「…とにかく。私はマクラウドさんの事なら、頭のてっぺんから足のつまさきまで知りつくしているのよ」
おいおい誰か止めろよ、と思ったが、みずから口を挟みはしなかった。深い意味はない。…面白かったので、つい。
「全てのホクロの位置までもね……」
場がしんと静まりかえった。
ライズは不思議そうに目をしばたたかせると、ようやく沈黙の意味に気づいたらしく顔を赤らめる。
「あ…その」
自分になりすました男は、その隙を見逃さなかった。威嚇のためだろう、大声でくだらない揶揄をすると、窓ガラスを破り外へと飛び出す。
(…ネズミの動きじゃないな)
俺は窓から裏通りに目を走らす。
深追いしてもおそらく何も得られはしないだろう。いや、───そもそも必要のない事なのだが。
俺は素の顔に戻って2人の少女を見比べた。
「わ、私、植木の水やりがまだでしたっ。すいません失礼します!」
ソフィアは小さく叫ぶとあわてて部屋を飛び出していく。
誤解だ、と弁明する暇はなかった。ライズは顔を赤くした
まま歯をくいしばっている。
「今度から着替えの時は気をつけよう…」
うんうんとひとり頷くと、彼女は殺気走った目で俺を睨んだ。意味ありげに笑ってやる。みるまに耳まで赤くなり、さっと身をひるがえす。
軽い足音が去っていく。
───誰もいなくなった部屋で、神経を研ぎ済ませる。誰もいない筈の部屋で。
俺は全ての表情を消した。
「まだ子供、という処か」
小さく呟く。
「何を考えてるんだ、あいつらは…」
(…ライズ。虫の音が止まった)
俺は目を閉じたまま侵入者に語りかけた。月の光も手燭もない夜に、どのみち目など役にたちはしない。聴覚もだ。
頼りないなら頼らない方がよい。その方が、他の感覚を鋭敏にさせる。
肌にちりちりと痛みが走る。精神の高揚を促す小さな気配。黒い髪も赤に近い瞳も闇にとけこんで見えないくせに、 気配はどこまでも彼女の色をしている。
───赤い。
幼い手が抱きしめていた木偶人形。
性別すらわからない人形。
もう顔すら思い出せない。ただ、少女の目が、深い黒だった事しか。その時、泣きじゃくりながら俺に訴えた事しか。
「嫌だよ、お兄ちゃん。嫌だ。せっかく、お父さんが作ってくれたのに!」
まるで、自分が泥水に突き落とされたかのように。
(………どうして…)
俺は目をうっすらと開けた。
なぜ、こんな時に思い出す?
虫は静まったまま声を上げない。
蒸し暑さのせいか肌が湿り気を帯びてきた。
暗殺者の足がゆっくりと近づいてくる。
もう、あと……4歩。
赤い制服。赤い瞳。赤い……
そうか。
ライズか剣を構えた。
(性別すらわからない)
(リボンだ)
人形の髪らしいヒモに、からみついていた赤いヒモが。
ライズの手が止まった。
俺はその一瞬を待った。
虫が死ぬ一瞬を。
(………?)
───手が、震えている。
俺は心の中で息を吐いた。何を安堵している、と自問し苦笑いを浮かべる。
「眠れないのか?」
はっきり目を開いていってやると、ライズは明らかにうろたえ、剣を持つ手を後ろ手に隠す。真っ白なネグリジェがぼんやりと闇に浮かんでいる。
「何なら一緒に寝るか?子守歌でも歌ってやろう」
「…冗談じゃないわ」
怒気もあらわに言い捨てると、身をひるがえす。
ぶつかるなよ。
───なにもかも静かになった後、虫が再び声を取り戻した。
…帰ったのか、ジーン。
俺は意識を外の茂みに飛ばす。そこに何もないことを確認すると、ようやく眠りにおちていった。
後書き
うーん。少しわかりづらかったかも、です。どっちが虫かわかりました?うーん力量不足。
次はライズの目線で話が進行します。
第3章は「インフィニティ・ソング」前編です。