2007年4月
イスタンブール
本日も6時30分起床。今日は市内観光への出発時間が遅めの設定なので、ホテル付近の散策と洒落込む。
城壁沿いにしばらくそぞろ歩くと、城壁内に入る門があったのでそこから中へ入り、付近をちょっとだけ歩いて、ホテル方向に向けて、先程とは反対方向に城壁内を歩きだすと、ホテル方向から歩いて来たツアーメンバーのご夫婦にお会いして「この先は違うホテルの駐車場だけど、守衛さんに声をかけて挨拶すれば、観光客は通してくれる」とのショートカット情報を得て直進。回り道せず楽々ホテル方向へショートカットできた。
城壁
まずは、本日午後のフリータイムに向けてホテル付近のトラム乗り場の確認。JETON GISESI(トラムの切符売り場)のおじさんにガイドブックの路線図を見てもらって駅名の確認をすると、日本で見ていて思っていたのより1駅市内中心部に近い駅を指差した。あら?
おじさんにお礼を言ってトラム乗り場をあとにし、下車するときに目印になる付近の建物を見回す。市内に向って左側にガソリンスタンド、右にホリディ・イン、よし。
そして城壁近辺の散策スタート。城壁の内部が旧市街。写真は城壁の外側から撮影したもの。
ホテルから城壁まで1〜2分。ホテルから城壁まで歩き、道路を通り城壁の外へ出て城壁沿いに公園のようになっているので、散歩にはもってこい。出勤のため足早に通る地元の人、散歩する観光客と朝のひとときがある。
そうこうするうちに順調に9時45分、トプカプ宮殿に到着。
9時30分にトプカプ宮殿へ向けてホテルを出発。今日のツアーの市内観光はトプカプ宮殿のみで昼食後フリータイムになる。
バスの中で昨日、添乗員さんから提案のあった
1.トプカプ宮殿で解散
2.ホテルまで戻り解散
3.ホテルに戻った後、添乗員さんの散策に付き合うという形での市内散策
の、どれにするか、それぞれ人数の確認。(多数決で3つのうち1つと言うわけではなくどれを選んでもよい)
えむちゃんと私は、1.のトプカプ宮殿で解散をチョイス。これを選んだのはツアーメンバー20人中6人だった。念のためこの6人(3組)だけ添乗員さんが行き先の確認をする。
2.3.を選んだ人はホテルに戻った時点でどうするか再度決定できる。
トプカプ宮殿
表敬の門
ハレム入場はツアー客は時間指定のため、ニハットさんがハレムへ急ぐと11時15分(?/多分)を指定されたので、時間調整で陶磁器博物館と銀器博物館を見学する。
トプカプ宮殿内
陶磁器博物館・銀器博物館
トプカプ宮殿も入場にはセキュリティ・チェックがあり、えむちゃんはフリータイム用に持ってきていた3脚が持ち込み不可で預かられてしまった。トプカプ宮殿を出るときに預り場へ引換券を持参して返却してもらう。
トプカプ宮殿の第2庭園にもチューリップの花が満開でと〜っても綺麗。ただし芝生は現在進行形で張っている真っ最中。入場と退場のときで芝生の張られている面積が明らかに違った。
ニハットさんが、チューリップはトルコが原産だけど民衆の反乱があったときにチューリップが反乱の象徴の花だったため、当時のスルタンがチューリップを駆逐したので、その当時のオランダの在トルコ大使がオランダへの帰国の際、球根をオランダに持ち帰り、オランダで人気を得て広く栽培され、オランダの花として世界的に有名になったと説明していた。
トプカプ宮殿
陶磁器博物館
左の写真は、象が可愛かったので撮影してみました。(笑)。
