第6話「突入」


4月8日 夜半

その日は、朝からひどい雨が降っていた。3年前の嵐の特攻を彷彿とさせるこの陰鬱な天気に、首都城塞の住民は皆戸を閉めて家に閉じこもっていた。

そんな中を、黒い外套で全身を覆った一組の男女が、ドルファン城へ向けて馬を走らせていた。

「で、例の内通者との交渉はまとまっているんでしょうね?」

横を走るライズが問い掛ける。

「安心しろ、そのために5日間も時間をかけたんだから」

「それならいいけど…ところで、これほどの作戦になると、内通者といってもある程度城内で力を持った人物になる必要があるわ。以前のドルファンでのあなたの人間関係からすれば…」

「お察しの通り、ミラカリオ・メッセニ中佐、今は女王付き近衛兵長にして少将。彼が内通者だよ。もちろん、説得にはかなり苦労したけどね」

実際、あの生真面目が服を着て歩いているような男を説得するのはかなりの難題だった。この5日間のほとんどはそれに充てられていたといってもいいだろう。

「でも、俺に論破された時の中佐のあの苦虫を数匹まとめて噛み潰したような顔。あれを見ることが出来ただけでも俺は満足だな」

幾度となくプリシラとのデートを邪魔された腹いせでは断じてないと言い張りたいが、やはり彼をやりこめることは俺にとって快感なようだ。横のライズは呆れているが、俺は逆に嬉々としている。

「…まあいいわ。とにかく、死なないでね」

再び前に向き直り、今度はまじめな顔で声を絞り出すライズ。それきり、俺たちの間に言葉は無くなった。

それは突然だった。城を揺るがすような巨大な爆発音。なにが起きたのか分からず右往左往する貴族達を尻目に、部下の近衛兵から次々と連絡が入る。

「城正面にて巨大な爆発!ホール一帯は煙に覆われ、被害状況分かりません!」

「報告!爆発の混乱に乗じ、何者かが城内に侵入した模様です!」

(遂に来たか…)

ミラカリオ・メッセニは周囲に気取られぬよう小さくため息をついた。彼の脳裏には5日前再会した、彼が最も信頼し、そして恐れた男の姿が浮かんでいた。

その名は、リョウ・アサクラ。かつてのドルファンの英雄にして、前国王から国を託された男。そして、現国王から愛された男。

「我らは陛下の安全を確保する。衛兵はホール周辺を固めろ!手の空いているものは負傷者の救護もだ!」

指示を飛ばしながらメッセニはそのときのリョウの言葉を反芻する。

「私が侵入したら、プリシラをかつての彼女の自室に匿ってください」

奴はそう言った。だが、この状況で、今いる謁見の間以上に安全な場所があろうか。メッセニはしばらく躊躇っていたが、

「報告!衛兵を蹴散らし、侵入者がこちらへ向かっております!」

転がり込むように入ってきた衛兵の言葉により、彼は決意した。

「陛下、ここも危のうございます。どうぞ奥へ」

そう言ってプリシラの手を引き、メッセニは謁見の間を出る。

「ちょっとメッセニ、これはどういうことです?」

廊下に出た時点で少しだけ素に戻ったプリシラが尋ねるが、

「いえ、まだなんとも分かりません。プロキアかもしれませんし、テロリストの可能性もあります。いずれにせよ、最優先は陛下の安全。今はとにかく奥へ」

彼は当たり障りのないことを言ってそれをかわし、王城の長い廊下をひた走った。

(しかし…)

そこでメッセニは思う。

(アサクラの奴の狙いは陛下だ。私に言ったように確保した後、奴ならば悔しいが陛下を確実に亡命させられるだろう。

 だが、それで残された国民はどうなる?プリシラ女王に捨てられたと思ったとしても不思議ではない…

 それに、私の職務とは何だ?"女王"を、ひいてはドルファンを守ることではないか…!)

そして決意する。ドルファンの威信、すなわち王家を守りきることを。

しかし同時にそれはアサクラを裏切り、かついずれプリシラを死に追いやるかもしれない背信行為。

(だが、国に背中を向けるわけにはいかん…!)

