■1975年2月14日,聖バレンタインの日の夕方,私はこの店の階段を多少沈んだ気分で上っていた.(この時期,妻は特別の理由も無かったと思うのだが,九州の実家に子どもたちを連れて帰っていた)私は妻の手製のニッカポッカーを履き,長靴下をほとんど覆う長い編み上げのブーツを履いていた.
■(ニッカポッカーは大工の作業着兼礼装として着用すべきものであったが,作業着の専門店で売っているニッカはカフスの位置がほとんどくるぶしのあたりに来るような野暮ったいものしかなかったので,私は妻に頼んで膝小僧までの丈の短い特製品を作ってもらって常用していた)
■私はその日,そこでチャオに会った.チャオはこの店の常連だったから,初めての出会いというわけではない.チャオの席はたいがい店の奥の壁際に沿って長く一繋ぎになったベンチだった.つまりいつもは,チャオの席は私が振り返らなければ見えないような位置にあった.もっとも,チャオは頻繁に前のカウンタに来てメグやマスターと話し込んでいたから,チャオを捉えるショットは何枚となく私の記憶の中にスタックされていたに違いない.
■チャオが誰か特定の相手と付き合っていたという記憶はない.チャオは脚がもつれてしまうような黒のきついタイトをはき,多分中くらいの高さのヒールを履いていた.チャオの髪はチリチリのアフロで,こんもりとマッシュルームのような形に刈りそろえ,耳たぶにはやや虹色を帯びた白い大きめの石が見えた.私も,これは主に作業上の便宜から,髪に短くて強いパーマをかけていた.
■この日,チャオは珍しくいつも私が座るあたりの店の中央部に席を取り,その席の隣は空いていた.そして,私はその空いているところに座った.チャオの名前を尋ね(チャオというのは彼女が自ら名乗った呼び名である),それから私たちは少しづつ自分自身のことを話した.彼女は仙台市の生まれで両親と共にこの街に住み,美容師であるか,ないしインターン生だった.
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