陶磁器はどうしても日本風なものよりも、この手のものの方に興味がいってしまったので、本物の伊万里は、おそらくあの辺にあったもの、くらいの認識。
銀器も動物などいろいろ手がこんだ物が多数あり、本気で見ようとしたら、結構時間がかかるかもしれないけれど、そこはさらっと見学
陶磁器博物館と銀器博物館の見学は10時35分から10時45分の超駆け足版。
トプカプ宮殿
銀器博物館
トプカプ宮殿内の最初の見学は陶磁器博物館。陶磁器博物館にある伊万里の9枚のうち日本が輸出を禁じていたため、5枚は中国で作られた模造品だそうだ。いろいろ歴史の裏事情があるのね。
指定された時間前にハレムの入場口に行くと入場待ちのたくさんの人が並んでいる。ツアー客と個人客は別々の段取りで入場しているみたい。私たちより早い時間を指定された欧米人のツアーグループが私たちより遅れてきたり(それでも彼らが先に入場)、入場口は、少なからず混乱している。
トプカプ宮殿
ハレムの入場口
トプカプ宮殿
ハレムの黒人宦官の部屋
ハレムの女性は外界とは遮断され、彼女たちの日常の生活の世話は、黒人の宦官が行っていたが直接顔を合わせないような工夫が随所にされていたた。
ハレムの女性では、スルタンの母后が最も高位だったそうで、母后の部屋が立派だった。
それにしても、どの部屋も廊下も、ブルーを基調としたタイルで素敵だけど、ここまでするか!って感じもなきにしもあらず。男の子を生んだ順に妃も待遇されていたらしいけど、それ以外の子供を産んだ女性はどう待遇されるのだろう?
絢爛豪華な部屋もスルタンの兄弟や王位継承者以外の皇子を幽閉した部屋もあったし、いろいろ骨肉の争いもあったのだろう。
ハレムで最も広く豪華だったのが皇帝の部屋。ここで皇帝が家族たちとくつろいだり、宴を催したりしたそうだ。
どの部屋もタイルの装飾などに圧倒されて、お〜!お〜!お〜!の連続で、皇帝の部屋くらいまで来ると、かなり頭の中ぐちゃぐちゃになってたりしてます。(苦笑)
どこをどういう順路で歩いたのかもさっぱり判らないので、もし次にフリーでトプカプ宮殿のハレムに行く機会があったとしても、同じ場所は決して回れないと断言できてしまいます。
ハレム内は広いので、入場口で押し合いへし合いしていた人たちが何時の間にかばらけていて、この皇帝の間でも他の部屋でも、私たちのツアー以外、人のいない時間が結構ありました。
トプカプ宮殿
皇帝の部屋
トプカプ宮殿内の海の見えるレストランで昼食。もう観光客でごった返してます。半端ではない人数が食事に訪れているにも関わらず、貧弱なトイレ設備(数の絶対数が不足している!)だったので、施設管理の方には改善をお願いしたいです。
トプカプ宮殿
寵姫たちの中庭
寵姫たちの中庭は、おそらくハレムの最深部。ハレムの女性たちが外の空気を浴びることの出来たテラスで、写真の建物がハレムの女性たちの部屋。
ここまで来ると「よく歩いた」って感じ。ここ、城壁越しに街並みが遠くに見えるし、すごくいい感じの場所でツアーメンバーさんたち共々お気に入りの場所になった。
ここでハレムの見学は終了で、出口に向うことになる。私はハレム見学は初めてなのでよく判らないのだけど、前に来たことがあるツアーメンバーさんがニハットさんに「こんな奥まで来たのは初めてです。ありがとうございます。」とお礼を言ってらしたのを小耳に挟んだので、かなり時間をかけてガイドしていただけたらしい。