「姫、この先のかつての貴方の自室は、以前も襲撃を受けており危険です。ここはさらに奥の宝物庫へ」

そうして、メッセニはかつてのプリシラの部屋を、彼女を連れたまま、通り過ぎた。

(相変わらず、派手ね)

ホールの爆発音を聞きながら、ライズはリョウと出会ってから癖になってしまった、そして本日2度目となるため息をついた。潜入は普通気取られないように慎重に行うものだ。

だが、リョウときたらむしろ正義の見方参上とでも言うようにド派手な演出付きで押し入ってしまった。自分のような暗殺者からすれば狂気の沙汰である。

「安心しろライズ、俺だって考えなしでやってるわけじゃない」

しかし彼は降りしきる雨の中疾走しながら、ライズに向かってそう言った。

「まず第一の目的はあぶり出しだ。俺は中佐からプリシラの生活リズムを教えてもらっている。彼によるとプリシラは公務でほとんどの時間執務室か謁見の間にいるらしい。

どちらもガードが固い…それに場所柄ライズの能力を使いこなせないだろう?だからまずは騒ぎを大きく見せて彼女を引きずり出す」

(でも、そんなことをしたら貴方、さすがに死ぬわよ?)

「安心しろ、それこそ戦闘になったとしても切り抜ける自信がある。内部構造は把握済みだし、城内は時代遅れの石頭共のおかげでいまだに銃は配備されていない。

何より俺は囮だ。できる限り俺に注意を向けさせて、ライズが動きやすいようにしなきゃいけない」

(それは…まあ、ありがたいけど。でも万が一メッセニが裏切ったらどうするつもり?考えてないわけじゃ、ないんでしょ?)

「まあ、そうなると確かに苦しくはなるかな。でも問題はないよ。なぜなら、彼に接触したこと自体に意味があったんだから」

(どういう事?)

「もし俺が何の策もなしに突っ込んだら、きっとメッセニ殿にやられるだろう。彼はあれでけっこう優秀だから、どんな手段を用いても侵入者を排除するだろうからね。

でも、俺が接触したことにより彼が採ることのできる策は限られてしまうんだ。わかる?まず彼は俺との接触、そして俺の計画自体を絶対に外部には漏らさない。いや、漏らせない。

はっきり言って貴族どもは信用なんかできないし、下手をするとこの機会を利用して政権奪取を図る可能性もある。

だから俺に協力してくれるにしろ裏切るにしろ、彼は自分の力だけでそれを成し遂げなきゃいけない。そうすれば少なくとも今の情報からいけば、こちらが考えるべき可能性がかなり少なくなる。

つまり俺は無言のプレッシャーを与えているようなものなんだ」

(分かったわ。それで、私はメッセニが連れているであろうターゲットを確保すればいいのね?)

「そういうこと。悪いがこればっかりは俺じゃできない。よろしく頼むぜ、相棒」

……そういった理由で、今ライズは騒ぎに紛れて城内に侵入している。一国の中核にたった二人で突入するなんて事態は、いくらライズでもやったことなどない。

しかし彼女には、捕まるという杞憂はなかった。ある意味悲しい話だが、幼いころから戦闘員としての訓練をつみ、ほんの少女のころから隠密として、暗殺者として活動してきた彼女には最高の武器があった。

『気配遮断』―――それは殺気すら感じさせず、ターゲットに必殺の範囲まで近づく暗殺者として最強の能力。幾たびもその両手を真紅に染めていく中で、心と引き換えに手に入れたモノ。

