4月8日 夜半
「……いつまで待たせるつもり?」
目の前で箪笥を漁る女王様を見て、ライズは呆れ顔で言った。
「だって、ここ最近街に出ることなんてなかったんだから。もー、どこ行ったのよ!」
ぶうぶう文句を言いながら、四次元ポケットよろしく箪笥からさまざまな洋服を引っ張り出しているのは、ドルファン王国女王、プリシラ・ドルファン。
しかし今の彼女を見て、それと納得できる人間はいないだろう。かのアサクラも、再会の時、現実の不条理に思わず涙しそうになったと言っていた。
そんな彼が、心の中でプリシラにつけたあだ名が"おてんば姫"。
(まさにその通りね……)
ドレスでは目立つからと、彼女の寝室に連れてきたが、ライズは自分の判断が誤りだったのではと密かに頭を抱えていた。
「貴方この状況にあって、ずいぶん余裕なのね?」
もはや数える気すら起きないため息をついて、ライズが毒づく。
「そんなことないわ。これでもまだ、すごく悩んでるんだから」
背中を向けたままプリシラは答えた。そこで、いったん言葉が途切れる。
「ねえ、ライズ?」
今度はプリシラが言葉を発した。
「何?……そういえば、名前……私自己紹介したかしら?」
「三年前にね。覚えてる?私の誕生パーティーに、貴方が来ていたこと。あの時私、すごくショックだったんだから。
リョウと二人で過ごそうと思ってたのに、彼ったら女の子を連れてくるんですもの。思わず絶対名前覚えてやるって誓ったわ」
「フフッ。それは杞憂よ。私、彼とはそんな関係じゃなかったもの」
「……今も?」
「さあ、どうかしらね。少なくとも私は、彼を嫌ってはいないけれど」
ライズが例によってはぐらかし、プリシラはぶぅ、とふくれる。
「あ、あった!これならばっちりね」
そこで再び探し物を開始したプリシラが、ようやくお目当ての服を発見した。
「言っても無駄かもしれないけど、急いでね」
「分かってる」
絶対分かっていなさそうな生返事をして、プリシラはいそいそと着替えを始めた。
「しかし不思議なものね。かつて私を殺そうとした女性が、今度は私を連れ出そうとしているんだから」
洋服に頭を突っ込んで、プリシラがふと言葉を漏らす。
「なんだ、知ってたの」
対するライズも、それが当たり前のようにプリシラの言葉を肯定した。
「さすがにね。貴方が持ってきたのを飲んだ直後に、リョウがひっくり返ったんだもの。あの対象が本来私だってこともすぐに理解したわ」
「それなら何故、私を追わなかったの?」
「リョウが自分を犠牲にしてまで守った人だから。彼、貴方が毒を盛ったのに気付いていたのね。だから私を殺して貴方が罪を犯すのを見ていられなかったんだと思う。
だから、貴方は彼にとって大切な人なんだなって、理解した。それだけよ」
洋服から頭を出し、両手を通したところで、プリシラはそう言って、寂しそうに笑った。
「馬鹿ね……」
それだけつぶやいて、今度はライズが寂しそうな笑顔を浮かべる。
「リョウが私の行動を理解したの、何故だと思う?あの時私は、何故彼があんな行動をとったのか、正直理解できなかった。
私は彼に惹かれていたから、その関係を壊すのが怖くて、その後もずっと聞けずじまいだったわ。でも、スイーズランドで彼と共に過ごして、その答えは分かった気がする」
そこでいったん、言葉を切る。
「彼と私は"同じ"なの。最初は彼のこと、偵察任務の対象としか認識していなかったわ。そして彼個人に興味を持ったのが、どことなく私と同じ"匂い"がしたから。
人を殺して生きるしかない社会不適合者なのに、それを必死で押し隠して日常を演じようとしていたところとかね。
そうして惹かれていった。根本的なところで似ている二人だからある意味当然だったかもしれない。だけどね、私たちでは駄目なの。その理由、わかる?」
「……」
「私たちは、お互いを"他人として認識できなかった"の」
自嘲気味にそうつぶやいて、ライズは彼女にしては珍しい長話を打ち切った。
「……準備できたわ」
空気にいたたまれなくなったのか、重い声でプリシラが声をかける。
「それじゃあ、行きましょうか。体力の残りは充分?」