ハレムの見学は11時20分から11時50分。時間にすると自分で感じたよりも長くないので驚き。もっと長時間見学したような錯覚を起こすほど密度の濃い見学時間だった。
ここでも他の日本人ツアーグループに遭遇。それがその人数が半端じゃない!一体どれだけいるの?!みたいな感じで、私たちが前菜を食べている最中に入ってきて、メインを食べてるときには、もう食事を終了して席を立ってレストランを後にして行った。やぁ、びっくり。
サラダとチーズパイ
チャイ
ケバブ
プリン
サラダはオリーブオイルがかかってなかったので、平和にテーブルに置かれた塩をかけて食べられた。お味は、このレストランの売りはトプカプ宮殿内の海の見えるレストランなので、ま、普通に普通のお味でした。
宝物館にはエメラルドを中心にサファイア、ダイアモンド、トルコ石etcの宝石でキンキラキン。武具、鎧が完全に装飾品になっていた。権威と財力を見せつけて無用な争いを避けようとしたのだそうだが、なんともはや……。言葉もない。
昼食を終え、テラスから海を眺める。あぁ、のんびり。
午後からフリータイムの予定だけれど、ツアーで見学予定の宝物館にもまだ行ってないし、まだまだ案内したりなくて熱く語るニハットさんに着いてトプカプ宮殿内を巡る。
宮殿奥にある黄金屋根のイフタリエ(イフタール)のポーチから金角湾を眺めて記念写真を撮影。それから図書館、割礼の間、聖遺物の間などをざっと、外から説明されて宝物館へ。宝物館は館内でのガイドが不可のため、宝物館前でフリー見学となり解散したのは13時30分になっていた。
宝物館は入場するのに長蛇の列で15分以上並んで待った。見学は13時45分から14時30分。
トプカプ宮殿
テラスより金角湾
最後の頃には金ピカも見慣れてしまった。トプカプの宝剣は上に付いた時計が見えないディスプレイ。もう少しディスプレイを考えましょう。スプーン職人のダイアモンド。ああ、大きいダイアだこと。
トプカプ宮殿
割礼の間
宝物館の後、先ほどニハットさんに外からざっと説明された割礼の間を見学。もうトプカプ宮殿、見所がありすぎで、あっちもこっちも見たくて時間がいくらあっても足りない。
割礼の間を見学し終えて何気なく通った部屋の前にすごい行列ができているので、それが何かも判らずにとりあえず並んで内部を見学。それが聖遺物の間だった。入り口に係員さんがいて、内部にいる人数を調整して一定の人数にするようにしているため、行列が発生していたのだ。
モハメットの足跡、あごヒゲや髪の毛の入った小箱などの聖遺物と、聖遺物の間から見える大きな黄金の経典入れの箱が立派で見学者が皆、立ち止まって見とれるので係員が早く進むよう指示していた。聖遺物の間では聖職者の方がコーランを唱えていた。
まだまだ見足りないけれど、イスタンブール考古学博物館と古代東方博物館の見学もしたいので、15時15分過ぎ(30分に近かったかも)には出口に向い、えむちゃんの3脚を引き換えようとして、どこで引き換えるのか係りの方に英語で話しかけて場所を確認した後、引き換えられた。
イスタンブール考古学博物館と古代東方博物館はトプカプ宮殿のお隣さん。だからこそ、トプカプ宮殿での解散を選択したのだ。
共通チケット5YTL(約450円)。ビデオ撮影可、写真撮影可(フラッシュ撮影禁止)。3脚使用不可。えむちゃん残念!