まあそのとき失ったと思っていた心は、リョウとの日々によって再びもたらされることになるのだが…

「私を捉えることは、貴方にはできない……」

そうつぶやくライズの背後で、一人の兵士が倒れた。気配遮断を展開させた彼女に背後から襲い掛かられた哀れな兵士は、ただの一言も発することを許されずに昏倒した。

「さて、リョウがうまくやっているなら、そろそろね……」

兵士の身体を隠蔽しながら、彼女は再びつぶやいた。今彼女は、リョウが指定したというかつての王女の自室にいる―――

「…悪いが、少し眠っていてくれ」

城正面に仕掛けた爆薬を破裂させたあと、俺はドルファン城を駆け抜けていた。

「負傷者がいるようだ。悪いが増援を頼む!」

すれ違う兵士たちに向かって叫びながら、俺はプリシラがいるであろう謁見の間へと急ぐ。兵士たちは一瞬俺を見るが、そのまま爆発音があった場所へと向かっていった。

まあ、俺を見てもおかしく思わないのは当然だろう。あらかじめくすねておいた近衛兵のこの暑苦しい鎧。これがあれば普段ならいざ知らず、今の緊迫した状況では俺をいぶかしむ余裕などない。

そうして走っている間にも、ばら撒いてきたプレゼント、もといメネシス特製ダイナマイトが次々にその役割を果たしていく。

「とにかく派手であればいいんだ。殺傷能力はできるだけ抑えてくれるとうれしい」

などという俺の無茶な注文に、はいはいと右手をひらひらさせながら作ってくれた爆薬類。それにかつての記憶と、メッセニ殿から入手したドルファン城のデータをあわせて、俺は、リョウ・アサクラ一人で、まるで一度に数人が襲撃してきたかのような状況を作り上げていった。

よって寄り道も多くなるが、最終的には彼女の元に辿り着けるように、今俺の思考回路はすさまじい勢いで回転を始めている。

煙の充満するフロアを抜け、

階段を駆け上がり、破壊し、

すれ違う兵士たちをやり過ごし、

そして今、彼女の元へと続くトビラを開ける…!

「報告!衛兵を蹴散らし、侵入者がこちらへ向かっております!」 

―――これでいいのだ―――

プリシラを宝物庫に避難させたあと、メッセニは深くため息をついた。

「申し訳ありません。陛下…」

「メッセニ?」

突然のメッセニの言葉に、プリシラは不思議そうに目の前の中年の軍人をみやった。彼の表情はどこか浮かない。何かに悩んでいるような、そんな印象を受ける。

「今回、何が起きたかは分かりませんけど、私は大丈夫ですわ。少なくとも、私がこうしているのは貴方のせいではない…もう少し、気を楽に持ちなさい」

「もったいないお言葉にございます。しかし、今はとにかく、謝罪をさせてください」

そう言って、目の前の無骨な軍人はさらに頭を下げる。もともと頑固な性質のある男だ。こうなれば首根っこをつかんで引きずり上げでもしない限りこのまま頭をたれているだろう。

「と、とにかく!訳も分からないのに頭を下げられるのはさすがに困るの!お願いだから顔を上げてよぉ。なんか私がものすごく悪い人みたいじゃない!」

状況が状況なのか完全にかぶっていた猫が吹っ飛んだプリシラ。それをメッセニは優しい笑顔を浮かべながら眩しそうに眺めてから、

「分かりました。貴方に迫る悪しき者共は、全て私が蹴散らしてやりましょう。最後に……この愚かな男を、お許しください……」

「そう思うのなら、彼女を解放したらどうかしら」

そんな冷たい声に、一瞬のうちに戦闘の構えを取った。

旧、王女寝室。ライズはそこで気配を遮断して獲物の到着を待っていた。

(侵入したところを高速で確保。のち護衛を完全に排除…)

これからの展開について思考を展開させつつ、愛剣をゆっくりと抜き放つ。漆黒の闇の中でも輝きを放つソレは、ライズの最も得意とする武器、レイピア。

このような仕事では武器はナイフあたりが相場であるし、実際彼女も所持しているが、女王の護衛に付く者ならばかなりの手練れだろう。

ある程度の力を持った者でも圧倒できる武器といえば、彼女の場合これであった。

父であるヴァルファ軍団長デュノスが、初めて彼女に与えた剣。幾度か代が変わったが、初めて触れたときの感動はいまだに忘れない。

父に必要とされたこと。自分の生きる指標ができたこと。たとえ歪んでいようとそこに居場所を見つけたライズは、幾たびもの修羅場でこのレイピアと共に生き残ってきた。

(……来たわね)