一気に女王から派手な町娘に変身したプリシラを見やり、逆に晴れ晴れとした表情でライズは言った。
「安心してプリシラ。リョウは私の半身。その彼が、今貴方を全力で救い出そうとしている。だから私も、私の全てを賭けて、貴方を守るわ」
それは、自身に対する誓いでもあった。
ジョアンを銃撃してから数分、俺はドルファン城の廊下を、かつてのプリシラの寝室に向かって走っていた。だが追っ手を撒くためにあえてそれとは分からないルートをとっている。
こうなると、先ほどジョアンに斬られた脇腹の傷が役に立った。滴る血は俺の足跡をしっかりと辿っている。故に近衛兵もこれを追って来るだろう。
「子供騙しだな」
俺はつぶやいて、城の中で一番の魔境、空中庭園にやってきた。ここで止血をし、今度はプリシラが自分用に編み出したと自慢していた秘密ルートを通る。
俺たちの密会場所でもあったここの構造は、三年たった今でもしっかりと身体が記憶していた。
「これで騙されてくれれば、いくらかの時間稼ぎにはなるか」
血痕がここで途切れたことで、追っ手の連中は俺が逃走を図ったと思うだろう。そうなればかなりの人数が俺の捜索に回る筈だ。プリシラを警戒する人間は少ないほうがいい。
そこまでしたあとは早かった。もとより俺が待ちきれずにうずうずしているせいもあるだろう。自然と早足になり、気が付いたときには彼女の寝室の前まで来てしまっていた。
「プリシラ……」
そこで俺は思わず声を漏らした。三年間、忘れることさえ叶わなかった女性が今、手の届くところにいる。
「本当に久しぶりね、リョウ」
俺にとってはむしろドレスよりも見慣れた、町娘の格好をしたプリシラも、本当に感慨深げにつぶやく。
「リョウ……」
場の雰囲気に遠慮したのか、ライズが小声でささやいてきた。
「分かってる……プリシラ、本当にいいのか?」
「ええ。自分の力の無さが悔しいけど、私は私にできる最善のことをしようと思うわ。よろしくお願いね、リョウ」
次の瞬間、プリシラの身体が流れるように動き、ほんの少しだけ、俺に体重を預けてきた。
この感触は知っている。今は十分に大人の女性へと変貌を遂げているが、これだけは変わらない。俺を信じて、彼女の全てを預けるという意思表示。
あの日別れた時から変わらない、信頼の証。俺は、今度こそこの最愛の人を離すまいと、固く心に誓った。
「露払いは私が引き受けるわ。リョウはエスコートをお願い」
呆れながらも優しい笑みを浮かべ、ライズが走る。俺もプリシラを抱え、ライズを見失わないように駆け出した。
(まったく、見せ付けてくれるわね)
ライズは心中静かにため息をついた。自分の半身と認識しているリョウがあんなに嬉しそうなのは、彼女としても気分がいい。
だがそんな彼らの気分とは裏腹に、事態は次第に悪い方向へと傾き始めていた。本来ならば、メッセニにはプシリラを確保したあとに近衛兵を指揮することを期待していた。
彼が全面的に今回の作戦に賛同していれば、おそらく事態はもう少し楽に運んだだろう。だが彼は使えない。ゆえに使用できる駒は今現在ライズとリョウだけとなっている。
ある程度統率が取れた状態で、メッセニが誘導してくれるのならこの脱出は簡単に成功しただろう。だが今の近衛兵は指揮系統が分断され、動きを予測することが不可能となっている。
だからたった今ライズが斬り伏せたこの男のように、突如として目の前に現れるといったことも起こり得るのだろう。
(まずいわね……私も彼も、守る戦いは専門外よ。これ以上は……きついわ)
珍しく弱音を吐きそうになった自分を叱咤激励して、ライズは走る。気配遮断は便利な能力だが、展開には尋常ならざる集中力が必要になる。
リョウたちの露払いを引き受けてからの彼女は、それをずっと展開したままだ。疲労はかなりのものがあり、大粒の汗が額に滲んでいる。
ふと、後ろを振り向いた。リョウはそのほうが速く走れるのか、プリシラを文字通りお姫様抱っこで抱えたまま走っている。しかし彼の表情にも、また疲労が見て取れた。
プリシラは気が付かなかったようだが、ライズは気付いていた。寝室へ向かう途中、謁見の間の方角から、かすかに銃声が聞こえたのを。
