ラブ・ストーリーは突然に・6


 春も終わりに近づき、少しずつ暑くなりはじめる頃。ガウリイ主演のドラマは、クランクアップ(ドラマの全話撮影終了)を迎えた。
 これから打ち上げだ、とまだまだ熱いカントクの叫びを背に、ガウリイはアメリアへと近づく。
 別の女優と話していたアメリアも、ガウリイに気がつくと話を打ち切り、彼の方へ歩み寄ってきた。

 「……なあ、アメリア……」
 「はい? なんですか?」

 なんですか、と言っても、ガウリイにとってここ最近の話題など決まりきっている。毎回同じことを聞いて、同じ答えをもらっているだけの会話。しかし、それでも彼は、聞かずにいられなかった。

 「……えっと……リナは……」
 「元気ですよ。そうそう、昨日も電話しましたけど。ちょっと不機嫌そうでした」
 「不機嫌? なんでだ?」
 「ドラマのせいで自分の人気が出た、っていうのが、面白くないみたいでしたよ。次は実力で認められたいんだそうで」
 「そうか……」

 アメリアの言葉を聞いて、どことなく充実感のある笑顔を見せるガウリイ。たとえて言うなら、遠く想いを馳せるような、もっとわかりやすく言えば遠くへ行って逢えない恋人を想うような、そんな表情。
 ガウリイがなぜ、リナのことを聞きたがるのか。アメリアが直接聞いたことはない。
 彼自身も、話したことはない。もしかすると、自覚すらないのかもしれない。
 しかし、この表情を見る限り、少なくともアメリアには、理由は1つしかないように思えるのだが……。

 「そうですねえ……」

 アメリアは思わずうなる。ドラマの撮影は、本日でクランクアップ。つまりアメリアが、次にガウリイと会う予定は、今のところ全くない。それは同時に、ガウリイがリナと接点を持つこともできなくなる、ということだった。
 ここは、自分が少々、手を加えてやらなければ。ちょっと礼儀違反の方法ではあるのだが、たまには強引なのも、結果が良ければ正義の道だろう。

 「そうだ、ガウリイさん。携帯電話、貸してもらえません?」
 「ケータイ? なににするんだ?」
 「わたしの携帯、電池が切れそうなんです。ちょっとだけですから」

 さあ早く、と目で急かすアメリアに、ガウリイは首を傾げながら携帯電話を取り出す。アメリアは自分の携帯にメモリされている番号を、素早く押して電話をかけた。
 数回のコール音の後、相手の声がする。

 『もしもし?』
 「あ!?」

 相手が誰か、わかった瞬間、ガウリイは声を上げていた。アメリアは指を唇にあて、黙っているよう可愛らしく身振りで伝える。

 「もしもし、リナ? わたし、アメリアです」
 『アメリア!? どうしたのよ、いきなり知らない番号でかけてくるから、びっくりしたじゃない』
 「ごめんなさーい。ちょっと携帯の電源が心もとなかったから、ガウリイさんのを借りてかけたの」
 『ガウリイの? じゃあ今、そこにいるの? ドラマの撮影中?』
 「そう! 聞いてください、やっと今日クランクアップを――」

 女の子の友人同士が交わす、楽しげな会話。機械を通じた声でも、リナの元気さは確かに伝わってくる。
 それを隣で聞きながら、ガウリイはひそかに安堵していた。
 アメリアから何度も、元気にしていると聞いてはいたが、やはり自分で声を聞くのと他人越しに聞くのでは、感じ方が全く違うものだ。

 初めて会った日の焼肉屋で。先日行ったライブの楽屋で。くるくる変わるリナの表情が、声を聞くだけで鮮やかに浮かんでくる。
 しゃべっているのが自分でなくても、会話が心地よい。こんな気分は、ある種初めての体験だった。

 (でも――なんでだ?)