しばらくして、廊下の向こうから足音が近づいてきた。ゆっくりと愛剣を構えなおすライズ。しかし彼女の思惑は外れ、二つの足音はそのまま奥へと消えていった。

(ターゲットではない?しかし兵士の足音とも違う……いずれにせよ、予定は多少ながら狂ってきているか……)

外に気配がないのを確かめてから、ライズは音も立てずに廊下へと出る。そして先ほどの足音が向かった場所へと赴いた。

その場所からは、男女の話し声が聞こえる。一人は中年、もう一人は若い女の子といったところだろうか。そしてソレは間違いなくミラカリオ・メッセニとプリシラ・ドルファンであろう。

「……この愚かな男を、お許しください……」

メッセニは謝罪をしているようだ。これでライズも理解した。この男は裏切り者などではない。むしろ最もプリシラの身を案じている男なのだと。

プリシラという一人の女性と、ドルファンという国家。いわば双方に仕えるこの男には、この決断は血を吐くように重いものだったろう。ライズには、それを責める気はなかった。

(だからこそ、リョウもメッセニが裏切るということを視野に入れていた。いえ、彼なら、ひょっとしたらこの結果を予測していたのかもしれない。……でもごめんなさい。私は、私の目的のためにもここでプリシラに死んでもらう訳にはいかないの……!)

「そう思うのなら、彼女を解放したらどうかしら」

そして、ライズはゆっくりと二人の元へ近づいていった。

彼女は、正直この展開についていけないでいた。いきなりの爆発音と、侵入者ありという兵士の絶叫。この事態にプリシラが三年前、自身が誘拐されたあの事件を思い出してしまったとしても無理はないだろう。

「ここは危険です。奥へ」

今彼女は、最も信頼する近衛隊長であるミラカリオ・メッセニに連れられて、城の廊下を走っていた。

「?」

メッセニが一瞬だが、かつての自分の寝室の前を通るときに沈痛な表情をしたのが気になったが、とにかく彼女は走った。怖かった。あの時はそばに守ってくれる人がいた。

だが、今この場にその彼はいない。だから走った。自らの内に潜む恐怖と寂しさから逃れるかのように。

「ここならば安全でしょう」

そう言ってメッセニが連れてきたのは、城の宝物庫だった。わざわざ城に強盗に押し入るような輩はいない。ここが攻められるのは、他国の軍隊がドルファンを制圧したときくらいだろう。

それにこの国には、西欧で名を轟かせた大怪盗や、絵画を盗む謎の美人三姉妹怪盗のような輩もいない。よって警備の度合いからしてもここが一番安全なのだという。

「申し訳ありません、陛下…」

しばらくした後、メッセニが不意にそんなことを言ってきた。プリシラとしてはなぜ謝られるのか分からない。いや、おそらく責任感の強いこの男のことだ、今回の事件で自分に責任を感じているのだろう。

プリシラはフォローに必死になっていたが、その直後背筋が凍るかのような冷たい台詞が、背後からゆらりと現れた女性によって紡がれていた。

「貴様、何者!」

メッセニが剣を抜く。そしてプリシラはその女性の顔を見た。

(この女性ひと、どこかで…)

だが思い出せない。もし会っていたとしても数年前になる筈だ。何しろ彼女は王位を継いでから以前のようなお忍び外遊などしていなかったのだから。

「答える必要はあるのかしら…」

その女性はあくまで自然に、細剣を下げたままゆっくりと近づいてくる。しかし細身の一見可憐なその身体からは、信じられないような威圧感が滲み出ていた。

戦いに身を置く者でないプリシラは分からないが、ライズは今途方もない殺気を放っている。これは隠密としての彼女からは信じがたいことだが、ヴァルファで彼女の正体を知る者ならば、簡単にその理由が理解できる。

―――曰く、彼女は戦士としても超一流なのだと―――

他の八騎将と違い、一騎当千の豪傑タイプではないため目立った戦果はなく、ゆえに世間ではあまり名も知られていない。しかしヴァルファ騎士団に詳しい者ならば耳にしたことがあるだろう。

