居間には,3人の子どもと妻と私が座るのに十分な広さを持った,ホワイトパインの厚板を接ぎ合わせて作った前方後円の大きなテーブルと無垢の栗材を使ったベンチがあり,妻はその上で洗濯物をたたみ,子どもたちはそこに宿題や工作を広げ,私には一番安いウィスキーのボトルと本と氷を置く余地があった.庭には私の郷里から苗木で持ってきた栴檀が大きな木陰を作り,芝生では子どもたちの誕生日の祝いにそれぞれに与えたニワトリと猫とモルモットが子どもたちのよい遊び相手になっていた.

仙台市の街路はほぼ東西・南北に直交する条里制になっていて,なかでも一番の繁華街は駅前から南に伸びる中央通りとそれに直交する一番町の2つのアーケード街である.一番町に並行してネオン街,国分町がある.国分町と次の細横丁の間の小路にそのころ,ピーターパンという喫茶店があった.店は小さなビルの2階にあり,路に面した入口には木製の看板が掲げられ,そこには赤い帽子をかぶって空を飛んでいるピーターパンの絵が彫り込んであった.

この店の客層は20歳前後で,店のオーナーの長嶋くんも精々25,6だったろう.奥さんは恵という名前を持つ反っ歯系の美人で,皆からはメグと呼ばれていた.音楽は主にロックを中心に,アメリカから取り寄せた直輸入盤をいち早く聞かせる店だった.2人ともM美大の出身でYMOの誰かと友人だとか言っていたが,選曲には確かな耳と情報源を持っていたように思う.おそらく,ジャクソン・ブラウンやジョニー・ミッチェルあるいはレゲェなどの音楽をもっとも早い時期にかけた店の1つに入るのではないだろうか?

道路側に面した窓には遮光のために薄いインド製の絹の更紗を下ろし,正面の大きな木製のカウンターの横に立たせた手書きの笠を持つ大きなフロアスタンドが,オレンジの光で不足する照度を補っていた.この店は私の一番のお気に入りの店だったが,すでに30に届こうとしていた私にとって,月に一度立ち寄るのもやや気が引けるものがあった.