 リナが気になる。いや、リナが元気かどうかが気になる。そういえば、もしもアメリアに元気かどうか聞いて、「カゼひいたみたいです」とかいう答えが返ってきたら、どんな気分になるんだろうか。
 ガウリイが珍しく、頭を働かせ始めた時。

 「じゃあね、リナ。またー」
 『うん。またね』

 会話が終わり、電話は切られてしまった。とたんになぜだかもの悲しくなり、すがるようにアメリアを見るガウリイ。

 「……ガウリイさん。そんなカオしないでください。ちゃんと、この携帯、ガウリイさんにお返ししますから」

 アメリアは、どこか含みのある、満面の笑みを浮かべた。







 太陽は今日も今さっき、自らの姿をビルの彼方に隠していった。空は朱から藍色へと替わりつつある。シンプルにまとめあげられた、おそらく部屋の主に考える頭がないため、他人が内装した部屋の中。ブラインドからわずかにこぼれる夕日に照らし出されて。
 ガウリイは、自分の携帯電話を睨み付けていた。

 ――わたしは、リナの携帯の番号を、他人に教えたりなんかしません。

 アメリアのセリフが、耳によみがえる。

 ――でも、誰かの携帯を借りてかけた時、その発信履歴が残ってしまうのはしかたないことですし。
    まして、それが『間違って』つながってしまうことがあっても、それは不可抗力ですよね♪

 つまりは、リナの携帯番号をこっそり教えてやる、ということらしい。なぜそんなことをしてくれたのか彼にはわからないが、この番号にかければリナにつながることは間違いないだろう。

 (今の時間なら、出るかな――?)

 ためらいつつも、発信履歴からダイヤルする。そしてコール音。1回。
 だがしかし、ガウリイはそこで、電話を切ってしまった。

 「だけどなあ……何話したらいいか、わかんないんだよな」

 声が聞きたい。けれど、用件もないのに電話したら、彼女の性格からして怒りだしそうではないか。
 せめて、何か話す内容ができてから。とはいえ、そうそうリナに話すような内容など、転がっているものではない。そもそも、その『何か』がどういうものか、漠然としたことすらわからないのだ。

 考えて悩むのは、彼のもっとも不得意分野のひとつである。
 とりあえず、話してみれば、話題が浮かんでくるのかもしれないが……

 「………………。よしっ。怒られたら、それはそのときだ」

 深く考えるという、自分の人生において全く行ったことのない行為を今回も避け、ガウリイはまず電話をかけることにした。
 もう1度、同じ番号をダイヤルする。そして始まるコール音。
 けれど今回は、それが1回鳴り終わる間すら与えず、また切ってしまう。

 「うう…………何やってんだ、オレ…………」

 リナの声が聞けるかもしれない、と思った瞬間、ガラにもなくめちゃくちゃ緊張してしまった。ましてその後、怒られて、嫌がられるかもしれないと頭によぎったとたん、指は電話を切っていた。
 声が聞きたいというだけで電話をかけようとしたが、それだけでなぜ、こんなに不安になるのだろう。
 それにしても。声が聞きたいとか、嫌がられたくないとか。

 「まるでオレ……あいつに……」

 ちゃらっちゃーららー、ちゃらっちゃー、ちゃーちゃーん!

 つぶやきかけたガウリイの言葉を、携帯電話の軽薄な呼び出し音が遮った。つい習慣から、あわてて通話スイッチを押して、耳に当てる。
 その時、ちらりと見えた電話の発信番号は――たった今まで、ずっとにらめっこしてた相手。

 (――へ?)
 『ちょっとガウリイィィ! あんたいったい、どぉぉいうつもりよ!』

 電話の向こうから、耳をふさぎたくなるほどの激しい怒鳴り声が響いたというのに、ガウリイは耳をおさえることもせず、呆然としている。

 「リナ……か?」
 『そーよ! このあたしの携帯に、2度もワンギリするなんて、いい度胸してるじゃない!?』
 「な、なんで……オレのだってわかったんだ?」
 『こないだアメリアが、あんたの携帯でかけたでしょ? その時の着信履歴が、まだ残ってんのよ』

 なるほど。
 言われてみれば、マヌケな話である。
 ガウリイの携帯に発信履歴が残るのと同様に、リナの携帯にはガウリイの番号が、着信履歴として残るのだ。つまりはお互いの携帯の番号を交換したのと同じこと。

 お互いの意志で交換したわけではないのだが、不思議なもので、「教えてもらっていない番号へかける」という後ろめたさは消え去っていた。
 わずかに緊張の解けたガウリイの脳裏に、ピースサインをしたアメリアが浮かんで消える。