―――曰く、サリシュアンに狙われ、生還した者はいない―――

それは、こと一対一の状況ならば、彼女は最強に近い位置にいるという証明ともなっていた。もっとも、普段の仕事では邪魔になるだけなので気配を遮断しているのだが。

「退きなさい。私はプリシラ女王に用があるの。刃向かうと……死ぬわよ?」

「チッ、アサクラの奴の仲間か!」

メッセにはそう言うが早いか目の前の女性に飛び掛っていった。

(アサクラ…?まさか!ということはこの女性は…)

プリシラは、メッセニの口からアサクラの名が出た瞬間、全てを思い出していた。三年前の誕生パーティー、リョウが連れてきていた女性がこの人だったと。

(あの時、その女性に軽い嫉妬を覚えて、珍しく忘れないように本気で名前を覚えたんだった…)

確か、名前はライズ・ハイマー。彼女の持ってきてくれたカクテルを調子に乗って一気飲みしたリョウがひっくり返って、大騒ぎになったんだっけ。あの後詳しく話を聞こうとしたら、いつの間にか煙のようにどこかへ消えていた…

(なるほど。"あちら側の人間"だったわけね)

そこまで考えてから、再び目の前の戦いに意識を戻す。考えていた時間は2秒となかった筈だが、すでにメッセニの顔には焦りが浮かんでいた。

「せやァッ!」

メッセニの剣がライズめがけて暴風のように吹き荒れる。プリシラは知っていた。自身の近衛隊長を務めるこの男は、剣技においてもかなりの技量を持つと。実際今目の前にして、改めてその力は理解できた。

―――では、その彼の攻撃を、あんな細い剣で軽く受け流している彼女はいったい何者なのか―――

「甘い」

細剣一閃。メッセニの豪剣を受け流しつつも、ライズは確実に敵の身体に傷を付けていった。戦闘の幕が開けてからわずか十数秒、すでにメッセニの身体は切り傷だらけになっていた。

ライズは狙おうと思えば最初の反撃で心臓を穿つことができた筈だ。しかし幾度打ち合ってもそれをしないのは、ひとえに彼女が手加減していることの表れだろう。

そしてそれは同時に、メッセニに対しどう足掻こうがこの相手には勝てないという現実を、そのレイピアに乗せて重く突きつけていた。

「やめてぇ!」

たまらずプリシラが叫ぶ。

「一体どうなってるの?いきなり殺し合いを始めるなんて…説明の一つくらいあってもいいんじゃなくて?」

「そうね…」

つぶやいてから、ライズはメッセニの手の甲にレイピアを突き刺す。

「グッ…」

思わず取り落としたメッセニの剣を蹴り飛ばし、さらに彼の首筋に切っ先を向け、ここに勝負はついた。

「私たちは貴方をスイーズランドに亡命させるため、この国に帰ってきたわ。それは……」

そのあとライズの口から語られた内容は、プリシラに対し、その強い心を大きく穿つほどの衝撃を与えた。

無理もない。父王が亡くなって後、貴族たちの横槍や他国の干渉から、必死になって守ってきたこの国が潰されるというのだから。

「……ひとつ聞くわ。これは、リョウ個人の意志?」

プリシラがやっとの思いで言葉を吐き出す。

「違うわ。公にはできないけど、これはスイーズランドの意志よ。

 ……でもそうね。まあ、リョウが必死になって上層部を動かしたんだから、彼の意志っていうのも間違いじゃないか」

「そう……」

ライズの返答に、プリシラは思案顔になり、そのまま沈黙が訪れた。

「ところでメッセニ少将、貴方は先ほどリョウが指定した場所を無視しましたね?あの行動に出た貴方の心を聞かせて欲しいのだけど」

視線を今度はメッセニに向け、ライズは別の質問を投げかける。

「……貴様には分かるまい。国を背負うということがどれほどのことか。確かに、このままではドルファンが崩壊するのは時間の問題だ。

 だが、たとえどれほど絶望的な状況にあろうと王は国民を見捨ててはならない。それが、国を治めるということなのだから。だからこそ私は…」

「待って」

沈痛な表情で言葉をつむぐメッセニを途中で制し、プリシラが言葉を発した。

「メッセニの気持ちは分かるわ。だからこそ私も、三年前…彼に…付いて行かなかったんだから。今度もそう。たとえ私が倒れることになっても、私は自分の王としての責務を全うするわ」

