私は,私がまだ20歳になる前に書いた短い小説について話していた.小説は「蒼いガラスについての三つの詩」という題名でちょうど10年前のこの日,つまりセントバレンタインデーに私が出会ったある少女についてのエピソードを含むものだった.この小説は学生団体が主催する学内のコンテストに応募するために書かれたものだったが,次席に抜擢され,私の所属していた文学サークルはそれをサークル誌に転載した.

そのころ私は大学を滑って浪人の身であった.1965年2月14日,聖バレンタインの日,私はおそらく高校の卒業証明書を取りにゆくか何かの用事で隣町のK市に出かけた帰り,駅前の路地裏にある白十字という喫茶店で加藤サトコと名乗る少女に出会う.(これが私にとって,喫茶店という場所に入る初めての経験だったということは強調されてもよいだろう)

白十字は狭い階段を下りた地下にあり,かなり広くてかつ薄暗かった.私は入口に近い席に座り,サトコはボックスを3つほど隔てた向こうの席にこちら向きに一人座っていた.彼女はうつむいて本か何かを読んでいるようだったが,顔を上げて2人の眼が合うと穏やかに微笑した.そのようなことが何度かあり,彼女は私を自分の席に誘った.「こちらに来て話ししない?」

サトコの髪は耳たぶが出るか出ないかくらいのストレートなボブで,額にかかる前髪もまっすぐ水平に切り揃えていた.丸みを帯びたたまご型の顔立ちに切れ長の眼を持ち,眉を薄く引いていた.彼女はマッチをテーブルにこすり付けて発火させ,タバコに火を移すと,そのマッチの作り方を教えてくれた.また,彼女は18歳で,しかも生年月日がまったく同じということも分かった.

サトコは「ずーっと遊んでいた」と語り,「でももうそろそろ卒業して,働く」と続けた.サトコの年下の女友達がボーイフレンドと一緒にやってきて同じ席に座り,サトコはその少女のオーバーコートのボタンを手すさびに弄びながら,忘れがたいしっとりと甘みのある細く絞った声で「チー,このボタンもう付け直した方がいいよ」と言った.