第六話「2人のプリンセス」


 

 ドルファン暦26年10月23日。

 この日シュン・カタギリは訓練が休みで、朝から昼寝と決め込んでいた。

 既に秋の兆しが見え始めたドルファンの町並みは、緑の衣に変わり、赤や黄色の衣を纏うようになっていた。それに伴い、風も涼しい物に変わりつつあった。

 しかしこの日は差し込む日差しの為に、日中から程よい温かさが部屋の中に満たされていた。

「スー……スー……スー……」

 ベットの上で膝を折り曲げ、右腕を枕にした格好で、シュンは静かな寝息を立てていた。

 その顔はとても幸せそうで、至福の色が満面に広がっていた。

 そんなシュンの顔の上に乗ったピコは悪戯心を発揮して、シュンの鼻の頭をくすぐる。

「ん……ん〜〜」

 シュンはくすぐったそうに、鼻の頭を指で掻く。

『フフ……』

 そんなシュンの仕草に、ピコは可笑しそうに笑う。

『まったく、君は幸せな子だねえ』

 そう言うと、ピコは寂しそうに笑う。

『君は、狙われてるんだよ。分かってんの、ほんとに?』

 ピコの呟きにも、シュンは目を覚まさない。

 その様子を見て、ピコはもう一度微笑んだ。

『まっ、いっか』

 そう言うと机の上まで飛んで行き、カップの中に残っていた紅茶にストローを差して飲み始めた。

『ふ〜、おいし』

 そんな2人を、秋の日差しが優しく包み込む。

 その時だった。

 それまで規則正しい寝息を立てていたシュンの目が、スーと開いた。

『どうしたのシュン?』

「しっ」

 シュンは唇に人差し指を当てると、ベットの傍らに置いておいた刀に手を伸ばす。

 それに合わせて、ピコもシュンの肩に移動した。

『来たの?』

「わかんない、けど、感じた事の無い気配がする」

 そう言うとシュンは、刀の鯉口を切る。

 シュンが感じた気配は、ゆっくりと近付いてくる。

 二人の額には、ジンワリと汗が滲み出る。

 その時、ゴトンという音が戸口の方から聞こえてきた。それを聞いて、シュンは思わず溜め息を吐いた。

「ごめん、どうやら郵便が来ただけみたい」

『な〜んだ。脅かさないでよう』

 そう言うとピコは、再び机の上に戻っていった。

 シュンはと言うと、戸口のポストに投げ込まれた郵便を受け取る為に歩き出す。

 そうしながらも、シュンの表情には微妙な影がある。

 この間の一件以来、本国からの刺客は姿を現さない。しかしその事が逆にシュンの精神を逆なでし、ナーバスにしていた。

『来るなら早く来い!僕が全部叩き潰してやる!!』

 自分の中のどこか一部分が、そう叫んでいるような気がした。

 

 手紙を回収したシュンが部屋に戻ってくると、紅茶をのみ終えたピコがシュンの肩に止まった。

『何の手紙だった?』

「さあ?」

 そう言うとシュンは、何度か手紙を裏返してみる。

『随分、立派な封筒だねえ』

「うん」

 ピコが言った通りその封筒は、白い上質の紙を、金色の装飾で縁取りされている物だった。とても一般人に扱える代物ではないのは確かだった。

 シュンはペーパーナイフを取り出すと慎重な手つきで封を切り、中の手紙を取り出した。

『何て書いてある?』

「う〜んと……

 【シュン・カタギリ様

  十月二十六日、王宮において私の誕生パーティーを催します。ぜひ、振るってご参加ください。あなたのお越しを、心よりお待ち申しております。

  プリシラ・ドルファン】

 だってさ」

『え?』

 ピコは驚いたように目を丸くした。

『すごいじゃん!そんな大層な身分の人から招待状もらうなんて!!これは当日、うんと決めていかなくちゃねえ』

 そう言うとピコは、ニッコリ微笑む。

 反対にシュンは、キョトンとしたままだ。

「ねえ、ピコ」

『何?』

 シュンは不思議そうな眼差しを、ピコに向けた。

「プリシラ・ドルファンって、誰?」

『……は?』

「そんな有名な人なの?」

 そう言うとシュンは、もう一度手紙に目をやる。

 一方ピコはと言うと、なぜか肩を震わせている。

「ん、どしたの?」

 次の瞬間、ピコはシュンの耳を思いっきり引っ張って怒鳴った。

『馬鹿〜〜〜〜〜〜〜〜!!!自分の雇い主くらい把握しときなさい!!!』

 