「そう……」

ライズは、静かにメッセニの首に突きつけていたレイピアをずらす。そして、

「ふざけないでっ」

部屋全体に響くほどの音で、プリシラに平手打ちを放っていた。

「貴様、陛下に…」

「黙りなさい!」

恐ろしいほどの殺気が、食って掛かろうとしたメッセニを凍りつかせる。

「最後まで国と運命を共にする。美しいわね、後世に美談として語り継がれるわよ貴方」

「違う!私はそんなつもりじゃ…」

「違わないわ。貴方がこの国に残れば、後の世の人たちは貴方を讃えるかも知れない。最後まで国と運命を共にした英雄ってね。

 でもそんなもの、何の解決にもならない。結局国は滅び、人々は圧政に苦しむだけよ。貴方はこの国に残って国民と運命を共にすることが王としての責務だと言った。

 しかしそれでも国民を見捨てることに変わりはない。自らの命と引き換えに、名誉を得ようとするひどく自己中心的な行為に他ならないわ。

 本当の王の責務っていうのは、泥を這い回ってでも生き延びて、あらゆる困難から国民を守ることなんじゃないかしら」

ライズの言葉は、それこそ本当にナイフで心臓を穿つかのように、深くプリシラの心に突き刺さった。

「私…私…」

プリシラは悩んでいる。今まで自分が信じてきたもの、それが今目の前で否定されたのだ。ライズの言葉が的を射ているということを頭では理解しつつも、心ではついていけない部分がある。

そんなプリシラの様子を見て、ライズは最後の一撃を加えることにした。

「まあそれはいいわ。本当の事言うとね、貴方に生き延びてもらわないとこっちが困るの。今プロキアにドルファンを併合されると、南欧のミリタリーバランスは大きく崩れるわ。

 スイーズは永世中立なんていってるけど、北方の中欧諸国家との仲は決して良くはない。背後の脅威は、芽が出た段階で潰したいの。貴方には、そのための御輿になってもらうわ」

ぶっちゃけすぎである。しかしこれ位の事、賢い奴が少し頭をひねれば考え付くことだ。それにこれでプリシラにとっても大義名分がつくことになる。それくらいなら喋ったところでかまわないだろうとライズは判断した。

「……いいでしょう。あなた方についていくことにします。よろしくお願いしますわ、ライズ・ハイマーさん」

それで決心がついたのか、プリシラは顔を上げた。一方のメッセニは渋い表情ながらも、

「陛下、あなたがお帰りになるその日まで、私も地を這ってでも、生き延びて見せましょう。お元気で……」

そう言ってプリシラを送り出した。

「ライズ、といったな」

しかし最後、部屋を出るというときにメッセニはライズに向かって声をかけた。

「君はなぜ、先ほどあんなにも感情的になっていたのだ?あれが演技とは思えんのだが」

「さあ、なぜかしらね」

その質問に、ライズは首をすくめてはぐらかす。しかし本当に最後、部屋から出るというときに振り返り、

「死んだら、残された人たちが悲しすぎるから、かしら」

そう言って、儚げに笑った。

近衛兵のふりをして、俺は謁見の間までたどり着いた。顔を上げると、そこにはかつて愛し、3年間忘れることすらできなかった女性の姿があった。

(綺麗になったな…畜生)

そう思ったが、怪しまれないようすぐに視線を外し、とりあえずあらかじめ用意しておいた台詞を叫んだ。

「ここは危険です。奥へ」

メッセニがプリシラの手をとり、奥に下がろうとする。俺はそれを見て安心した。奥にはライズがいる筈だ。彼女ならばどんな事態になろうと必ず任務を達成できるだろう。

(さて、俺も行くかな)