 「まさか、アメリアのやつ――」
 『なに? 何か言った?』
 「あ、いや、なんでもないなんでもない」
 『それで? ――何の用なのよ』
 「へ?」

 思わず呆けた声をあげたガウリイに、リナがあきれたような口調でたたみかける。

 『へ? じゃないわよ。まさか本当に、イタズラであたしの携帯、ワンギリしたんじゃないでしょうね!?』
 「そうじゃない! そうじゃなくてだな……」

 これは、とてもマズい状況だった。
 声だけでもちろんわかる。リナは、確実に怒っている。確かに二度も厄介な電話をかけたのは、まぎれもなく自分なのだが。
 用もなく電話をかけて怒らせることは可能性に入っていたが、電話をかけようとして怒らせることは考えていなかった。

 どうにかして、リナの機嫌を直さなくては。ガウリイは存在しないはずの回路まで動員して、必死に打開策を考える。

 「メシ……」
 『え?』
 「これからヒマだったら、メシ食いに行かないか? またいい店、見つけたんだ」
 『ほぉー……。ここまでしてうら若き乙女を誘うんだから、当然男のオゴリでしょうね』
 「……おごらさせていただきます……」
 『やった♪ それじゃあ待ち合わせ場所はねえ……』

 先ほどまでとはうってかわった、嬉々とした声。
 そんなリナの声を聞いていると、理由はわからねど、自然ガウリイの顔にも笑みが浮かぶのだった。













 カツ、コツ、カツ。
 細くて長い、無機質な廊下を、二つの靴音だけが響く。

 どちらも革靴のようだが、片方は規則正しくきっちりと、もう片方は音がまばらでのんびりと。いかにも足音の主たちの性格を顕わしているようだった。
 噛み合わない靴音のシンフォニーを、片方の男の声が消し去る。
 銀髪の髪をかきあげ、うっとうしそうに隣の男へ話しかけた。

 「……ガウリイ。もっとしゃんとしろ」
 「しゃんと?」
 「何があったか知らんが、ずいぶん嬉しそうだな。しかし、その顔で特訓を受けようなんて思うんじゃない。真剣味がない、と怒られるのが関の山だ」
 「そんなコト、言ったってなあ……」

 話しかけられた方、ガウリイは、なんとか顔を作ろうとしながら困ったような声を出す。
 昨晩の食事は、ずっと気になってた人物と一緒にとれたためか、異様にうまかった。それが隠そうとしても、顔に出てしまっているらしい。
 なんとかゆうべのことは頭の隅に押し隠し、ガウリイは隣を歩く青年へ訊ねた。

 「それにしても、正気なのか、ゼル? オレに歌をやらせよう、なんてさあ」
 「聞く相手が間違ってるぞ。トチ狂ったのは俺じゃない。事務所に戻って、社長に聞くんだな」
 「そういうのを、止めてくれるのがマネージャーじゃないのかあ?」
 「俺個人としては、仕事の幅が出ると思っている。止める理由はとりあえず、ない」

 ガウリイのデビュー当時からマネージャーをやってる銀髪の青年は、タレントに対してぞんざいな口をきく人間だった。もちろん人前では繕うが、人目のない時はこうして対等な口をきく。
 なにせ、古くからの友人だ。遠慮がないのも当たり前である。

 「だからってさあ……。オレ、小学生の頃、ずーっと音楽の成績は2だったんだぜ」
 「……10段階のか?」
 「いや、そこまで言わなくても……」

 彼らが子供の頃、まだ小学校に10段階評価はない。それを知らないゼルガディスではないはずだ。
 ゼルガディスは、それはそれは恨みがましげな視線をガウリイに向けると、

 「――4月18日」
 「?」
 「忘れた、とは言わさんぞ。お前があの日の午後を空けるために、俺がどれだけ苦労したと思っているんだ」
 「う゛っっ…………」

 ガウリイは思わず呻いた。日付は覚えていないが、心当たりは1つしかない。
 リナのライブに行った時だ。

 「お前がいくら人気俳優でも、まだまだ若手である以上、普通ならそんなワガママは通用しない。ヘタをすれば、あの日以降、仕事が全く来なくなる可能性もあったんだ。それを周囲の恨みを買わず、穏便に済ませるのに、俺がどれだけ大変だったか。お前は本当に、わかっているのか?」
 「………………」
 「それを思えば、歌の地獄特訓ぐらい、おつりとおまけがついてくる」