(それにあの傷……かなりダメージが残っていると見たほうがいいわね)
なんにせよ一刻も早く城から脱出しようと考えたときだった。
「いたぞ、あそこだ!」
声と共に、リョウたちの後ろから、それこそ絶望的なまでの人数で、近衛兵たちが現れた。
「クッ…!」
「ここは、私が…!」
ライズが立ち止まり剣を構え、プリシラが皆を説得しようと腕からすり抜ける。だが、
「構わん、走れぇ!」
リョウの声に二人は弾かれたかのように、今度はライズがプリシラの手をとって走り出した。もはやすぐそこは外だ。彼女たちに続いて、リョウも走る。
「貴様ら、止まれ!」
近衛兵たちは、それこそ土石流のように押し寄せてくる。しかし、
「轟!」
という一発の銃声と共に、その流れはぴたりと停止した。兵たちの視線の先には、立ち止まり先ほどの銃を構え、次の一撃を放とうとしているリョウの姿があった。
「悪いが、貴様らに今、プリシラを帰してやるわけにはいかない」
リョウは流れを前にしてそう宣言すると、おもむろに右手に持ったその銃を、頭上高く掲げる。そして、
「じゃあな」
そう言って先を行く二人に笑顔で振り向いた後、そのトリガーを引いた。
轟、と言う音に続いて、激しい爆発音。閃光に思わず目をふさいで、再びその目を開いた二人が見たのは、崩落し、すでに入り口としての役割を失ったドルファン城のホールだった。
「嘘でしょ…?」
茫然自失状態に陥ったプリシラがよろよろとホールに向かう。だがライズがそれを必死に引き止めた。
「私たちの目的を見失わないで!彼はあのくらいでは死なない!私には分かるから」
気休めだった。瓦礫で埋まったホール。おそらくリョウがもしものときの為に爆薬でも設置していたのだろう。
この爆発では、彼は生きてはいまい。もし生きていたとしても、駆けつけた近衛兵に惨殺されるだけだ。だが、これで私たちは逃げ延びることが出来る。
「行きましょう。彼の意志、無駄にはしないで」
プリシラを引きずるようにしながら、ライズはドルファン城を後にした。胸に大きな穴が開いたような、ひどく寂しい気持ちを抱えたまま。
「うぅ…くっ…」
馬を走らせるライズの背にもたれ、プリシラは声を上げずに泣いていた。涙は降り続く雨に流され、今では自分がどれだけ涙を流したのかすら分からない。
嬉しかった。もう二度と会うことはないと、自分から拒絶した私には会う資格すらないと、そう思っていた最愛の人に再会することができた。
悲しかった。変わらない笑顔、安心感。再びそれに包まれることができると思った矢先に、彼は私を置いて行ってしまった。
声を上げて泣きたかった。しかしそれをしないのは、目の前で黙って手綱を取るこの女性が、ひょっとすると自分よりも悲しんでいるということが分かっているからだ。
(私は、多くのものを失ってしまった……)
それは信頼。ドルファンの女王として、巨大な敵に毅然と立ち向かうことを放棄したことによる必然。
それは心。再び彼に会って、押さえ切れないほどに走り始めた恋心。しかしゴールテープを持って待ってくれている筈の人は、今ここにはいない。
ならばこの私の心は、一体どこに持って行けばいいのか。
そして、そんなことで頭が一杯になっていたせいだろうか。手綱を握るライズの手が震えているのを、プリシラは分からなかった。
「プリシラ……ごめんなさい。貴方を連れて行くの、無理みたい……」
もうかなり走っただろうか、しばらくしてライズが震える声でそう言った。
「え…?一体どうし……」
そこでプリシラも気が付いた。自分たちの周囲に人の気配があることを。それも一人や二人ではない。少なく見積もっても数十人だ。おそらくはもう囲まれているのだろう。
「ここまでね」
ライズが馬を止め、その背から下りる。プリシラもそれに従った。すると、それを待っていたかのように、闇の中からそれこそ二人を囲むように、大勢の兵士があふれ出してきた。
「せっかく追っ手を撒いたというに、残念じゃったなぁ、若いの」
兵士の壁の奥から、しわがれた老人の声が響く。その声に、プリシラははっとして顔を上げた。
「貴方は、ピクシス卿……!一体何のつもりです?」
