2007年4月
カッパドキア → スルタンハーヌ → コンヤ → パムッカレ
スルタンハーヌ
キャラバンサライ(隊商宿)
5時起床。カーテンを開けると本日も吹雪の朝。中央アナトリア地方から一気にエーゲ海沿岸地方のパムッカレまでロングドライブするので、この先の天候は未知数とはいえかなり不安になった。
7時出発。雪景色のカッパドキアに別れを告げ、バスの中ではひたすら睡眠を貪る。
8時40分頃、スルタンンハーヌのキャラバンサライ(隊商宿)に到着する頃には、雲が多いけれど雲の切れ間から青空も見える。天気が持ち直した模様でほっとする。よかった。しかし、寒い!寒くて空気が刺すように痛い。
門の彫刻は素敵だ。ほれぼれする。ただし、内部はガラ〜ンとしていて、シルクロード華やかなりしときを偲ばせるものはほとんどない。休憩はキャラバンサライのすぐ前のお土産物屋さん。ここのトイレが行程中で最も綺麗なトイレだった。って何の感想?!(笑)
→の階段もだけど、門の脇にある城壁に上る階段にも手摺りがない!私には怖くて上れない。
隊商はここに3日までは無料で宿泊できたそうで、それ以上宿泊すると有料になったそうだ。医療施設もこの内部にあったらしい。
中国からシルクロードを通ってイスタンブールまで1日30km〜40kmの行程で片道で1年6ヵ月。商売をすると往復で3年3ヵ月〜4ヵ月の旅なので、通しで旅をしたのは記録にある限りではたった4人で、あとは両方向からともパキスタン近辺で折り返しだったらしい。それでも往復すると1年以上の長旅。 当時の商人たちは旅の空に何を思い描いていたのだろうか。そんな物語の残り香をキャラバンサライに求めて空想に耽った。
キャラバンサライ(隊商宿)内部
一昨日から、狙っていたトルコの民族音楽のCDも無事にここのお店でゲット。確かに一昨日の昼食のドライブインのCDの品揃えからすると、種類も数も数十倍はあった。ニハットさんに「これは?こっちのは?あれは?」の質問攻めで2枚を選んだ。ニハットさん、ありがとうございました。
キャラバンサライを出発して間もなく、道路を横断して行く羊さんたちの群れに遭遇。牧羊犬たちがしっかりお仕事して羊さんたちの群れをまとめている。
そういえば、ニハットさんのバスの中の話しにあった各地の名産のひとつとして、牧羊犬があった。牧羊犬は1年間に10頭くらい輸出しているのだけど、相手国からはもっと輸出してほしいとオーダーが来ているほど人気の輸出品らしい。自国内の需要を賄うと輸出までは今以上は回せないという話だった。
広大な大地を行く羊の群れと牧羊犬。その風景は数百年前、千年前と変わらないものなのだろう。
11時10分頃にコンヤに着く頃には青空が広がってきた。やったね☆
まずはインジェ・ミナーレ博物館の見学。コンヤではここよりもカラタイ神学校(タイル博物館)の方が有名なのだけど、この時期は修復中だとかで見学できないので、このインジェ・ミナーレ博物館の見学になったのだ。
インジェ(細長い)・ミナーレ(尖塔)があったので、その名が付いたが、1901年の落雷でミナーレの上部が崩壊してしまい、現在の形になっている。
現在は、彫刻博物館になっている。入り口の彫刻が細かくていいですねぇ。うっとり。
インジェ・ミナーレ博物館
メブラーナ博物館
インジェ・ミナーレ博物館からバスで10分くらいでメブラーナ博物館に到着。メブラーナ博物館の見学で初めてスカーフの出番となる。旋回で有名なメブラーナ教の総本山で創始者のメブラーナが眠るメブラーナ霊廟は、現在は博物館として公開されているけれど、スカーフを着用した方が望ましいようだ。初めての海外旅行で買ったスカーフが初めての出番を得た。(笑)
マホメットの髭を
納めた小箱
