私はこの後もう一度,思いがけなくも今度は私の町でサトコに出会うことになる.「ほそみち」というこの当時ではかなりおしゃれな洋品店が開店し,その店の中で働いているサトコを通りすがりに発見したのである.私はその場で店に入ってゆく勇気を欠いていたけれど,3月10日の2人の共通の誕生日には必ず訪ねてゆこうと固く決心した.

やがて3月10日が来て,私は小さなプレゼントを携えその店に行った.店内を見渡すとサトコの姿はどこにも見当たらず,尋ねると,「あの子なら,もうとっくに辞めてしまいましたよ」という何気なしトゲのある返事が返ってきた.(行き場を失い赤いリボンで永遠に封じられた箱の中には,東京に勤めに出ていた姉に頼み込んでデパートで買って来てもらった匂い袋の他に,紙切れとなってしまった私の小さな詩も入っていたはずだ)

少女は突然にほとんど蜃気楼(巨大なハマグリの吐き出す息によって現れる幻視的な楼閣)のように消えてしまった.もし,これが光の異常屈折に由来するミラージュであるとしたら,なぜ,と問うことが果たして可能であろうか? 私の眼球の屈折率がそもそも異常であったのか,あるいは,少女が私に与えたイメージが実は小さな貝である少女の吐き出す息から生成されたミラージュであったというのか? しかし,そのミラージュの中に本人自身が複屈折して消失してしまうという現象をどう説明することができるだろう?

10数年後私は,私の2番目の妻,つまり現在の妻からサトコについてのもう少し詳しい情報を得ることができた.サトコは私の妻の実家の近くに住み,二人は極めて親しい友人であった.「サトコはこの町を出たきり帰っていない...」

それから10年の歳月が立ち,いまや私は3人の子持ちの男となっていた.チャオは明らかに私よりはるかに若かったが,それにしても25くらいにはなっていただろう.「蒼いガラス」を載せたサークル誌が当時一部だけ手元にあって,私はそれをチャオにその後人づてに手渡している.従って,チャオはここで私からこの物語を直接聞いただけでなく,後でもう一度突っ込んだ読み直しをしていることになる.