女王らしく凛とした姿勢で、プリシラは兵士の壁をかき分けて出てきたその老人、アナベル・ピクシスを問いただす。
彼女はひたすらにその老人を睨み付けていた。一方のアナベルもプリシラの視線に真っ向から対峙している。
だからだろうが、横のライズがピクシスの名が出た瞬間、一瞬だけひどく恐ろしい形相になったことには、二人とも気が付かなかった。
「何のつもり、とはおかしな質問ですな。むしろそれは、このようなところでテロリストと行動を共にしている貴方に対して、わしが言いたい台詞ですがな」
プリシラから放たれる強烈なプレッシャーを、それこそ柳に風とばかりに受け流して飄々としている様は、さすがはピクシスの怪老といったところか。
そしてその質問に黙ってしまったプリシラに興味を失くしたのか、続いて怪老はライズに視線を向けた。
「まさかテロリストがかの聖騎士アサクラとは驚いた。そういえば奴の姿が見えないようじゃが?」
「……彼なら死んだわ。私たちを逃がすためにね」
唇を噛み切らんばかりに悔しさを滲ませ、ライズが答える。
「ほっほっほ。それはさぞ残念であろうな。もっとも、わしらにとってもいささか都合が悪いがのう」
「何故貴方にとって都合が悪いのです?むしろリョウが死んで、貴方はせいせいしたんじゃないんですか!」
愉快そうに嗤うアナベルを見て、感情を抑えられなくなったプリシラが叫ぶ。
「何、奴がこの場におれば、舞台としては完璧だったということじゃよ」
それすらも意に介さず、アナベルは得意気に語りだした。
「三年前から恐ろしく切れる男だと思っておったが、やはり只者ではなかったわい。まさかたった二人で一国の行政中枢にまで入り込み、そこから国王を誘拐することができるとは誰も思わんからのう。
だからこそそれを成し遂げた君たちには価値がある。故にここで死なねばならんのじゃ」
「何が言いたいのです。卿」
感情が爆発するのを必死になって抑えている様子のプリシラが、震える声で問う。
「お分かりになりませんかな?女王陛下。わしは"プリシラ女王がテロリストにより誘拐され、殺害された"という状況を作りたいだけなのですぞ」
その問いに、アナベルはさも当たり前のように、そう答えた。場の緊張感が一気に高まる。それを打ち破ったのは、ライズの諦めにも似た呟きだった。
「城内ではおそらく最高の権力を持つ貴方の私兵が動かなかったのは、そういう訳ね」
瞳に殺意をみなぎらせているが、こうも大勢の兵士に囲まれれば身動きは取れない。
「そういうことじゃ。君たちが押し入ってきた瞬間に、こいつは使えると思ったわ。仮に君たちの目的が女王の命であるならそれで良し。
わしはここで、もうひとつの可能性に備えて待機しておればよいだけだ。そうすれば巻き込まれて殺されることもないからのう」
「そうしてこの場で私たちを殺し、あとはテロリストとの戦闘時に人質となった女王が、追い詰められたテロリストに殺害されたとでも言えばいいわけね」
「そういう事じゃ、娘。では陛下、最期に何か言いたいことなどあれば承りますが?」
この状況に自身の絶対的な優位を見出したのだろう、ひどく芝居がかった調子でアナベルが尋ねる。
「では聞くわ、アナベル・ピクシス。三年前の外国人排斥法といい、貴方は一体何が目的なのです?」
逆にこの絶対的に不利な状況にも関わらず、凛としてプリシラは言葉を返した。
「ふむ、わしの目的か……そうじゃな、かつてのドルファンの栄光を取り戻すといったところか。異国人の、しかも傭兵のアサクラなぞに心を奪われおった陛下や、
あろうことか奴を利用してわしらを封じ込めようとした愚かな前王には理解できぬかもしれんが、傭兵を迎え入れてからの我が国の品位は落ちる一方であった。
ゆえにこれ以上あの
いや、プリシラ陛下。わしは実に残念です。貴方がもう少し愚鈍であったなら、わしもこうして貴方に危害を加えるような真似をせずに済みましたものを……」
その言葉が終わると同時に、いままでアナベルの後方で控えていた兵士たちがゆっくりと前進してくる。
「ふざけないで欲しいわね、アナベル・ピクシス。かつてデュノス・ドルファンを自らの権勢の為に死地に追いやったほどの貴方が、国のためですって?