敬虔なイスラム教徒の皆さまが入れ代わり立ち代り、イスラム教の教祖マホメットのあご髭が納められた銀の小箱が展示してあるガラスケースに額を押し当てて熱心にお祈りをなさっていた。
他にも装飾が美しいコーランが多数展示されている。
何かの行事があったのか女性の集団が記念写真を撮影していた。
コンヤの幹線道路沿いのドライブインというかレストランというかで昼食。
欧米人の他の団体が幾組かお食事中で、見ると彼らはみ〜んなバイキング。なんだかすっごい盛ってる方がいる。(笑)
私たちはコース。今日は名物のピデというトルコ風ピザというか、ピザの原型のお料理を楽しみにしていた。お肉のピデだけの予定だったら、レストランのオーナーさんが卵のピデも食べて欲しいとおっしゃって追加で出して下さったので2種類を食べられた。オーナーさん、ありがとうございます。この卵のピデが焼きたてアツアツですっごい美味しかったの。これは名物で美味しい珍しい例じゃないかな♪
セマー(旋回)を
踊るポーズをとる巨大人形
昼食のレストランにて
コンヤからパムッカレへロングドライブの開始。最初の頃はニハットさんのお話しを聞くともなく聞いていられたけど、少しするとその話し声も子守唄になっていった。(笑)
スープ
サラダ
チャイ
ピデ
ケバブ料理
デザート
サラダには塩をかけていただきました。↑のピデの黄色いのが卵のピデ。お米も“ご飯”じゃなくて付け合わせの穀類としての考え方。量的には私には十分だけど、食べ盛りの男性はどうかな。
昼食時間12時〜12時50分。トルコの食事は全体的にサービスが早い。
カッパドキアを出たときは雪景色だった。それがスルタンハーヌを出ると沿道のポプラが少し緑がかっているように見える。
シルクロードを走っているときに、若草色のMICRA(マイクラ)がバスをバビュ〜ンと追い越して行った。あんなに飛ばすMICRAは初めて見た。“MICRA”って言うと馴染みがないかな?MICRAはヨーロッパ名で日本名は“MARCH”(マーチ)。それなら少なくとも1日1回はどこかで見かける車種でしょう。でも、あの色のMICRAは日本では見かけたことないなぁ。
シルクロード上の見通しのよい場所で写真ストップ。→
特に名所旧跡ではないけど、これが昔と変わらぬシルクロードの風景。昔の旅人はこのシルクロードを馬などを連ねて何日も何ヵ月も旅したのだろう。その距離を1日で走破してパムッカレに向っている。
シルクロード
休憩しておやつを食べて、満足してまたおやすみタイム。今日はバスの中で眠ってばかり。(笑)
ヨーグルトの
はちみつがけ
16時50分、ドライブインで休憩。ここで予習の旅行記拝見でいくつものHPで紹介されていたヨーグルトのはちみつがけにトライ。4YTL(約360円)。意外だったのは食べたのが添乗員さんとえむちゃんと私の3人だけだったこと。あれ?名物だと思ってたんだけどな。かかっているブラウンの物体はケシの実だそうだ。お味は2度目もあり、です。(笑)
ニハットさんは新聞読みながらチャイを飲んでくつろいでいるし、ドライバーさんもバスが磨かれている間、チャイタイム。
トルコのドライブインでは、バスが駐車されるとサービスで洗ってくれるみたいで、他のドライブインでも洗われていた。だから、バスの窓がヨーロッパの国々よりもずっと綺麗なんだ。納得。
そして、沿道のポプラははっきりと緑の葉を鮮やかに煌かせている。コンヤからパムッカレへの道ではどんどん緑が濃くなって行くのがはっきり判った。1日の行程のうちに真冬から春真っ盛りに季節が移り変わっていった。
どよめきで目覚めたら、パムッカレの石灰棚がバスの中から見えていた。18時30分。ついに今ツアー個人的な2番目のハイライトのパムッカレが見えるところに来たのだ!早く石灰棚を歩きたい!
