広い公園の中をくまなく歩き,再び,広瀬川を望む南側の柵の前にいた.眼下にはテニスコートほどの広さを区切って,まったく踏み荒されていない名残りの雪がぽっかりと白く残っていた.

私は柵を乗り越え,急な斜面を滑り落ちるように降りて河原に出ると,落ちていた木切れを拾って真っ白い張りたてのキャンバスに向かった.私は広い雪の面にできるだけ靴跡を残さないように気を付けながら,大きく CHAO の文字を刻み付けた.公園の柵に戻って見直すと,木切れで彫った文字には黒々とした地色が表われて,夜目にもくっきりと私の愛する女の呼び名を判読することができた.

これは私からチャオに宛てた,有効期限付きの通信文だった.もし,時間を無為に過ごすことになれば,文字はすみやかに輪郭を崩してついには判読不能な名宛人不明の郵便物となってしまうだろう.このメールが宛先不明のまま自動消滅するときに,私たちのゲームもタイムアウトするのだと私は考えた.

私はベンチに腰を下ろして,物思いに沈んだ.(確かに,このベンチこそ私たちが過ぎゆくままの時間を過ごした当のベンチであったに違いない.もし,そうであるとすれば,私は公園の中で多分このベンチを特定することができる)測定することのできない時間が経過し,眼を上げると,直前に立っている一本の木が目に映った.丸裸になった樹高4メートルほどの落葉樹だった.木は根株のところから分岐した2本の幹を持っていた.この2本の幹を引き裂くことはできないのだ,と私は考えた.そして,私はそれが私と妻の関係を表象するものであるという観念を受け入れた.

妻の存在はもとより,私に取って極めて大きなものであった.私には自分の勝ち目が薄いということも分かっていた.しかし,私はいま,女を追いかけて走ろうとしている.いや,すでに私は走っていた.クローデルの「繻子の靴」で女主人公は「私が走るときには,どうぞこの靴が私をつまずかせてくれますように」と神に祈り.そのことば通り靴は彼女をつまずかせたが,主人公はそれを路傍に捨てて,裸足のまま男の元に走ったのである.