやぶ蛇になる可能性をはらんだ行動となり得る.彼女のいる場所に私が現れなかったとき,彼女はその場所が私の探索路から外れていると判断するだろう.彼女はそこを出て別の地点に移動する.しかし,私はその直後に,まだ彼女のヒップの重みから回復していないシートに腰を下ろすことになるだろう...

相手が逃れようとしている場合にもおそらく事情は同じである.つまり,当事者が互いに切実に会いたいと思っているか,絶対に会いたくないと思っているかは出会いの確率そのものになんら影響しない.それでは,2人が会えるか会えないかを決定するものは何であると言うことができるのだろう.私は明らかに,このゲームによって「神意」を問おうとしていた.

私の持ち時間は妻が帰宅するまでの正味1週間だった.彼女は昼間は美容室で働いていたが,彼女が夜の自由時間の間街に出ていると前提することについては特に問題はないと思われた.このスリルに満ちた2探索ゲームへの参加権を彼女が自発的に放棄するなどということはほとんど有り得なかったと考えてよい.

私たちがピーターパンで出会った翌日,彼女を探す私の2回目の旅程に際してまず私が訪問しておくべき地点はどこを置いても,ピーターパン以外有り得なかった.私は再びその店の階段を上り,大扉(手作り風の木製ドアで,インチスケールの幅も高さも日本式の尺度より一回り大きいものだった)の前に立って,ノブを回した.指に強い抵抗を感じて眼を上げると,前に一枚の貼り紙があった.「本日は都合により,お休みさせていただきます.ピーターパン」

私はピーターパンの狭い階段から仰向けに突き落とされるのを感じた.(私の知る限り,これまでピーターパンはただの一度も勝手休みしたことはなかった)私はこの探索の第一歩ですでに完全にオリエンテーション(方向感)を失った.私はあてもなく街をさまよい,いつか西公園の中に入っていた.