つまらない冗談は不愉快よ」
兵士たちの前進に合わせて、ライズも剣を抜き、プリシラを守るように前に出た。
「なかなか面白いことを申すな。よかろう、まずはそこの娘を殺せ」
アナベルの言葉に、兵士たちの目標がライズに設定される。そのままじりじりと狭まる包囲の壁。しかしその進行は、一発の銃声によりぴたりと停止した。
「悪い、遅くなった」
待ち合わせに数分遅刻したかのように軽い調子で、銃を構えて悠然と歩いてくるのは、先ほどまで死んだと思われていたリョウ・アサクラ。
そして彼はモーゼの十戒のように割れた兵士の壁の間を通り、そのまま中心のプリシラとライズのところまで歩いていった。
「リョウ!」
「こらこら、抱きついてくれるのは嬉しいが、今背中から斬られたら洒落にならんぞ」
そうは言いながらも、飛びついたプリシラを抱き止めて、その頭を撫でているのはさすがはリョウといったところか。
「ほう、先ほど貴様は死んだとそこの娘は申しておったが、あれは虚言であったか」
ライズですら固まっているというのに、アナベルはこの事態にも動じず、冷静に言葉をかけてくる。
「いや、あんたの行動が気になったんでな。城を出たあたりで追っ手を差し向けるだろうとは予測していたが、まさかこっちが本命とは思わなかった」
「追っ手?」
ライズが反応する。
「ああ。君たちは気が付いてなかったみたいだけど、城を出たあたりで四人ほど、君たちを追っている奴がいたんだ。
おそらくそこのじーさんの差し金だろうけど、まあ安心して。俺が全員斬っておいたから」
絶体絶命の状況に自ら足を踏み入れているにも関わらず、相変わらず軽い調子でリョウは口を動かしている。
さすがにこれにはライズも正気を疑ったのか、心配そうに彼の表情を見やった。
「覚悟を決めて、自ら死にに来たか?それとも気でも触れたか?」
そのライズの心を、期せずしてアナベルが代弁する。
「悪いがそのどちらでも無い。確かにあんたの存在を軽く考えすぎていたのは俺の責任だ」
そう、おそらくいやらしさではトップクラスのピクシスの怪老を、メッセニ一人に封じさせようとしたことが失敗の原因であったのだろう。
さすがにたった二人では貴族にまで手を回している余裕はない。だからといって裏切る可能性のあるメッセニをアナベルに付けるのは、いささか無謀すぎた。
それはリョウも反省しているところではある。
「あんたの策略はさすがだよ。この機に乗じて女王殺しを企むなんて、さすがの俺にも見当もつかなかった。戦略を練ることに関しては多少自信もあったけど、あんたのほうが役者が一枚も二枚も上手だったようだな。
いち早く城を脱出し、城門付近に少数の私兵を配置し、そして自分は本隊を率いてここで待つ。あれだけの短時間でここまで考え付くあんたは間違いなく天才だ。
だけどな、俺の国には「策士策に溺れる」という言葉がある。アナベル・ピクシス、あんたは最後の詰めを誤った」
そこまで言ってリョウは抱いていたプリシラを優しく引き離し、己の背中に匿った。
「ほう、この状況でそれを言うか」
アナベルは自身の勝利を確信しているのか、リョウの言葉を鼻であしらう。
「分からぬか。ならば教えてやろう」
そう言ってアサクラは銃を捨てて抜刀し、ライズに目配せをする。
「たかだか百人程度で、俺たち四人を止められると思うな」
アサクラがそう宣言した瞬間、三人を囲っていた一角から悲鳴が響いた。
「ライズ!」
それを合図に、リョウとライズが跳ねる。この一呼吸の間に、まさに二人に斬りかからんとしていた兵数名が斬り伏せられた。