 

 そんな訳で十月二十六日、軍から支給された正装を着込み、シュンは王城へと向かった。

 愛想の悪い門番に招待状を渡して中に入ると、自身と同年代と思われるメイドに呼び止められ、別室へと通された。

 シュンが待たされた別室は、壁には巨匠の手による絵画が掛けられ、床には一面に赤い絨毯が敷き詰められている。調度品一つ取っても、傭兵の給料で買えないのは確かだ。

「はぁ〜〜〜」

『どうしたのシュン?』

 相棒の溜め息を聞いて、ついてきたピコがいぶかしげに尋ねた。

「あのさ、僕、何かとんでもない間違いしてない?」

『何が?』

「だってさ、一国の王女様が何で僕なんかを誕生パーティーに招待するの?」

『あたしが知るわけないでしょう』

 シュンの質問に、ピコは呆れ顔で答えた。

「…………それもそうか」

 シュンがもう一度溜め息をついた時だった。

 部屋の扉が開いて、先程と同じメイドが入って来た。

「お待たせしましたカタギリ准尉、プリシラ王女殿下が謁見のまでお待ちです」

「はっ、はい!」

 上ずった声でシュンは答え、メイドに続いた。

 

 シュンはメイドの後に続いて、謁見の間に通された。

 そこでは豪奢なドレスを着飾った少女が、シュンを待っていた。その傍らには、儀礼用の槍を持った中年の男性が立っている。おそらく近衛騎士の一人だろう。肩章から階級は中佐と分かる。

 シュンはプリシラ王女の前でひざまずくと、訓練場で教えられた通りの作法で名乗った。

「プリシラ王女殿下、本日はお招きいただき身に余る光栄でございます。傭兵部隊隊長付き副官シュン・カタギリ、お招きにより参上いたしました」

 シュンの名乗りに対し、プリシラは一拍置いて口を開いた。

「シュン・カタギリ、本日はわたくしの誕生パーティーに来ていただき本当にありがとうございます」

 そこまで言って、プリシラはニコッと笑った。

「シュン」

「ハッ」

 シュンは顔を下げたまま答えた。

「あなたに会うのは二度目ですが、覚えていますか?」

「…………は?」

 シュンは思わず顔を上げ、プリシラの顔を見た。

 その可愛らしい顔には、確かに見覚えがある。それも、相当強烈な記憶として残っているような気がする。

 シュンは高速で記憶ライブラリを検索する。するとそれは、3ヶ月ほど前でピタリと止まった。

「あァァァァァァァァァァァァァ!!」

 シュンは思わず立ち上がった。

 そう、ヤングの死によって落ち込んでいたシュンを、一日引っ張りまわして元気付けてくれた少女だ。

 その時、

「ウォッホン!」

 側に立った中佐の咳払いで我に返り、慌てて膝間ついた。

 すると、そんなシュンに、今度はプリシラが駆け寄った。

「覚えていてくれたんだ!あの時は本当にありがとう!!お陰で助かったわ!!」

 そう言うとプリシラは、シュンの手を取った。

「あの時は名前ごまかしてごめんね。まさかあの時プリシラ・ドルファンなんて名乗る訳にもいかないでしょ。だから、ね」

「いえ……恐縮です」

 その時、

「ウォッホン!」

 ふたたび中佐の咳払いが起こり、プリシラは居住まいを正した。

「今日は楽しんで行ってくださいね、シュン」

 そう言って、中佐に向き直った

「ミラカリオ・メッセニ中佐」

「ハッ」

「後は、お願いしますね」

「ハッ」

 そう言うと、プリシラは謁見室から出ていった。

 それを確認してから、メッセニはシュンに向き直った。

「おい、東洋人」

「はっ、はい?」

 メッセニはやや顔をしかめてシュンを見た。

「断っておくが、少しでも問題を起こしたら、即軍法会議だからな」

「はあ……」

 それを聞いて、シュンは冷や汗をかきながら頷くしかなかった。

 

