第13章「愛(かな)しい嘘(前編)」


今宵は、暗夜だ。

ふたりは宿を抜け出すと、広々とした河原に移動した。

石で囲った枯れ木の束に火をいれ、小さな焚火を作る。幽かな光は深い闇のなかで悲しげに揺れた。昼間雨が降ったせいだろう。湿った夜風が、頬に心地よい。

今は、涼む気にはなれないが。

「……剣でやりあうのが正しいのではないかしら」

「君と俺では体格差がいちじるしい。それに、今の君は利き腕を負傷している。ハンデがなければ平等とは言えないだろう」

───そうだろうか?

短剣とはいえ、丸腰で闘うのは自殺行為のように思えた。

だが、淡々と事実のみを語る口調に、無理をしている様子はない。

ま、暗殺しようとしていた私が、決闘の作法をどうこう言うこと自体お笑い草なのだけれど……。

「大した自信ね。それが命取りにならなければいいけど?」

「そう願いたいものだね。まだ、死ぬわけにはいかないし」

普段の軽口の延長線上のような会話に、和やかな空気はみじんもない。

目では、彼の体の線と、炎に照らされた右上半身ぐらいしか確認できない。

だが、気配───彼の体から放たれる気配の質を、この3ヶ月間でいやというほど知りつくしていた。もちろん、急所も。

女である上に、もともと線の細い骨格を持つ自分は、鍛えてもあまり筋肉は育たない、とずっと以前父に言われた。

故に極めた合気の技と、すばやさと身軽さ。相手の背後や懐にす早く回り込み、確実に急所を突く。それが最も適切で、効率的な闘い方だ。

私は目を閉じ、マクラウドの闘い方を、一通り脳裏でシミュレートする。

臆してはいけない。

どんな強者であれ、人である以上必ず隙はできる───

「───かかってこい」

マクラウドの抑揚のない声が響く。

 

短剣が右手の中でずしりと重さを増す。

(何をしているの?)

オルカディアの暴虐。失われた人々。

自分がこれまでの人生で見つけた、ただひとつの熱中できるもの───それは、怒り、だった。義憤という名の。

剣は私の手によくなじんだ。元々父に教え込まれていたことではあるが、目標があると上達の早さが違う。

訓練で増えていく生傷にも、いくつかの一生消えないであろう深い傷にも、それほどに心は動かされなかった。

なのに、私は変わってしまった。

女であることを求め、夢見てしまった。

白い肌に走る傷を気にし、ソフィアの愛らしさや素直さを妬んだ。口紅もつけた。おしゃれだってした。

けれど───やはり、それだけでは満たされないのだ。

努力の証、自分が得た能力の代償を卑下するのは、今までの自分を、流した血と汗を否定するのと同じこと。

ならば、こんな私は私ではない。

後悔するために、生きてきたわけじゃない。

嘆くために、努力したわけじゃない。

選んだ道は、結局、己にふさわしかったということだ。

私は、そういう人間なのだ…。

───だから、彼は殺す。

暗殺の理由は充分すぎるほどにあった。少なくとも私が所属する組織の立場的には。判っていた。だが解りたくないというだけで、私は逃げようとしてきたのだ。今の今まで。

 

初めて出会った───闘うことしか知らない、空虚な人間。私と同じ、普通には生きられない性質の男。

誰なのか、何者なのか、何故出会ってしまったのかはわからない。

こんな、最悪の形で。

オルカディア王国の双翼の剣士の片割れ、クリストファー=マクラウド。王を守護すると明言した騎士。

 

呪われた手で領土拡張を目指し、虐殺と算奪を繰り返すオルカディアを破滅させること。全土に平和をもたらし、民衆に安らぎを取り戻させること。

それが、私たち「O2」の揚げる理想。私の見ている夢。

一国の興亡。繰り返される血の粛清。

文字どおりの血の海から這いあがってきた仲間たち。己自身。

彼は私ごときでは倒せない。けれど、倒せないのと倒さないのでは、天と地ほどに違う。

そして、今自分は、チャンスを与えられているのだ。

 

「あ」

 

短剣が赤い炎をうけて光る。

血のような赤。それに目を止める───止めてしまう。

一瞬の隙を狙うかのような意地の悪い輝き。

私個人の感情などに、左右されていいはずがないのに……!

「……どうした、ライズ?遠慮することはないが」

「マクラウド」

声が、なぜだかひどく心許ない。それが私を更に傷つける。

「なんだ、おじけづいたのか?」

「違うの……」

剣が赤いの。

口走りそうになって、愕然とする。

「君らしくもないな」

呆れたと言いたげな声音。侮辱だと感じても、彼に向けた切っ先が動かない。

(剣で斬れば)

どうなるのか、知っていた。

だから。

芝草を踏みしめる音。マクラウドはゆっくりとこちらに近づいてくる。

「───来ないで」

「泣いているのか?」

「違う。泣いてなんかいない。私は……」

今にも泣きだしそうな弱々しい声で、ライズは首を横にふる。

しばしの沈黙の後。河原に、激しい罵倒の声が響いた。

「君はそれでも剣士か!?ただの女なら剣など捨ててしまえ。不愉快だ!!」

「…っ」


後書き

 

マク、ひでぇ…(ーー;)

それでも人か?

しかしこの場合、マクの言葉の方が正しかったりする……。剣士としてはね。

でも……そこまで言う?


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