「城内にいまだ負傷者多数!至急増援を願います!私は陛下の護衛任務に就きます」

言って、俺も2人を追って駆け出した。

「待ちたまえ」

しかし、謁見の間の奥から聞こえてきた声に俺は呼び止められた。声の先を見てみると、先ほどまで縮こまって震えていた貴族たちの姿が見える。

(まずいな…3年間の生活でほとんど消えたとはいえ、俺にはまだ少し東洋訛りが残っている…できるだけ口をつぐまないと)

「どうかなさいましたか?」                                                                        

貝のように口を閉じて黙っているわけにもいかず、俺は極力訛りに気を使いながら貴族たちの集団へ近づいていった。

「いやいや、せっかくあんな派手な演出で侵入してくれたんだ。こちらもそれなりに出迎えるべきだろう?」

「!」

その一言に、今まで周囲で慌てふためいていた近衛兵たちが、いっせいに俺を見る。俺も正体が露見したことを悟り、剣を抜いて戦闘体制に移行する。

そして、俺の正体を看破した者の顔を見て驚いた。

「貴様…ジョアン・エリータス!」

「久しぶりだなあ東洋人。まさかテロリストになって帰ってくるとは、さすがの僕も予測できなかったよ」

嫌味たっぷりに話しかけてくる、こいつは間違いなくあのジョアンだ。だが、

「バレるのは時間の問題だとは分かっていたが、まさか貴様に感づかれるとはな。なぜ分かった?」

「逆説さ。君はさっき侵入者がこっちに向かっている、と言ったろう?そのあとすぐに女王を追おうとした…これでもし君がその侵入者だったら、これ以上ない状況だ。

混乱している馬鹿共は騙せても、この僕は騙されないよ」

「…参ったな。3年前なら、貴様の言う馬鹿共のカテゴリには、貴様自身も含まれていただろうに」

俺は自分が絶体絶命の状況に追い込まれたにも関わらず、悪態をつきつつもジョアンの機転に舌を巻いていた。この3年間に、コイツに何があったのか。

「…ソフィアか?」

俺がこの国を出る直前、俺自身がごたごたしていたためによく知らなかったが、風の噂に、ソフィアがかの許婚といよいよ結婚するらしいと聞いた。

「そうかもしれないな。彼女のおかげで、僕はずいぶんと周りを見るようになった気がする。だがそんなことは些事だ。君がそれを見抜けなかった理由はただひとつ」

ジョアンがキメる。

「君の国のことわざにある、脳ある鷹は爪を隠すというやつだ!」

瞬間、俺や貴族連中、周囲の近衛兵たちからどよめきが起こった。歓声、それと「あのジョアンが」という驚き。俺は後者だ。

「さすがだなジョアン。確かに俺の負けだ。わざわざ俺の国のことわざまで持ち出されるとは思わなかった……だが残念だ。貴様は、漢字を間違えている!」

俺が言い放つと同時に、それまでのどよめきが嘘のように、弛緩していた周囲の空気が一気に凍りつく。

「君の意志は分かった。では、ここで死ね」

青筋と背筋が寒くなるような笑みを浮かべ、ジョアンが宣言する。それを合図に、ジョアンを含む周囲の近衛兵が一斉に剣を抜き、斬りかかって来た。

「チィ!」

とりあえず周囲の雑魚に剣を一閃して怯ませ、正面から斬りかかってくるジョアンを軽くいなす。

「…って嘘だろ!」

しかし軽くいなせると高をくくっていたジョアンの攻撃は、俺の予想をはるかに上回る威力で、片腕でしのごうとした俺の左腕を見事に痺れさせた。

「油断とは君らしくないな。まあいい、なんにしろ今の君は聖騎士でも何でもない、ただのテロリストだ。故に僕に斬られ無様に散るがいい」

わずかに体勢を崩した俺の隙を突き、右横から剣が迫る。

「クソッ」

だがそうそう簡単にやられる俺ではない。皮が一枚犠牲になったが何とか深く斬られるのだけは避けた。

…だが俺の圧倒的な不利には変わりがない。ジョアンはさすがに俺には及ばずともかなりの力を持つ。本当に何があったのだろう。

そしてそれにもまして厄介なのが、全方向から容赦なく斬りかかって来る近衛兵たち。こいつらのせいで、俺はジョアンを攻めあぐねていた。

「ええい、貴様こんなに強かったのか?一体何があった」

強がりとも取れる台詞を吐くほど、俺は追い詰められていた。

「君のおかげだよ東洋人。僕はせっかくソフィアと結婚したのに、彼女は僕が弱いと言う。いつまでも君の幻想を追い続けているんだ。滑稽だろ!