 一国の王女の誕生日を祝うパーティーだけあって、豪華の一言に尽きた。

 しかしシュンとしては、別段貴族に知り合いがいる訳ではなく、話す相手がいない為、壁際に寄りかかって、ただ会が進行するのを見守るしかなかった。

『つまんなそうだね』

 そんなシュンに、ピコが話し掛けた。

「だって、することないんだもん」

 そう言ってシュンは、口を尖らせる。

 会場では、貴族同士の私的な会話が行われている。

 一見華やかな光景に見えるが、その実態が欺瞞と猜疑に満ちた物である事は、シュンの目から見ても明らかだった。

 貴族階級の人間にとって、自分が所属する派閥以外の者は、皆政敵といって良い。互いに相手の腹を探り合い、そして自分自身の弱みを決して見せないようにする。貴族にとってはこういった会場であっても、政略の場なのだ。

「ねえピコ」

『ん?』

「人間、ああはなりたくないよね」

『同感』

 二人揃って溜め息をついた時だった。

「あら、ここにいたの?」

 突然声を掛けられて、シュンは顔を上げた。

 そこには、先程度肝を抜く再会を果たした人物がいた。

「プリシラ様!」

 シュンは慌てて身を起こした。

「案外、早かったんですね」

「当然よ」

 そう言ってプリシラは笑顔を浮かべる。

「それよりどうしたの?ずいぶんつまんなそうな顔してるけど」

「いえ……それは……」

「私の誕生パーティーは、つまんない?」

「…………」

 図星をつかれて、シュンは黙り込む。

 対してプリシラは、意地の悪い笑顔を浮かべる。

「あ〜あ、せっかく招待してあげたのに、あなたがつまんないんじゃ、私もやる気無くすわね」

 そう言って、シュンを見る。

「次回から呼ぶの止めようかな?」

「ええ!そっ、そんな!!」

 そんなシュンの慌てた顔を見て、プリシラは満足したように笑顔を浮かべた。

「う、そ」

「…………殿下」

 ややげんなりした表情を浮かべる。

 そんなシュンの手を、プリシラが引っ張った。

「ねえ、踊りましょう!!」

「え!?」

 そう言うと、返事も待たずにホールに引っ張り出した。

「あっ、あのプリシラ様、僕、踊れないんですが……」

「大丈夫、ちゃんとエスコートしてあげるわよ」

 そう言うと、シュンの手を取った。

 二人はゆっくりと踊り出した。飾られた人形のように、ゆっくりと……まるで時が永遠に続くかのように。

 

 