2つの博物館の建物が門内にあり、門のところにあるチケット売り場でチケットを購入すると2館見られるようになっている。
まず先に門から見て手前にある古代東方博物館を見学。15時30分〜16時。
古代東方博物館
古代東方博物館
カディシュの戦いの
平和条約のタブレット
バビロニア、メソポタミア、エジプト、ヒッタイトなどの出土品や遺物を収蔵した博物館。
最大の呼び物は、エジプトのラムセス2世とヒッタイトのハットゥシリシュ3世の結んだ世界最初の平和条約(カディシュ条約)の粘土板。
館内に入り、バビロンのイシュタル門の彩色レリーフを見てから進むと、粘土板がたくさんある部屋がある。どれがカディシュ条約の粘土板か判らない。館内にいた係員さん…服装、装備は係員さんというよりガードマンさん…の女性に、英語の道案内の常套フレーズを口にして、「カディシュ条約の粘土板って英語で何?」と一瞬つまってから、「カディシュタブレット」と言うと、どうも“カディシュ”の一語で了解したらしく、説明しようとして、連れて行ったほうが早いと判断したようで、先に立って案内してくれた。
他の粘土板とは全く扱いが違い、単独で陳列されてスポットライトまで浴びていた。係員さん、どうもありがとうございました。
このカディシュ条約のタブレットが見たくてこの古代東方博物館を訪れたので、念願かなって大満足。
やはり「天は赤い河のほとり」の愛読者としては、このカディシュ条約のタブレットははずせないでしょう。(笑)
カディシュ条約のタブレットが見られたので、意気揚々とはす向いに立つイスタンブール考古学博物館見学へ。16時〜16時45分。
イスタンブール考古学博物館では、ガイドブックを片手にガイドブックに写真が掲載されている作品をピックアップして見学する。逆にいうとそれくらいしか見学する時間がなかったのだ。
2階は工事中でCLOSED。
イスタンブール考古学博物館の建物に入って最初に右手向う。右手奥まで行くと来た部屋を引き返してエントランスまで戻り、建物の左手の見学を行う。動線がイマイチよくないのは2階が工事中のためなのだろうか。それとも最初からこういう建物なのだろうか。そのあたりは不明。
イスタンブール考古学博物館
イスタンブール考古学博物館
アレキサンダー大王の石棺
博物館の左手奥にあるアレキサンダー大王の石棺は、シドンで発見されたフェニキア王族の石棺でアレキサンダーの石棺ではないにも関わらずこの名前がついたのは、側面のレリーフがマケドニアとペルシアの戦闘や、ライオンと雄鹿狩りでのアレキサンダー大王を描いたものだからだそうだ。
この部屋で最後、とほっと一息つく間もなく、警備の方に「CLOSED」と言われてしまい出るように促される。閉館時間は17時だから15分前に追い出しにかかるのか。ちょうど一通りの見学が終わったところでよかったぁ。ぎりぎりセーフ。
陳列物を横目に見ながら、ゆっくりと出口に向う。
トプカプ宮殿が見所満載で半日観光で終わらず、15時過ぎまで見学していたのが、2つの博物館での時間が短くなった原因だ。
博物館の門を出て、大分疲れていたので、えむちゃんと顔を見合わせて一旦ホテルに戻ることにした。ガイドブックの地図で現在位置とトラムの乗り場の位置を確認していると、近くに警察官さんと兵隊さんが並んで立っているのが目に入ったので、警察官さんに道を訊こうとして近づいたら、兵隊さんに「クルマがきますから気をつけてください。」としっかり日本語で言われて、びっくり。思わずえむちゃんが石畳でコケッとすると更に「危ないですから、お気をつけください。」と重ねて言われ、えむちゃんは兵隊さんにトラムの場所を教えてもらいにかかる。
この兵隊さん、名古屋に10年いて兵役で戻っているけれど「兵役が終わったら日本に戻ります。」だそうだ。日本語が堪能な彼がここにいるのはあくまで推測だけど、平時はトプカプ宮殿を見学しに来た日本人の道案内、緊急時はフリーの日本人観光客の避難誘導にあたるためなのだろうな。と、えむちゃんと意見が一致した。
17時にトプカプ宮殿近くのギュルハネからトラムに乗り、ホテルの最寄のパザルテッケに目印のホリディ・インを確認して降りたのが17時18分。乗換えなしの1本だから楽だ。
部屋に戻って、カフェオレをいれてゆっくり休憩したら、疲れがどっと出て、再度観光に出かけるのが億劫になり近場で簡単に食事をすませて、部屋でくつろぐことにした。
これから考えると、添乗員さんと出かけた方々の方がきっとアクティブにイスタンブールを過ごすという観点からすると、満喫されたのだろう。