「ライズ様!間に合いましたね」
声と共に兵士たちの壁を突き崩して現れたのはフィオナ。ライズ直伝のレイピアが、容赦なく立ちはだかる兵士たちの急所を穿っていく。
「久しぶりだな、プリシラ!」
「カルノー!?」
続いて現れたのは、そのダガーでまるで踊るように兵士たちを斬り捨てていく仮面の男。
「やあ爺さん。殺しに来たよ」
彼はその仮面を外して恐ろしく酷薄な笑みを浮かべたあと、一気にアナベルに突撃する。
「カルノー様!?何故貴方が卿を殺そうというのです!」
アナベルの親衛隊らしき男が叫ぶ。
「僕は爺さんの人形じゃない!僕やセーラを道具としてしか扱ってくれなかった爺は、今ここで僕が殺す!」
普段の冷静な彼からは想像もできないほどに感情を爆発させて、カルノーは目の前の男を斬り、アナベルに肉薄しようとする。
しかしそれは、背後から迫る兵士に対しての、致命的な隙でもあった。
「ぐああああぁぁぁ!」
断末魔の叫びを上げて、男が一人倒れる。そのときカルノーは、自身の背中に熱い鼓動を感じた。
「気持ちは分かるが熱くなるな。今はこいつらを何とかすることだけを考えろ」
カルノーに迫っていた男を斬り、リョウがカルノーと背中を合わせて剣を構える。
「チッ、分かったよ東洋人」
忌々しそうにカルノーがそう吐き捨てたあと、二人はそれぞれ目の前の敵に向かいスタートしていた。
「これが…戦い…」
目の前の惨劇に、プリシラは呆然として立ち尽くしていた。リョウは傭兵である以上人を殺している。
それは理解していても平和慣れしていた彼女にとって、目の前の光景はとてつもない衝撃だった。
しかしそれ以上に衝撃なのは、
「強い……」
目の前で剣を振るう、最愛の人、かつての恋人、自分を助け出してくれた人、そしておそらくは自分より若いと思われる、ほとんど少女のような剣士の四人だった。
彼らが剣を振るうたび、何人もの兵士が倒れ、おびただしい血の雨が降る。
さらにはすでに兵士の数は半分以下に減っているというのに、いまだにその四人は誰一人としてキレが落ちてはいなかった。
「そんな…馬鹿な…」
自身の予測を大幅に上回るリョウ達の力に、アナベルもまた呆然とこの惨劇の前に立ち尽くしている。だがそれもまた仕方が無いことだろう。
なぜならこれまで戦いとは無縁の位置にいた外野二人にとって、目の前の殺戮劇は彼らの心的許容量をはるかに超えてしまっていたのだ。
だからだろう、プリシラは自身の背後に兵士が近づいていたことに、致命的なまでに気付くのが遅れてしまっていた。
「あ……」
ようやく背後に迫る危険に気が付いたプリシラが振り返る。
だがそのときにはすでに、その兵士は剣を大きく振りかぶり、次の瞬間にもプリシラを両断しようとしていた。
死を予感し、思わず眼を閉じるプリシラ。
だが次に眼を開いた彼女が見たのは、心臓から細剣を生やして絶命する、先ほどの兵士の姿だった。
「眼を背けちゃ駄目よ」
心臓に刺さった剣を引き抜き、たった今プリシラを救った少女は言う。
一方のプリシラは、剣を引き抜いた瞬間の返り血を浴びたまま、ただ呆然と立ち尽くしていた。
「貴方がもしドルファンを奪還する意志があるのだとしたら、これから貴方が歩むのは常にこういった血に濡れた道よ。
貴方には、その覚悟がある?」
返り血でその可憐な身体を真っ赤に染めたフィオナが、プリシラに問う。
「…っ、聞かれるまでも無いわね。私はドルファンの女王。未来は、自分の手で掴み取って見せるわ」