 11月に入り、ドルファンの気温も徐々に下がり始めていた。

 その日、ライズ・ハイマーはサウスドルファン地区にある国立図書館で調べ物をした後、寮の方へと帰宅しようとしていた。

『一国の国立図書館という割には、大した情報量ではなかったわね。これなら、スィーズランドの市立図書館のほうがマシね』

 そんな事を考えながらライズは、石畳の歩道を静かに進んでいた。

 そんな時だった。

「ねえねえ、そこのお嬢さん!!」

 すぐ側で、妙にハイテンションな女性の声がした。

 しかしライズは、特に気にする様子も無く歩き続ける。……と、

「ねえねえ、そこのお嬢さん!!」

 不意に肩を叩かれて、ライズは振り返った。

「私の事かしら?」

 ライズは振り返りながら尋ねた。

 そこには、ブロンドの髪をツインテールにまとめた少女が立っていた。

「他に誰がいるってのよ?」

 それはそうだ。肩を叩かれたのだから、自分以外にいるはずが無い。気を取り直してライズは会話を進めた。

「それで、何の用?」

「あの、お金を落としてしまったの、少し貸してくださらない?」

 その少女──プリシラは、両手の前で手を合わせて頼み込んだ。しかし、

「悪いけど、見ず知らずの人間にお金を貸す趣味はないわ」

 ライズはつれなく言い放つと、会話は終了とばかりに背を向けた。そんなライズの背中に、プリシラは悪態を吐く。

「何よ、ケチ臭いわね。どっかの東洋人みたいに気前良くおごろうって言う、善意の気持ちは無い訳!?」

 そんな事はもちろん、プリシラの勝手な言い分である。しかしその言葉にライズは、歩き出した足を止めた。

「何ですって?」

 突然振り返られて、さしもの傍若無人なプリシラも一歩引く。

「なっ、何よ?」

「今、何て言ったの?」

 突然の状況の変化に戸惑いながらも、プリシラは自分が言った言葉を思い出す。

「え〜っと、善意の気持ちはないのかって……」

「その前よ」

「気前良くおごろうって言う……」

「その前」

「何よケチ臭いわね……」

「一つ飛んだわ」

「あれ、そうだっけ?」

 プリシラは自分が先程言った言葉をもう一度反芻する。

「ああ!『どっかの東洋人みたいに、』だったかしら?」

 それを聞いて、ライズの目は光った。

「東洋人って、ひょっとしてシュン・カタギリのこと?」

「あれ、知ってんの?」

 その返答を聞いて、ライズは口の端に薄く笑みを浮かべた。

「…………そう」

「『そう』って、あのね……」

「いくら貸して欲しいの?」

「へ?」

「気が変わったわ。少しくらいなら貸してあげても良いわよ」

「ほんと!?ありがとう、じゃあ行きましょう!!」

 そう言うとプリシラは、ライズの腕を引っ張って、喫茶店の中に入っていった。

 

〜一時間後〜

 

 喫茶店から、満足した表情のプリシラと、呆れた表情を浮かべたライズが出てきた。

「は〜美味しかった、ご馳走様」

「…………は〜」

 プリシラの満足げな様子に、ライズは深く溜め息をついた。

「ちょっと何よ?溜め息なんかついちゃって」

「見ていて寒気がしてきたわ」

 喫茶店入るとプリシラは、この寒い中だというのにアイスをいくつも注文したのだ。ライズも一応、暖かい紅茶を頼んだが焼け石に水だった。

 そんなライズに対し、プリシラはキョトンとする。

「そう?私は平気だけど」

 普段城の中にいる訳だから、こういった物はめったに口にできない。その為、「好きな物は食べれる時に食べる」が、プリシラのモットーと言えた。

 ライズはそんなプリシラに呆れながらも、目的の事は忘れない。

「それよりも……」

「聞きたい事があるんでしょ?」

 すでに予期していたプリシラは機先を制して口を開いた。

「シュン・カタギリについて、でしょ?へへ〜」

「得意げに言わないで」

 ライズがそう言った時だった。二人がいる通りの反対側で、突然笛の音が鳴った。

「いたぞ、こっちだ!!」

 それを聞いて、プリシラはあからさまに焦りの表情を浮かべた。

「やばっ!!」

 そう言うと、ライズの手を引いて走り出した。

「どうしたの!?」

 突然のプリシラの行動に、ライズは困惑して尋ねる。

「ちょっとね!」

 プリシラはそう答えて、さらにスピードを上げる。

 と、その時、曲がり角を曲がった所でその場を歩いていた人物と激突してしまった。

「わっ!!」

「きゃあ!!」

 両者は互いに額をぶつけ合い、しばし宙を飛び交う星を眺める羽目になった。

「ごめんなさい、急いでたから!!」

 いち早く回復したプリシラが、相手に頭を下げる。こういった辺りに良君としての器が伺える。

 それに対して、相手も立ち上がって答えた。

「いえ、僕もボウッとしてましたから」

 どうやら、相手も肝要な人物だったようだ。しかしその声に、プリシラのみならずライズも聞き覚えがあった。

「「シュン!」」

 当のシュンは、キョトンとして良者を見た。

「……プリシラ様……それに、ライズさん……」

「話は後よ、来て!!」

 そう言うとプリシラは、右手にライズの、左手にシュンの手を取って走り出した。

 プリシラに引きずられながらも、シュンは必死に状況を整理した。

「ひょっとし…………なくても、また城を抜け出したんですね?」

「そう言う事!!」

「で……?」

 シュンは走りながらも、後ろを振り向く。

「さしずめ、あの人達は追手と言う訳ですか?」

「その通り、てな訳でシュン!」

「はい?」

「あの連中を蹴散らしなさい!!」

「やです!!」(一秒)