膨れ上がる期待とは裏腹に、見えているのになかなか駐車場に着かないもどかしさ。じりじり。ようやく南門の駐車場に着いたときには、はやる心を押さえるように、ゆっくりと動くように心がけた。
駐車場から石灰棚の間はヒエラポリス遺跡が広がっている。遠くには円形劇場も見える。いつもならここで、「遺跡☆遺跡♪」になるはずなのに、このときばかりは「遺跡もいいけど石灰棚〜♪」な気持ちだった。
遺跡の傍らには、レモン色の野の花がたくさん、しかも数種類咲いている。ごくたまにアクセントのように赤い小さなポピーの花。ここはもうすっかり春なのだ。
ヒエラポリス遺跡
ヒエラポリス遺跡
円形劇場
ヒエラポリス博物館前まで歩いてそこで集合時間と集合場所を決めて解散。フリータイムは50分。解散と同時に石灰棚に向う。
えむちゃんと来る道々話して、ヒエラポリス遺跡よりも石灰棚を優先することに決めていたのだ。
季節的に水のある石灰棚はないかと思っていたら一部だけど水のある棚があった。やった!
ニハットさんの所属する現地旅行会社が用意してくれた社名入りの靴入れ用ビニール袋に靴と靴下を入れて、いざ!石灰棚を歩くのだぁ!!!わくわく。
お湯が流れている水路(湯路?)に足をつける。あ、思ってたより温かい。もっと生ぬるいと想像してたのだけど、これは十分温かい。水路の脇を歩くとざらざら足裏マッサージをされてる気分。効く〜。痛くて歩けない程ではない。どこまで歩けるのかな。歩けるところまで行ってみよう。↑左上の写真の奥まで石灰棚の上を歩いて、振向いて右上↑の写真を撮りました。上の写真の石灰棚はどちらも同じ石灰棚を東からと西からと撮ったものです。
左上の写真の奥まで石灰棚の上を往復し、一旦、靴を履いて、右上の写真の奥まで歩道を歩くと、そこに別の石灰棚が出現。
こちらの石灰棚まで来る観光客もまばらで先客は1名。あとからも2人しか来なくて、ゆっくりと石灰棚と夕焼けの雄大な景色を堪能できた。ああ、パムッカレに来たのだなぁ。綿の城を目の前にしているのだ。ここにきてようやく、心静かに石灰棚の風景を目に焼き付けることができた。
夕陽に映える石灰棚。絶景。夕陽に照らされた石灰棚の光景は忘れられない。
心が凪いだ途端にもう集合時間が迫っている。残念だが戻る時間だ。
ヒエラポリス遺跡をじっくり見られなかったのは、今でも一抹の寂しさがあるけれど、あのときあの場では、石灰棚を見る選択肢しか念頭になかったのだから仕方がない。
春のヒエラポリス遺跡とパムッカレの石灰棚乾杯!!
バスに戻る道すがらはツアーメンバーの皆さんも夕焼けに映える石灰棚の話題でもちきり。ニハットさんはこの夕景を見せたくてこの時間を選んだのだろうな。
このパムッカレの石灰棚とヒエラポリスの観光は本来の日程だと明日の予定だった。だったので、えむちゃんは、「明日も来るんでしょ。ルン」と思っていた。あ〜、残念ながら、朝焼けの石灰棚とヒエラポリス遺跡見学はなしです。朝焼けは朝焼けで見たかったかも。(笑)
19時50分に駐車場に戻ってきたときに駐車していたバスは私たちのバスともう1台だけ。このときには夜の帳が駐車場に降りてきていた。ホテルまでは15分。
コロッセア・テルマルの部屋
ここのホテルはコテージ風というのかな。2階建ての建物が横に長〜く続いている。これは景観保護のために、高層の建築物の建設ができないためだそうだ。
このあたり一体のホテルのバスではパムッカレの温泉のお湯が引かれている。そしてこのホテルで使用する湯量を賄うため、石灰棚を流れる湯量が減らされているらしい。そして、それはそのまま石灰棚の景観の保護が難しくなっていることをしめす。ニハットさんは言う「100年後、トルコのガイドは案内する世界遺産を1つ失っています。」と。
100年後のトルコの現地ガイドさんが案内する世界遺産の数が1つ減らないように、現在の私たちが為すべきことは?ビュッフェの夕食も3日目になると飽きてくる。トルコ旅行の夕飯はビュッフェの夕飯が多いのは先にトルコ旅行された皆さんのHPを読んで知ってはいたけれど、実際に自分が経験すると味気ないことこの上ない。あ〜、もうちょっと何とかならないものでしょうか?>旅行会社さま
ビュッフェの食事
ビュッフェの食事
ビュッフェの食事
チャイ
ビュッフェのデザート
本日の走行距離、約710km。おつかれさまでした。