 言い返せないガウリイへ、ゼルガディスは容赦のない言葉を浴びせる。しかし、事実は事実だ。
 はああぁぁ、と大きくため息をつくガウリイに、ゼルガディスは未だ口調をゆるめず、告げた。

 「もうひとつ、言っておく。別の件で、俺の手をわずらわせないよう、注意してくれ」
 「別の件……?」

 首をかしげるガウリイ。ゼルガディスはガウリイと同じくらい大きなためいきをついて、

 「……今回の特訓、な。スタッフの半数以上が女性なんだ」

 この世の中の人間が、通常は男か女かのどちらかである以上、半数が女性なのは当然の話である。
 しかし、それがマネージャーには頭の痛い問題だった。

 「むやみにフェロモンを出しまくるな。でないとお前にのぼせた女の後始末を、俺がすることになる」
 「フェロモン、って……そんな人を虫みたいに……」
 「違うと言うなら、まずはもっと女を寄せ付けなくなってから言うことだ。
  まったく……今回は、特訓をしてくれる講師からして女性だからな。いつもなら、お前にできるだけ、女性を近づけたくないんだが……」

 頭痛でも起きたのか、額を押さえながら言うゼルガディスに、ガウリイは軽く言う。

 「そういえばそうだな。どうして今回は、そんなに女性スタッフが多いんだ?」
 「社長がお前に歌をやらせる原因のひとつとして、その講師に惚れ込んだことがあるらしい。まだ若いがかなりの実力者で、その人にならお前の音痴をなおせる、と踏んだそうだ」
 「メイワクな話だ……」
 「そしてその講師が女性だということで、今回の特訓は女人禁制にはできなかったんだよ」

 舌打ちでもしそうなくらい、忌々しげな顔でつぶやくゼルガディス。
 ガウリイは男にもそこそこ人気があるが、やはりというかなんというか、圧倒的に女性の方に人気があった。
 普通、女性に人気のある男は、それに気を良くするかうんざりするかのどちらかだ。どちらにしても、女性を意識せずに生活はできない。

 しかしこのガウリイという男は、見事なまでに”性”への意識を払っていなかった。女性も男性も変わらず接するため、思いこみの激しい年頃の女性たちは、勘違いをしてしまうことがままある。
 それで後を追っかけてくるくらいならまだいい。問題は、それを週刊誌へ言ってしまう女性がいることだ。

 彼女たちは、虚栄心と妄想から、実際にあったことに尾ひれどころか背びれ腹びれ胸びれまでつけてしまう。そのようなゴタゴタが起こらないよう、いつも細心の注意をしてくれているのは、誰あろうゼルガディスだった。

 以前、冗談半分に彼をでろんでろんに酔いつぶしたところ、一晩中このことに関してグチを聞かされたガウリイも、さすがにこの件に関しては慎重になり、できるだけゼルガディスの細工に協力してきた。
 とはいえ、今回はその細工自体ができなかったらしい。

 「ゼル、それでどうすんだ?」
 「どうもこうもない。女が誤解するような行動はとるな。俺に言えるのはそれだけだ」
 「オレ、どういうもんがその行動だか、よくわからないんだが……」
 「…………。その女講師やスタッフが、聡い女性であることを心から願うぞ、俺は」

 彼の頭痛はどうやら、本格的なものになったらしい。ゼルガディスは頭の右半分を、手でおおった。

 「そういや、その講師ってどんな人か聞いてなかったな。……って言っても、すぐわかりそうだが」

 ガウリイのつぶやきが終わらないうちに。彼ら2人は、トレーニングルームの扉の前へたどり着いた。
 ゼルガディスがノックして、扉を開ける。続いてガウリイも中へ。

 「おはようございます。これからよろしくお願い――」

 ガウリイの思考が思わず停止する。
 彼の視界には、栗色の髪を揺らしながらこちらを振り返る、小さな女性が映し出されていた。




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