「ちょっと、何王女の命令を速効で拒否してんのよ!!」

「やなものはやです!それに、こんな時ばっかり権威を振りかざさないで下さい!!」

 シュンの主張は至極もっともである。これにはさしものプリシラも、黙らざるを得ない。

「ああ!もう!!とにかく何でも言いから、あの連中どうにかして!!」

「…………仕方ないなァ」

 シュンは素早く辺りに目を走らせる。

「二人とも、そこの脇道に入ってください!!」

 二人は言われた通りに、脇道に踏む込んだ。それを確認してから、シュンはプリシラの手を振り解くと、腰の刀に手をやって、鯉口を切る。

「天破無神流……」

シュンの気合が、手元に集まる。その視線の先には、どこかの屋敷の塀があった。

「襲雷斬!!」

 シュンは目にも留まらぬ速さで剣を振るった。

 次の瞬間、塀はぶつ切り肉のように細切れに鳴って地面ぶちまけられた。シュンは塀が崩れてくる一瞬前に、跳躍して逃れていた。

 視線の先では家の持ち主が、突然起こった開通式に呆然としている。

「あっ、どうも。お騒がせしました」

 シュンは右手を上げて挨拶すると、全速力で二人の後を追った。その僅かな間に後ろを振り返ると、狙い通り追手は崩れた瓦礫に進路を阻まれていた。

 

 

 その後三人は、途中で乗合馬車を拾い、カミツレ地区にある牧場付近まで逃げてきた。

 この時期になると、カミツレ地区の観光スポットの大半は閉鎖されるため、訪れる観光客も少なかった。

「…………随分と、遠くに来たものね」

 ライズはため息混じりに行った。

「もう、皮肉は言いっこなしよ」

「一応、素直な感想よ」

 そう言って、ライズは話題を変えた。

「それよりも、聞きたいことが一つ増えたわ」

「まあ、大体予想付くけど、一応聞いとくわ。何?」

「さっき、シュンがあなたの事、『プリシラ様』って言ったわよね。それにあなた自身も、自分のことを『王女』と言った。この国でこの二つのキーワードが交わる点に立つ人物は一人しかいない」

「ライズさん、それは……」

 シュンが割って入ろうとするのを、プリシラは片手で制した。

「良いのよシュン。そこまでばれたのなら、取り繕うだけ無駄よ」

 そう言って笑うとプリシラは、改めてライズを見た。

「察しの通り、私はドルファン王国第一王女、プリシラ・ドルファンよ。時々、こうして城を抜け出して町の中を楽しんでるってわけ」

「…………そう」

「何よ、驚かないのね」

「別に」

「……まあ、良いわ。それより、あなたの名前教えて。私だけ名乗ったんじゃ、不公平でしょ」

「……ライズ・ハイマー」

 プリシラの主張に対して、ライズは低い声で自分の名前を告げた。

「ふ〜ん、ライズね。それじゃあ、一つお願いあるんだけど」

「お金を貸す以外だったらいいわよ」

「……ぐっ、そうじゃなくて、私のことを知ってるのは、城の人以外ではシュンとあなただけなの」

「それで?」

「それで、この事は誰にも言わないで欲しいのよ」

「……」

 ライズは一瞬考えた。彼女には使命がある。その使命の中には、プリシラに関する事も含まれている。これからのことを考えると、彼女の正体は知られていないほうがいいだろう。