一瞬ためらってから、それでも力強くプリシラは答えた。しかし足は震え、どれほど唇を噛み締めようとも奥歯が鳴るのを止めることができない。
そんな彼女の様子を、フィオナは優しい表情で眺めたあと、身に付けた軽鎧の下からハンカチを取り出し、それでやさしくプリシラの顔に飛んだ血をふき取った。
「貴方、私より年下よね?……なんか変な気分」
思わずプリシラが言葉を漏らす。
「そうね、でもこれでもかなりの修羅場をくぐってきてるわよ。だから……!」
次の瞬間フィオナの身体が掻き消え、プリシラの背後で兵士が倒れた。
「人生経験は多い方なの」
振り返って、本当に少女のように笑った。
アナベル・ピクシスは、この事態に逃げることすら忘れて呆然としていた。
自らがドルファン騎士団すら凌駕すると自慢する私兵部隊が、四人の悪魔によりわずか数分の間に、残り十数人まで減っていたのだ。無理もない。
「ぎゃあああ!」
そうしているうちに最後の一人も斬り倒され、残りはアナベル一人となった。
「お久しぶりです、お爺様。そして死んでください」
近寄ってきたカルノーが、その心臓に剣を突き立てようと構える。しかし、
「待って!」
いつになく真剣なライズの声に、根本的なところでフェミニストな彼は、戸惑いつつもおとなしく引き下がった。
「アナベル・ピクシス。貴方は私に殺される理由があります。分かりますか?」
アナベルは答えない。ただ黙って目の前の悪魔の如き女を睨み付けていた。
「では教えてあげましょう。貴方はかつて、自己の権勢のため一人の男を国外に追放した。その男の名は、デュノス・ドルファン。かつての王位継承者です。
貴方は彼は当然のようにのたれ死ぬと思っていた。違いますか?しかし彼は生きていた。幾多の戦場を渡り歩き、ついには権力を手に入れた。
それこそがヴァルファヴァラハリアン騎士団。彼は顔を隠し、デュノス・ヴォルフガリオと名を変えて、復讐の機会を待ち続けた。
けれどいつしか彼の復讐は、ドルファン国家撃滅にすり替わっていった。そしてその歪んだ誓いは、そこのアサクラによって潰された。
もっとも彼自身、最後の戦いでアサクラに止めを刺さなかったことから、そのことを理解していたのかもしれない。さあ、ここまで言えば分かるのではなくて?」
ライズはそこで言葉を区切り、話の途中で座り込んでしまった老人を冷たく見据えた。アナベルはまるで幽鬼でも見るかのようにして、目の前のライズを見上げている。
「君は……まさか……」
「そう、私こそデュノスの娘にして、ヴァルファ八騎将最後の一人、ライズ・ヴォルフガリオ。故にこの名の下に、貴方に審判を下します」
そう宣言したライズは、さながら冷徹な裁判官のようだった。
「ふふ…はははは!愉快じゃ!まさか我が人生の幕が、かの男の娘によって降ろされることになろうとは!この運命に感謝せねばなるまい!」
アナベルは嗤う。しかし彼は決して気が触れてはいなかった。この数奇に、自身の敗北すらどうでもよくなったのだろう、あくまで冷静に自我を保ったまま、彼は狂っていた。
「では、父に代わりここに裁きを下します」
ゆっくりと、針ほどの狂いもなく正確にその心臓を刺し貫けるよう、ライズのレイピアが構えられる。
大気が凍る。降りしきる雨の音すら、誰の耳に入らなくなる。
この厳粛な空気に、リョウをはじめとする四人も、固唾を呑んでこの刑の執行を見守っていた。
「プレシズ・キル」
それは一瞬。天からの裁きの鉄槌の如く、ピクシスの怪老といわれた男は、その心臓を真っ直ぐに貫かれて絶命した。