私は,収録されたすべての曲の歌詞カードを注意深く読み,それらすべてがいまの私とチャオのポジションに深く関係するものであることを理解した.私は,これらが私たちの関係のリアリティとその実現可能性を完全に実証するものであることを確信した.しかし,思いがけないことはその次の瞬間に発生した.演奏は突然,あのレコード係の手によって荒々しく中断されたのである.このようなことは有り得ないことであった.たとえ彼が,このレコードを彼のほんの気まぐれで掛けていたにしても,お客である私がその曲に興味を持ってジャケットの情報を読んでいる最中であり,彼はそれを知っていた.

私は打ちのめされ,なすすべもなく泣いた.私は泣きながら,その正方形の白い紙に記されたおそらくは決して成就することのない啓示の書に記された文字を,繰返し,繰返し読んだ.私はかなりの時間泣き続け,ようやくのことで涙が止まると,その店を出た.

一番町の丸善の角から少し北に入ったあたりには,JAMというライブハウスがあった.もともとは普通のジャズ喫茶だったが,改装してジャズ以外のジャンルも受け入れるようなライブハウスになっていた.週に一回くらいアマチュアバンドが入って生演奏をやっていたように思う.オーナーは私よりいくらか年上の少し頭の薄くなりかけた気のいい人だった.CREATIONというバンドが中央に出て活躍を始めていた時期で,仙台の音楽シーンはかなりホットな状況にあったと言えるだろう.

この店に貼られていたポスターから,CREATIONの仙台公演(これは彼らに取って言わば凱旋公演に当たるものである)が間近に迫っていることを知った私は,あることを思い付いて実行した.つまり,このコンサートにチャオを誘ってみようというアイディアである.チケットを買った場所はあまり,定かではない.地下街のプレイガイドだったような気もするのだが,仙台に地下街はなかったはずだから,別の記憶と交錯しているのかもしれない.私は有り金をはたいて,そのプレイガイドに残っていた一続きの席をまとめて買った.