 そこまでのことを一瞬で考えてから、ライズは頷いた。

「分かったわ」

「よかったあ!」

 そう言うと、プリシラはライズの手を取った。

「じゃあ、この事は、私とライズとシュン、三人だけの秘密よ」

「ええ」

「分かりました」

 二人はそう言って頷いた。突然背後の草むらで物音が起きた。

「!?」

「!?」

「なっ、何?」

 シュンとライズは警戒態勢をとり、プリシラの前に出る。

『これは……殺気!?』

 シュンが、そう心の中で呟いた瞬間、藪の中から黒い、とてつもなく大きな物体が弾丸のようなスピードで踊りだした。

「クッ!?」

 シュンはとっさにプリシラとライズを突き飛ばし、自身も地面を転がった。

 間一髪で、その物体の突進をかわしきる。そしてそのまま腰の刀を抜き放ち、相手に対して正眼に構えた。

「なっ!?」

 次の瞬間、シュンは目を疑った。

 それは、ゆうに身の丈が三メートルはある巨大熊だった。

「これは……一体……」

 さしものシュンも、背中に冷たいものを感じた。

次の瞬間、熊は倒れているライズとプリシラに狙いを定めて突進を始めた。

「まずい!」

 プリシラはあまりの事態に、茫然自失となっている。ライズはと言うと、熊の死角となって見ることができない。

「間に合え!!」

 シュンはとっさに大きく跳躍すると、熊の前に出た。

 熊の爪は、今にもライズに届かんとしていた。

「クッ!?」

 シュンはとっさに、刀で爪を防ぐ。

「グッ……クッ……」

 しかしその力の差は歴然としており、シュンは少しずつ後退する。

「はっ……早く!」

 シュンはライズに振り返った。

「プリシラ様を連れて早く下がって!!」

「分かったわ」

 そう言うとライズは、プリシラをつれて下がる。

 それを確認してからシュンは、背中から倒れこむようにして力比べから逃れ、そのまま地面を転がって距離をとる。

 熊はというと、鋭い牙を持った口を覗かせて、シュンを睨みつけている。

 その光景に、さしものシュンも額から冷や汗を流す。

『どうしたんだこの熊は?なぜ執拗に僕たちを襲う?』

 そんなシュンの疑問をよそに、熊は襲い掛かってきた。

「クッ!」

 シュンは襲い掛かってきた熊の爪を刀で払いのけ、そのまま刃を返して熊に斬りかかる。

 しかし、熊はシュンの斬撃を、もう一方の前足で防いだ。

「なっ!?」

 驚くシュンの隙を突き、熊はシュンに殴りかかる。それに対してシュンは、とっさに空いた手で脇差を抜き、防ぐ。

「行くぞ!」

 シュンは両手に二刀を構え、腕を水平に伸ばす。

「天破無神流、襲牙斬!!」

 そのまま体を高速で回転させ、勢いの乗った小太刀の一撃を熊の腹に叩き込む。さらにまったく同じ軌道を描いて、右手に持った大刀の一撃が、同じ傷口を更に深く抉る。

 血飛沫が上がり、熊は雄たけびを上げる。

「どうだ……」

 シュンは距離を置いて、様子を見守る。

 しかし熊はひるんだ様子を見せずに、憎しみを込めた目でシュンを睨みつけた。

「浅かった……」

 シュンは熊の様子に、歯噛みする。人間であったら確実に死に至っている傷も、熊にとっては大した事ではないらしい。次の瞬間、熊はシュンに向かって突進してきた。

「クッ!?」

 一歩対応の遅れたシュンは、とっさにガードするが、その勢いを殺しきれずに吹き飛ばされた。

「ウワァァァァァァァァァァァァァァァァ!?」

 しかしシュンはとっさに空中で体勢を入れ替えて、着地に成功すると、熊に対して斬りかかる。それに対して熊も、両方の前足をシュンに向けて振りかぶり振り下ろした。

 その速さは尋常ではなく、シュンの体は熊の爪によって引き裂かれた。

「ああ!?」

 その様子を遠目で見ていたプリシラが、思わず悲鳴を上げる。しかし一方でライズは、冷静に状況を見極めていた。

「……残像」

「え?」

 次の瞬間、シュンの体は幻のように空き消え、熊の頭上に本体が現れた。

「天破無神流、襲影斬!!」

 シュンはそのまま刀を振り下ろした。

 しかし何と、熊はとっさに後退してシュンの斬撃をかわしたではないか。

 シュンの斬撃は、熊の肩を掠めたに過ぎなかった。

「そんな馬鹿な」

 シュンは愕然とした。

『この熊は一体、何なんだ?まるで戦いなれした戦士のような動きをしている』

 その時だった。

『驚いたか、片桐瞬!』

 突然、シュンの頭に響く声があった。

「誰だ!?」

 そうは言ったものの、シュンには相手が何者であるかうすうす感づいていた。

『クックックッ、我は源蔵、鬼道衆、「獣使いの源蔵」。貴様の首、貰い受けに来た』

「鬼道衆!?」

