チャオも私もこの店ではよく知られていたので,店を連れ立って出るときにはやや頬の火照る思いがしたが,何気ない振りをしながら,しかしきちんと女をエスコートしているという姿勢だけは示してピーターパンを出た.私たちは初めてマンボを踊ったときのように互いに歩幅を調整しながら街を歩き(チャオは大柄な女には見えなかったが,ヒールを履かなくても私より背が高かった),中央通りにあるジャズ喫茶マイルスに移動した.

このころ,仙台にはマイルスの他に少なくとも3軒か4軒のジャズ喫茶があった.東京にいたころほどではなかったにしても,依然として私は時折ジャズを聞くという習慣を捨ててはいなかった.チャオもジャズを聞いていたので,私たちは少なくともひとつ共通の趣味を見付けることができたわけである.マイルスで2人はブランデーのグラスを合わせて乾杯し,もつれ込んだセッションから糸玉のように転げ出すサックスのソロのように,急速にほぐれてゆくものを感じながら,熱した電磁コイルの中で震えるメタリックな熱い舌のささやきを過敏に聴いていた.

私たちはそれから再び街に出て,中央通りを南に上り一番町を抜けると人影もまばらな2月の夜の舗道を,2つの影が重なりあって伸びる方向に歩いていった.仙台市の南辺は青葉山と呼ばれる小高い丘陵地帯に囲繞されている.そのふもとを流れるのが歌に名高い広瀬川である.国分町をさらに南に抜けたあたりを立町といい,立町の南の外れ,広瀬川のほとりの高台に西公園という大きな公園がある.西公園の南側の柵によると直下には一面に雪を残した広瀬川の河原が広がり,雪明かりに霞んで墨色の水が密やかにうねりまどろんでいた.