 君に振り向いてももらえなかったのに、エリータスの家に入ってからはいつもいつも君と僕を比べるんだ。だから僕は強くなろうと思った。必死で剣を覚え、学問を身に付けた。

 だけどな東洋人。比べる対象である筈の君はもうこのドルファンにはいない。故に僕はどれほど強くなろうと、いつまでも君を超えることができなかった。

 だから嬉しいよ!こうしてこの場で君を殺し、ソフィアを悪しき幻想から解放してやれるんだから!」

そこでジョアンの表情が変わる。以前の薄っぺらな自我に必死にしがみついていた哀れな男の姿は、そこには見る影もない。

今ここにいるのは、長年の仇敵にようやく出会ったかのように、悦びを隠し切れない様子の、狩人そのもののような男だった。

「だったら一騎打ちで決着をつければいいだろうが!大勢でタコ殴りにするのは貴様の主義に反するだろ?」

「甘いな東洋人。今僕に必要なのは結果だよ。君を殺したという最高の結果さ!過程は問題でない!」

徐々にエンジンがかかっていくジョアンと、必死に防ぐ俺。状況から見ても、これ以上長引かせるのは不利だ。騒ぎを聞きつけたのか、近衛兵はどんどん増えている。

さすがにこれ以上は、多勢に無勢、パワーダウンで俺の敗北となるだろう。

(でも、俺はソフィアに悪いことをした。きっとコイツと結婚することが嫌で、俺の幻想を追うことに逃避してしまったんだろう……)

「君の首はこの僕が貰い受ける。さあ、惨めな最後を迎えるがいい!」

(それに考えてみれば、こいつも哀れな奴だ。ただソフィアの為に、それだけの為にここまで強くなっても、いっこうに報われないんだから……)

「貰ったァ!」

「ぐぉ…!?」

ジョアンの突きが俺の脇腹を掠める。こいつはかなり効いた。思わず片膝をつく俺に、ジョアンの容赦ない剣が襲い掛かる。ここにおいて、俺は今回初めて死を覚悟した。

ガキッ、と、金属がぶつかり合う音がする。

「……だけどな、ジョアン……」

「!?」

止めと振り下ろした剣を受け止められたジョアンの表情が、驚愕のそれに変わる。外套に隠していた俺の最後の切り札、フリントロック・ピストル。

ほんの少し前にスイーズランドで新たに開発された、騎兵用拳銃だ。火打石式の発火装置を用いた新型であり、これまでのホイールロックタイプと比べて、軽量かつコンパクトな一品である。

その銃口が今、剣を受け止められて隙のできたジョアンの腹部に、ぴったりと押し付けられていた。

「俺は確かに、君たちに悪いことをした。他にも、今のドルファンにおいて俺の存在は死神以外の何者でもないのかもしれない。

 だけどな、俺にも譲れないものがある。もはや正義なんてモノを騙るつもりはない……ただ、修羅の道を歩むのみ」

そうして、轟という音と共にジョアンの身体は吹き飛んだ。至近距離から放たれた銃弾は、鎧を砕き、奴に深いダメージを負わせた。さらに今の衝撃で、奴の意識も吹っ飛んだようだ。

「退け。急所は外したゆえに、今ならまだそいつは助かる。同じように腹に風穴を開けられたくなければ、道を空けろ」

このときの俺は、きっと本当に恐ろしく、冷たい表情をしていたんだろう。その証拠に、目の前の近衛兵たちは、悪魔でも見るかのようにして道を空けていく……

「ソフィア、ジョアン……君たちに悪魔と呼ばれてもいい。だけど俺は、この道を選んだことを、決して後悔はしない……!」


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