 シュンは姿の見えぬ敵に対して、声を上げる。

「じゃあこの熊は、あなたが!?」

『そう、我が術よ』

 そう言うと源三は、低い笑いを放つ。

『さて、名だたる刺客を返り討ちにしてきた貴様だが、我が術から逃れる事はできるかな?』

 言い終わると同時に、熊はシュンに襲いかかってきた。

「クッ!?」

 熊は左右の爪で、シュンを連続して攻撃してくる。

 右、左、右、左

 力の差が歴然としており、シュンはジリジリと後退する。

 シュンは、両手に持った刀で防ぐのがやっとの状態だ。

 しかし次の瞬間、熊はシュンの腹に頭突きを食らわした。

「グア!?」

 シュンはそのまま二〜三メートルは吹き飛ぶ。

「シュン!!」

 思わずプリシラは身を乗り出す。

 しかし、それは余りにも不用意な行動だった。

 プリシラの声に反応した熊が、そちらに向く。

「「!?」」

 思わず息を呑む、ライズとプリシラ。

 次の瞬間、熊は二人に向けて突進を開始した。

「ヒッ!?」

 プリシラの顔が、引き攣る。

 それに対してライズの取った行動は、目を疑う物だった。

 ライズはとっさにプリシラを突き飛ばすと、身構える。どうやら、熊を迎え撃つつもりのようだ。

 熊の牙と爪が、ライズの華奢な体へと迫る。

 しかし次の瞬間、凛とした声がライズの耳を打った。

「天破無神流!」

 ライズはとっさに、声のした上を見る。

 そこには、大刀を両手で構えたシュンがいた。

「襲星斬!!」

 シュンは落下速度に合わせて、刀を振り下ろした。

 その一撃で、熊は胴体を切断され、その場に血飛沫をぶちまけた。

 シュンとライズは、血飛沫が跳ねる前にその場から離れた。

 シュンは距離を取ると、注意深く刀を構える。が、熊は二度と再び動き出す事はなかった。

「…………終わったようです」

 そう言うとシュンは、刀を鞘に納めた。

 そこへ、ようやく気を取り直したプリシラが近付いてきた。

「終わったの?」

「ええ」

 そう頷くとシュンは、黙って熊を見下ろした。

「この熊には、ひどい事をしてしまいました。ただ、操られていただけなのに…………」

 そう言うとシュンは、熊に対して黙祷を捧げた。すると、

「操られていた、と言う事は、誰か黒幕がいると言う事かしら?」

「…………」

 それに対してシュンは答えなかった。いや、答える事ができなかった。言ってしまえば、ライズとプリシラも自分の追手に巻き込む事になる。そして、自分自身の過去も話さねばならない。そんな事は、シュンにはできなかった。

「僕は、この事をカミツレ地区の憲兵支部に報告して来ます。お二人は、先に帰ってください」

 それだけ告げると、シュンは二人に背を向けた。

 シュンの背中を、プリシラはいぶかしげな顔で見送る。

「どうしたのかしらシュン?」

「…………行きましょう」

 ライズはそう言って、シュンとは別の方向に足を向けた。

「ちょっとライズ!!」

プリシラは、慌ててライズの後を追った。

そんなライズの表情には、見ただけでは気付かない程度の、変化があった。

 

『シュン……プリシラ……今はまだ良い……けど、いずれ……』

  

第六話「2人のプリンセス」  おわり


後書き

 

どうもこんにちは、ファルクラムです。

 

今回は、プリシラの正体発覚と、一年目の熊イベントをミックスし、さらにライズとプリシラの出会いを混ぜ合わせてみましたが、いかがでしたでしょうか?

さて、今回ようやく名前の出てきたシュンを追う刺客達「鬼道衆」ですが、あまり複線が多いと読まれる方もストレスが溜まると思いますので、ここらで話に触らない程度に説明したいと思います。

鬼道衆とは、倭国の忍者集団です(もちろん、私の創作ですが)。その秘術は多彩で、今回登場した源蔵のように、妖術に近い物もあれば、実戦的な武術を扱う者もいます。彼等は常に時の権力者に仕え、その繁栄を影から支えてきました。

ちなみにシュンは彼等の仲間ではありません。それどころか忍びですらありません。

何やら飛んだり跳ねたりする事が多いので、「シュンは忍びか?」と思われている方もいらっしゃるかもしれませんが、勘違いをさせて申し訳ありません、シュンは忍びではありません。

では、一体何者か?と言うのは、いずれ本編の方で紹介していきたいと思います。

 

昨今、私自身が忙しくなりつつありますが、根気良く執筆していくつもりなので、興味を持って読んでいただけたら幸いです。それでは、また。

 

ファルクラム


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